蛸島 彰子(たこじま あきこ、1946年3月19日 - )は、日本将棋連盟所属を経て現在日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の将棋の女流棋士。日本将棋連盟所属時の女流棋士番号は1、LPSA番号は1。女流棋士一期生6人のうちの一人。東京都杉並区出身。2018年引退。
蛸島彰子 女流六段 | |
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名前 | 蛸島彰子 |
生年月日 | 1946年3月19日(78歳) |
プロ入り年月日 | 1974年10月31日(28歳) |
引退年月日 | 2018年2月16日(71歳) |
LPSA番号 | 1 |
出身地 | 東京都杉並区 |
所属 | 日本女子プロ将棋協会 |
師匠 | 高柳敏夫名誉九段 |
段位 | 女流六段 |
プロフィール | LPSA所属女流棋士 |
戦績 | |
タイトル獲得合計 | 7回 女流名人 4期 女流王将 3期 |
一般棋戦優勝回数 | 1回 1dayトーナメント(第21回) |
通算成績 | 333勝328敗(対局数661) 勝率 0.504 |
小学生の頃、そそっかしい性格を見かね、将棋をやれば落ち着きが出るのではと父親に将棋を教えられる。
その後、実力をつけていき、それを評価した父の旧知であった金易二郎の勧めにより、1961年、15歳の時に初等科から編入されて奨励会に7級で入会した。史上初の女子奨励会員であった。蛸島には、男子奨励会員より緩やかな「指し分け(5勝5敗)で昇級・昇段」という特例措置が適用された。
当時唯一の女子奨励会員であったが、しかし特例での昇段ということもあり棋力の差は如何ともしがたく、他の奨励会員の間では「蛸ちゃんに負けたら丸坊主・罰金」という合言葉が広まったり、中には蛸島に負けて奨励会を退会する者まで出たという。森雞二は、1級から初段への昇段が決まる一局で蛸島(当時は1級。森は蛸島と奨励会で対局した経験があったが全勝していた)に敗れ、自らを戒めるために剃髪した。なお森は「蛸ちゃんに負けたら丸坊主・罰金」という合言葉は聞いたことがない、と述べている。
蛸島は最終的に初段まで昇段したが、1966年に結婚を機に奨励会を退会した。
その後、翌1967年に二段に昇段して、レッスンプロとして女性や子供への普及を中心に活動。その一方でNHK杯テレビ将棋トーナメントの棋譜読み上げに20年以上出演したり、各種将棋イベントなどに唯一の女性プロとして出演していた。
蛸島の知名度の高まりや、当時アマチュア最強と言われていた関根紀代子の活躍もあり、女流プロ棋戦創設の機運が高まり、1974年、初の女流棋戦として女流プロ名人位戦が創設される。蛸島は特別枠として三番勝負に出場、三番勝負では寺下紀子を2連勝で破り初代女流名人となる。翌期には多田佳子、さらに翌々期にも森安多恵子をストレートで退け3連覇を果たす。
1978年、第4期の三番勝負では山下カズ子にストレート負けを喫し、女流名人位を失冠する。
上述のように女流プロ名人位戦は蛸島と関根の戦いが見たいということで始まったが、蛸島がタイトルホルダーの時は関根が挑戦できず、関根が挑戦した時には山下がタイトルホルダーになっており、すれ違いで結果的に両者のタイトル戦が実現することはなかった。なお、両者の初対戦は蛸島が女流名人位を失冠して挑戦者リーグに参加した1978年の第5期である。この時は関根が勝利した。
1978年に創設された第1期女流王将戦では勝ち進み、決勝三番勝負で女流名人位戦で敗れた山下カズ子を2-1で破ってリベンジを果たし、初代女流王将となった(以降3連覇)。
1979年の第7期女流プロ名人位戦では再び三番勝負に進出、その時は山下に敗退したものの、翌1980年の第8期で山下からタイトルを奪還した。このように1980年代以降、林葉直子・中井広恵・清水市代の女流三強が登場するまで、黎明期の時代に山下とともに女流二強時代を築いた。
1989年に女流棋士発足15周年パーティの成功を機に、 女流棋士会が発足されると初代会長に就任し、2002年まで13年の長きにわたり務めた。
1992年、第6回レディースオープントーナメントで決勝まで進出、決勝三番勝負で清水市代に0-2で敗れるが健闘を見せた。
女流棋士会長を退任した2002年からは女流棋士会相談役を務める。
一方女流棋界の重鎮として、2004年4月から2007年3月まで女流育成会幹事など、女流棋士の地位向上や育成において常に重責を果たしてきた。
2007年5月に設立された日本女子プロ将棋協会に「前に進もうとすることを応援したくて」という理由で移籍した。発足とともに同協会相談役、協会代表代行などを歴任した。
2011年8月31日、長年のライバルであった関根紀代子が現役を引退したことにより、現役最年長の女流棋士となる。
2014年2月より、同協会特別相談役を務めている。
2017年5月27日付で、現役としては清水、中井に続く史上三人目の女流六段に昇段。
2017年12月8日、残りの女流名人戦予選の対局を最後に公式戦を引退する事を発表した。理由としては対局時の正座が辛くなった事と、かねてより通算成績を勝ち越しのまま終わらせる事が「自分にとって小さな誇り」だと考えていたという。また現役生活で一度も降級点を取らなかった。
2018年1月15日、第45期女流名人戦予選二回戦で千葉涼子に最新型の将棋で勝利し、最年長勝利記録を更新する(71歳9ヶ月)。
2018年2月16日、同予選三回戦で山口恵梨子に敗れて現役引退。終盤まで激戦であったが、最後見落としがあっての敗戦だった。同時にLPSAプロに転向。
2018年5月27日、LPSA主催で「歩みを語り感謝する会」パーティが行われ、奨励会時代から共に戦った中原誠 、内藤國雄、森雞二など将棋界の重鎮が参加する一方、日本将棋連盟女流棋士会所属の女流棋士も多数参加した。なお女流棋士会所属の女流棋士がLPSAのイベントに多数参加したのはLPSA発足後11年目にして初である。
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