フランスの著作権法(フランスのちょさくけんほう、フランス語: Les droits d'auteur et les droits voisins du droit d'auteur en France、意訳:著作者および著作隣接権者に関する権利)は、文芸・音楽・美術・ソフトウェアといった著作物、およびその著作者や著作隣接権者などを保護するフランス国内の法律である。その条文は知的財産法典(フランス語版)の第1部に収録されている。本項では、他国との相違点や著作権法に関連した判例も取り上げながら、フランス著作権法の条文を解説していく。
この記事は特に記述がない限り、フランスの法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
文化・芸術大国のフランスが、他国の著作権法に与えた歴史的影響はきわめて大きい。たとえば、世界の先進国の著作権法は大陸法と英米法に大きく二分されるが、大陸法諸国の中で著作権法を初めて制定した国がフランスである。今日の著作権法の世界的基盤となっているベルヌ条約の起草を、19世紀後半に提唱したのもフランスである。美術著作物の追及権を保障したのも、フランスが初である。また、フランスのSACEMは、音楽業界では最古の著作権管理団体である。
現代のフランスは欧州連合(EU)の加盟国として、EUの各種著作権指令に基づき、社会の変化に合わせた著作権法の整備をほかの加盟国とともに進めている。21世紀に入ってからインターネットを介した著作物の海賊版が急増したことから、EUでは2001年に情報社会指令を出している。これを受けてフランスでは、著作権の改正立法を成立させて著作権侵害の刑事罰を強化し、文化省傘下の監視組織であるHADOPIを中心にインターネット上の取り締まりを行っている。
※本節における「現行」とは、特記のない限り2019年7月現在の知的財産法典 第1部(文学的および美術的著作権)のフランス語原文に基づき記述している。
一般的に大陸法系の国々は、著作者本人の権利を著作者人格権と著作財産権に分ける二元論を採用している。その中でもフランスでは、著作者人格権を著作財産権に優先させている点が特徴的である。知的財産法典は「精神の著作物の著作者」という条文表現から始まっており、著作者の人格を尊重するフランスの立法精神がうかがえる(L111条-1)。
またフランスでは、著作権は「所有権」であると考えられている。フランスを含む大陸法の国々では、著作物とは著作者の人格を投映した成果物であることから、ほかの誰でもない著作者の所有物であり(人格理論)、著作物の創作にかかる労力に見合った利益を享受する権利がある(労働理論)という考えに基づいている。
これらの考え方は、英米法諸国とは対極的である。たとえば英国のアン法を模倣して発展してきた米国著作権法は、あくまで産業・文化の振興という目的を達するため、その手段として著作権保護があると捉える「産業政策理論」や「功利主義」に立脚している。その結果、著作権は英語ではCopyright(コピーする権利)と表現されるように、英米法における著作権は、著作者以外に無断で複製させず、著作者の財産を守る権利だと狭義にとらえられてきた。
著作者の人格を守ることを重視し、権利の範囲を広くとらえるフランスでは、著作物が著作者の元から離れたあとでも人格は投映されたままであることから、著作権法で保護を与え続けている。著作者人格権を例にとると、著作者本人の死亡により消滅すると考える国もあるが、フランスでは死後も永続するとされる(L121条-1-3)。また、追及権を世界で初めて認めたのがフランスである。この追及権とは、絵画や彫刻などの美術品を創作した美術家が、その作品を売却したのちも、オークションなどで転売されるたびに売買価格の一定割合を得ることができる権利である。
著作者の人格が投映されていれば、その表現形態がいかなるものであれ、著作物として認められる。著作物というと、書籍や絵画、音楽、映像など視覚または聴覚を使って鑑賞する作品をイメージしやすいが、フランスではさらに嗅覚に訴える香水にまで著作権を認めた判例があるほどである。また、美術作品については純粋美術のみ認め、実用品のデザインといった応用美術に対する著作権保護を否定する国もあるが、フランスでは応用美術も保護対象としている。
職務著作についても、フランス著作権法は創作した個人を尊重する態度をとっている。一般的に職務著作とは、職務の一環で雇用主の命で創作された著作物は、創作した個人ではなく、雇用主に著作権が帰属するという考え方である。しかしフランスでは、単に雇用契約や発注契約を締結していたからといって、自動的に雇用主や発注主である企業・団体に著作権が認められるわけではない。
著作財産権の観点では、一般的な著作権法で認められる「頒布権」および「消尽論」がフランス著作権法では認められてこなかったが、21世紀に入ってインターネットを通じた海賊版が横行した結果、これらを明文化する法改正を行っている。頒布権とは、著作権者が独占的に著作物を社会に流通販売できる権利である。また消尽論とは、その著作物の購入者は中古売買(再販)するなど自由に処分できる(すなわち著作権者の独占権は、購入者の行動にまでおよばずに消え尽きる)という考え方である。この消尽論に則ると、たとえばデジタル楽曲の購入者は、インターネット上で楽曲ファイルをシェアすることができてしまう。しかし、2006年のDADVSI(情報社会における著作権・著作隣接権法)と、2009年のHADOPI法によって著作権法が改正され、頒布権が著作者に認められることで、このようなファイルシェアは頒布権を侵害していることになり、刑事罰の対象となった。
また、米国などで採用されているフェアユース(公正利用)の法理は、フランスをはじめとする欧州各国では否定されている。米国のフェアユースは、著作物を第三者が無断で利用しても著作権侵害にあたらないとする抽象的な一般基準を条文で定めたもので、具体的にどこまでを合法とするかは、もっぱら司法判断に任されている。フランスではこのような一般基準ではなく、著作権法の条文上で個別具体的な基準を設けており、それ以外は原則禁止としている。これは、功利主義的な米国では、著作物の利用がどこまで社会的・文化的に価値があるのかの線引きするのは著作者ではなく裁判所だととらえるのに対し、フランスなど著作者の権利 (droits d'auteur) 意識が強い国では、あくまで他者による著作物の利用は「例外」でしかないためである。
フランス著作権法では、以下の諸権利が著作者人格権として認められている(L121条)。著作物そのものが転売されたり、著作財産権を第三者に譲渡したとしても、著作者人格権は「一身専属性」の原則により、著作者本人を死後も永続的に守り続ける(L121条-1-2、L121条-1-3)。
一般的な著作権法では、著作財産権の支分権を細かく用語定義する傾向にあるが、フランス著作権法ではシンプルに「複製権」(L122条-3)、「演奏・上演権」(L122条-2)、「追及権」の3つに分類している。このうち、複製権と演奏・上演権は「利用権」であるととらえられている(L122条-1)。著作財産権における利用権とは、著作者以外が無断で利用できない権利、すなわち著作者のみに排他性を認める権利であり、使用権とは異なる。したがって、無断で第三者が著作物の複製や演奏・上演を行えば、著作権侵害にあたる。ただしこの利用権には、後述する著作権の保護期間が定められていることから、永久に利用権を独占することはできない。また、著作者は第三者に有償または無償で利用権を譲渡することができる(L122条-7)。
著作財産権3つのうち、追及権だけは利用権とは定義されていない(L122条-1)。つまり、美術作品の著作者は、その作品を手放したあとに作品の購入者がどのように利用するかを拘束することはできない。また、追及権は複製権や演奏・上演権とは異なり、譲渡不能と定義されている(L122条-8)。EU指令によって、追及権はEU加盟国で広域に認められていることから、EU加盟国民が美術作品の著作者であった場合でも、追及権は適用される(L122条-8)。ここでの「美術作品」であるが、絵画や彫刻などの一点物だけでなく、リトグラフ、版画、写真のように複製可能な作品であっても、シリアルナンバーが付されているなど、著作者がオリジナルだと何らかの方法で認めている場合は、追及権の対象となる(EU追及権指令第2条第2項)。
一般的には著作財産権のひとつとして「頒布権」を規定する国が多いが、フランスでは頒布権、およびこれとセットで議論される「消尽論」が否定されてきた。頒布権とは、著作者が著作物を販売するなどして、社会に流通させることができる独占的な権利である。消尽論とは、複製・頒布された著作物の購入者は、その著作物を自由に売却処分(再販)できるとする考え方であり、換言すると著作者に認められた独占的な権利は、購入者のその先の使用行動にまではおよばず、消え尽きてしまう。たとえば、小説家は執筆した小説の著作権を有しているが、その小説が文庫本として出版されたら、その文庫本の購入者は小説家に無断で古本屋に売却しても、著作権侵害にはならない。
ところがフランスでは、この消尽論を認めておらず、代わりにフランスでは「用途指定権」(仏: le droit de destination)の考え方を判例上で用いてきた。用途指定権とは、複製された著作物の購入者が再販するのを禁じる、あるいは事前許諾を求める権利である。しかし、デジタル著作物への対応強化を目的とするWIPO著作権条約に基づき、2001年に施行されたEU指令のひとつである「情報社会指令」で、頒布権を規定している(第4条第1項)。フランスもこのEU指令に対応すべく、2006年に通称「DADVSI」(フランス語: Loi sur le Droit d'Auteur et les Droits Voisins dans la Société de l'Information、情報社会における著作権・著作隣接権法、法令番号: 2006-961)を、2009年には通称「HADOPI 1法」(法令番号: 2009-669)と「HADOPI 2法」(法令番号: 2009-1311)を成立させ、特にインターネットを介した頒布権に関し、フランス著作権法の条文上で明文化するようになった(詳細は#情報社会指令と国内法化の遅延で後述)。
また、従来の複製権を拡大する形で、「複写複製権」が導入されている(L122条-10以降)。ここでの複写とはコピー機を想定しており、RAMへの書き込み・保存は対象外である。複写複製権は、国が認可した著作権管理団体(集中管理機関)に著作権者から譲渡される。
一般的に著作隣接権とは、著作物を社会に伝達する者の権利である。直接著作物を創作はしていないものの、準創作的に寄与しているため、権利保護されている。具体的にフランスにおける著作隣接権者とは、歌手・俳優・朗読者といった実演家や(L212条-1)、レコード製作者(L213条-1)、映画など視聴覚著作物の製作者(L215条-1)、および放送事業者(L216条-1)の計4者が著作権法上で定義されている。
実演家には著作者本人と同様、尊重権が認められており、相続は可能だが、譲渡は不可能であり、時効はない(L212条-2)。また、財産権としては、複製権や頒布権が実演家にも認められており、たとえばレコード製作者が歌手や演奏者に無断で音楽CDなどを販売できないことから、書面での契約を必要とする(L212条-3)。同様に、映画製作者が俳優に無断で映画の配給やDVD販売を行うことはできず、やはり書面契約が必要となる(L212条-4)。これらは、実演家の報酬を保護する労働法典第762-1条および第762-2条の規定とも密接に関連している(L212条-3)。
実演家や映画製作者への報酬支払については、著作権管理団体が徴収・分配業務を代行すると規定されている(L214条-5)。具体的には、対実演家の窓口としてADAMIとSPEDIDAMの2団体が、また対映画製作者の窓口としてはSCPPとSPPFの2団体がフランスには存在する。これらの規定は、1961年採択・1964年発効のローマ条約(実演家等保護条約)に準拠している。
一方、レコード製作者、視聴覚著作物の製作者、および放送事業者の3者には、財産権として複製権や頒布権以外に貸与権(第三者が無断で作品をレンタル貸出できない権利)が認められている(L213条-1、L215条-1およびL216条-1)。
歴史的に著作隣接権を見てみると、フランスでは著作者本人よりも著作隣接権者に特権を与える形で発達してきた(#歴史節で後述)。しかし現代の著作権法では、著作隣接権が著作者本人の権利を害してはならないと明記されており(L211条-1)、保護の優先度が逆転している。
では、どこまでが著作者本人の権利(仏: droits d'auteur)で、どこからが著作隣接権(仏: droits voisins)なのか。社会が技術的に発展するに伴い、この棲み分けに問題が生じた。たとえば、写真は創作者の創造性というよりは、機械による創作品だとみなせるかもしれない。また映画は著作者個人の創作物ではなく、企業・団体の創作物とみなせる。これらを伝統的な droits d'auteur で同様に保護すべきなのか検討した結果、フランスをはじめとする大陸法諸国では、写真も映画も著作物として認めて著作者本人の権利で保護する一方、実演家やレコード製作者、放送事業者は著作隣接権で保護する棲み分けとした。これは、英米法圏の米国著作権法とは異なり、米国ではレコード製作者は共同著作者として著作者本人の権利で保護されている。ただし1990年代に採択されたTRIPS協定やWIPO実演・レコード条約により、著作隣接権者の保護水準が高まったことから、このような棲み分け論の意義は大きく後退しているとの指摘もある。
14ジャンルの著作物が著作権法上で定義されている(L112条-2)。ただしこれら14ジャンルに限定されない。
著作権はジャンル、表現形式、価値または用途を問わず、あらゆる精神的な著作物を保護すると規定されている(L112条-1)。また著作物が未公表や未完成であったとしても、著作者の構想の実現という事実だけをもって、著作物は創作されたと見なされる(L111条-2)。さらに、著作物を当局に登録する、あるいは著作権マーク「©」(マルC、Copyrightの意)や「℗」(マルP、レコードのPhonogramの意)などを表示するといった手続も任意であり、これらを怠ったとしても著作権保護される。つまり、著作者による知的な創作活動によって(創作性)、何らかの表現がなされていること(表現性)が、著作権保護の要件として挙げられる。
フランスの著作権法では「精神の著作物の著作者」と謳われていることから(L111条-1)、原則は個人(自然人)のみ著作者として認められる(L113条-1)。しかし、1993年の判例でこの原則が覆され、法人も著作者として認める判決が出ている。著作者は以下に分類される。
職務著作をどのような条件下で認めるか、各国の著作権法で異なっており、フランスの場合は雇用契約に基づいて著作物を創作しただけでは、その著作権は雇用主が有することはできない。したがって、雇用契約とは別に、従業員から雇用主に著作財産権を譲渡する契約を締結しなければならない。職務著作をめぐっては、医療現場で用いられる頭蓋計測分析のソフトウェア裁判などがある。このソフトウェア企業はコンピュータ・エンジニアと医学者の2名で設立されたが、のちに医学者がこの会社の支配権を増したことから、開発されたソフトウェアの著作権が個人ではなく、会社に帰属するとして提訴した裁判である。2015年1月、破毀院は原告である医学者の主張を棄却して、ソフトウェアの職務著作を認めなかった。
共同著作物については、特に映画などの視聴覚著作物に関し、個別規定が存在する(L113条-7)。多くの関係者が映画製作に携わるのが一般的であることから、誰を共同著作者として認め、著作権を与えるかの線引きが必要になる。条文上では、シナリオの著作者(たとえば映画化の原作小説を執筆した小説家)、翻案および台詞の著作者(原作を元にした脚本の執筆者など)、楽曲の作詞・作曲家(その映画用に創作された楽曲に限る)、監督・ディレクターが具体的に例示されている。ただし、これら以外でも共同参画を立証できれば、共同著作者として法的に認められる場合がある。映画の場合、著作財産権だけでなく、著作者人格権も重要な要素となる。先述のとおり、映画の共同著作者以外の者が、完成版を無断で改変したり、また途中で製作を離脱した者が、自分の寄与分を除去するよう求めることができない(L121条-5、L121条-6)。
集合著作物も共同著作物と同様、複数名によって創作されるが、その定義は曖昧である。集合著作物と、その素材となる各著作物との間に上下関係があり、集合著作物の創作をある特定の者が指示した場合には、共同著作物ではなく集合著作物だとされる。この指示者には法人も含まれることから、集合著作物の場合は原則として職務著作が認められていると考えられる。
権利の所在が不明な著作物(いわゆる孤児著作物)が公表される際には、DR(フランス語: droits réservés、権利留保の意)の文字が表記される。孤児著作物とは、著作権者が誰なのか不明なだけであり、著作権を放棄したわけではない。しかし、2012年10月に孤児著作物に関するEU指令が成立し、一定条件を満たせば孤児著作物の著作者から許諾を得ずとも、第三者が著作物を利用できるようになった。欧州連合知的財産庁(EUIPO)が孤児著作物の検索データベースを一般公開している。
先述のとおり、著作人格権は著作者の没後も権利保護が永続し、時効はない(L121条-1-2、L121条-1-3)。一方、著作者本人の著作財産権、および著作隣接権には、以下のとおり一定の保護期間が設定されている。換言すると、この保護期間を過ぎた著作物はパブリック・ドメイン(公有)に帰し、著作者人格権を侵害しない限りにおいて、第三者が自由に利用することができる。
1997年3月27日制定の改正法以前は、著作権の保護期間は著作者の存命中、および没後50年間が著作者の相続人に対して認められていたが、これが当改正により70年間に延伸した(L123条-1)。「70年間」の計算法であるが、没した当年は含まれず、没した翌年1月1日から起算する。
実演家の権利は、実演の翌年1月1日を起点にして、原則60年間を保護期間としている(L211条-4-I)。レコード製作者の権利は、音の媒体固定から50年間を原則とする(L211条-4-II)。映像製作者の権利は、映像の媒体固定から60年間を原則とする(L211条-4-III)。放送事業者など視聴覚著作物の伝達者の権利は、伝達から50年間を原則とする(L211条-4-IV)。
仮に著作権の保護期間中であっても、公表済の著作物を著作権者に無断で利用しても、以下の条件を満たす場合は著作権侵害にあたらない(L122条-5)。
フランスを含む欧州各国では、米国著作権法のようなフェアユースの法理による、一般的な著作権制限の条項に対して否定的な立場をとっている。したがって、フランスでは上述のとおり、著作権者の権利を制限し、利用者の自由な著作物の利用を認める条件を個別具体的に列記している。この方針は、2001年のEU情報社会指令に起因する。情報社会指令では、制限条項を21条件に限定しているだけでなく、EU加盟国の国内法でこの21条件以外を追加規定することを禁じている。さらに2019年に成立したDSM著作権指令によって、制限条項を3条件追加した。
フェアユースの法理を採用するかは、法的な安定性と柔軟性のどちらを重視するかに依存する。フランスのように限定列挙すれば、著作権者にとっては著作財産権の価値が高まると同時に、著作物の創作のための投資と回収の見通しが立ちやすくなる。一方で米国のように一般的な基準を設け、個別判断は裁判所に任せることで、著作物の内容や流通経路といった社会的・技術的な変化にも対応しやすくなるメリットが考えられる。実際、フェアユースを導入している米国よりも、導入していない欧州の方が、インターネットを通じた著作権侵害の件数が多いとの指摘がなされている(2013年時点での比較)。
たとえば、Googleサジェスト機能(オートコンプリート機能)が著作権法上の複製権侵害に該当するかについて、欧州各国の司法判断は分かれている。楽曲を例にとると、一般ユーザがGoogle検索で「(楽曲のタイトルの名前)、.mp3、.rar」などとキーワード入力すると、違法なデジタル楽曲シェアサイトが検索ヒットすることから、Googleが著作権侵害サイトにユーザを誘導してしまうおそれがある。これに対し、フランスではパリ大審裁がGoogle有利の判決を2011年5月に出している。これは、サジェストされた検索結果が必ずしも違法サイトに限らないとの理由からである。
権利侵害された者は、民事あるいは刑事手続によって救済される。民事訴訟の場合、侵害行為を「認識」してから5年以内の出訴が認められている、また刑事手続の場合は、侵害行為が「発生」してから6年以内とされている。
著作権侵害とは具体的に、著作物の演奏・上演、複製、翻訳、翻案、変形、編曲などが挙げられている (L122条-4)。刑事事件の場合、文書・楽曲・スケッチ・絵画などを印刷出版すると、偽造の罪に問われ、3年以下の禁固または30万ユーロ以下の罰金が科される (L335条-2)。また、著作隣接権者に無断で実演、複製、公衆伝達、利用の提供を行うと、同様に3年以下の禁固または30万ユーロ以下の罰金となる (L335条-4)。ただし著作権侵害者が組織犯罪の場合は、それぞれ7年以下の禁固または75万ユーロ以下の罰金に上限が引き上げられる。さらに再犯の場合、初版の刑罰の上限が2倍に引き上げられる。これらの罰則は、2006年のDADVSIを受けて追加された条項である。
禁固や罰金以外にも、偽造品の差押や破棄、侵害行為の差止、企業活動の停止、インターネットへのアクセスなど著作権侵害の手段利用を最大1年間禁止といった刑事上の措置も取られる。海賊版などの輸出入が発見された場合は、税関がその物品を差し押さえる権利を有している。
このような著作権侵害を行った者に対して、その手段であるインターネット・サービスを提供したISPなどに対しては、原則として著作権侵害の免責規定が適用される。ただし、著作権者からの通報を無視して、不法コンテンツを掲載し続けた場合には、その責が問われる (2004年制定・デジタル経済法 (通称: LCEN、法令番号: 2004-575) 第6条 I.1)。
民事訴訟の場合、提訴できるのは著作権者 (著作者本人だけでなく、著作財産権を譲渡・相続した者を含む)、あるいは著作権者に代わって利用料を徴収する著作権管理団体のみである。独占ライセンスあるいは非独占ライセンス先は提訴できないものの、著作権侵害が認められた場合、損害賠償の受取人になることができる。2015年4月より、事前に著作権者が侵害者に対して警告を発したり、和解などを試みることが、民事訴訟の事前要件として定められた。ただしその後の判例により、これらの友好的な事前対応を怠った場合でも、著作権侵害の訴訟を認めるケースが存在している。
違法ダウンロードに対するインターネット・アクセス制限を目的とした2009年制定のHADOPI法に基づき、インターネットを介した著作権侵害に対し、文化省に属する組織であるHADOPIが監視の目を光らせている。HADOPIが著作権侵害を認識すると、被疑者に対して警告・改善通知を発信できるようになった。ただしHADOPIは行政機関であることから、司法機関である裁判所のように、侵害行為の差止命令を出すことはできない。いわゆる「三振法」をHADOPIは採用しており、三度の警告後、著作権侵害を検察に通達し、刑事手続に進む流れとなっている。
著作権は著作者および著作隣接権者に独占的な権利を与えるものであるから、原則として欧州連合競争法 (特に欧州連合の機能に関する条約 第101条および第102条) の適用対象外となる。ただし、著作権を預かる著作権管理団体が、その地位を濫用して市場に大きな影響をおよぼしている場合には、不正競争行為の取り締まり対象となる。
ここからは、フランス著作権法がどのような歴史的変遷を経て現行法に至ったのか、時代背景とともに解説していく。フランスの法制史は一般的に、フランス革命以前を指す「古法時代」、1789年に勃発したフランス革命から1804年制定のナポレオン法典 (民法典) までの「中間法時代」、民法典以降の「近代法時代」に三分類される。
フランスにおいて、著作権の概念の前身とも呼べる「特権許可状」を国王が初めて発行したのは、ルイ12世治世下の1500年頃である。この特権許可状は劇場運営者、文芸業界団体の側面もある王立アカデミー (例: アカデミー・フランセーズ)、大学、印刷業者、書籍商、コメディアン (俳優) といった著作隣接権者に対して与えられるものであった。したがって当初の特権許可状は、著作者本人の保護を目的としたものではなく、むしろ著作者を搾取する側面があった。その後、徐々に特権許可状の発行対象が広がっていき、1777年の王令によって、言語著作物の著作者とその相続人に対し、永久著作権 (無期限の著作権) が認められることとなった。以下、著作物のジャンル別に古法時代を見ていく。
フランスでは13世紀に入ると、識字率の向上にともなって、手書きの写本の需要が高まった。13世紀前半にはパリ大学が公的な存在となり、大学が書物の修正、監督、価格決定の役割を担うようになっている。一方で当時の著作者たちは、著作物の販売だけでは生計を立てられなかったことから、もっぱら王家や貴族などパトロンの庇護を受けていた。
1445年頃のグーテンベルグによる活版印刷術の発明により、1500年にはパリ市内の印刷業者は50軒以上に達し、当時のパリは欧州で2番目に印刷業が盛んな都市であった。この印刷業者の急増に加え、海賊版印刷が横行した結果、特権がなければ出版業界が経営上成り立たなくなってしまったことが、1500年頃に初めて特権許可状がフランスで発行された背景にある。しかしまだ、著作者本人には特権許可状は与えられていない。当時の印刷出版の対象はギリシャやローマの著作物、あるいは聖書が主体だったため、新作を執筆する著作者を権利保護する必要性がなかったからである。
著作者本人に特権許可状が徐々に与えられるようになったのは、17世紀に入ってからである。書籍商の中でもパリが特権許可状を独占していたことから、都市と地方の書籍商との間で対立が起きた。その結果、著作者たちは地方の書籍商から擁護されるようになる。したがって、著作者本人の権利保護は著作者自らが求めたものではなく、都市と地方の書籍商の抗争の副産物とも言える。この抗争を解決すべく、ルイ16世治世下の1777年8月30日に「特権許可状に関する裁定」が出され、初めて著作者本人の文学的所有権が認められ、書籍商と著作者の権利を分けて捉えられるようになった。また、この裁定 (王令) は、書籍商の永久著作権を10年間に短縮する一方で、著作者とその相続人に永久著作権を認めている。
フランスでは、アンリ4世 (在位: 1589年 - 1610年) による国家統治の結果、観劇を楽しむ余裕と社会秩序を回復したことから、17世紀にはフランスで劇場文化が興隆する。当時は有名な劇作家であっても、戯曲の台本を俳優に売却する1回限りの取引が主流であったが、17世紀中頃には、現代で言うところの「ロイヤルティー」に該当する「台本使用料」の考え方を取り入れているケースもあった。1757年になるとようやく、王立劇団であるコメディ・フランセーズと著作者との間で、台本使用料の名目で劇場「利益」の一定割合が著作者にシェアされる協定が結ばれるようになった。
しかし実態は、著作者 (つまり劇作家や伴奏の作曲者) の弱い立場が続いていた。コメディ・フランセーズと著作者間の対立が激化したことから、1777年には演劇法立法促進事務局 (フランス語: Bureau de législation dramatique) が設立された。当組織は世界初の著作権集中管理団体と言われており、著作者の待遇改善をコメディ・フランセーズに求め、最終的には権利保護の立法を目指すことを目的とし、終身会長には『セビリアの理髪師』などで有名なボーマルシェが就任している。なお、この組織は後の劇作家作曲家協会 (SACD)として継承されることになる。1780年には、凡庸とも言われるルイ16世 (在位: 1774年 - 1792年) への直接陳情が行われ、国王顧問会議がコメディ・フランセーズへの新たな規制を公布したが、むしろ改悪だと批判された。
音楽に関しても同様で、著作者である作詞・作曲家に対してではなく、楽譜を出版する印刷業者や書籍商に対して特権許可状が与えられていた。初の音楽特権許可状は、イタリアのベネチアで聖歌集を対象に発行されており、フランスでは1551年にアンリ2世がリュート演奏者のギヨーム・モルレに与えている。しかしモルレ自身は出版できず、楽譜の特権許可状を持つ書籍商に権利放棄せざるをえなかった。作曲者自らが楽譜を出版・販売できる特権許可状が発行されるようになったのは、1723年のことである。
その後、大規模な印刷装置が必要だった活版印刷ではなく、美術業界で使用されていた彫版印刷が楽譜に用いられるようになった。彫版印刷によって、特権許可状も設備投資の余力も有しない中小業者にも楽譜の印刷が可能となったことから、18世紀に入ると楽譜印刷の海賊版が出回るようになり、特権許可状の効力が弱まることになった。そこで、楽譜の著作者本人を法的に保護し、版権を著作者から出版業者に譲渡させることで、出版業者を間接的に保護するスキームへの転換が必要認識されるようになった。
絵画、版画、彫刻などの美術品については、(楽譜を含む) 言語著作物とは歴史が異なる。美術作品にも著作権が認められるようになったのはフランス革命以降であり、古法時代には著作権が成立していない。
14世紀から16世紀にイタリアのルネサンスがフランスにも流入し、フランス美術業界が質・量ともに向上した。画家や版画家、彫刻家は王室や貴族などのパトロンから直接の庇護を受ける者と、それ以外は業界ごとに設立された組合に属せざるをえない者に二分された。前者は「特権享受者」と呼ばれていたものの、後者の組合は1623年に初めて団体として特権享受者として認められるようになる。しかし、アンリ3世 (在位: - 1589年) の頃には、才能のない芸術家を組合から除名するよう命じたり、フランス王朝の最盛期を築いたルイ14世 (在位: - 1715年) の頃には、組合における特権享受者の削減を要求している。フロンドの乱 (1648年 - 1653年) の最中、組合はアカデミー・ロワヤル (フランス語: Académie Royale de Peinture et de Sculpture) とアカデミー・ド・サンリュック (フランス語: Académie de Saint-Luc) に二分され、対立と和解を繰り返すようになる。1654年にアカデミー・ロワヤルがデッサン教育の特権許可状を取得し、プロの芸術家のみを会員に限定することとなったが、アカデミー・ド・サンリュックはアマチュア芸術家、住宅の装飾家、配管工にも会員資格の門戸を広げていた。1777年にはアカデミー・ド・サンリュックが職人組合として認定される宣言が出された。
国王の権威を否定するフランス革命が1789年に勃発し、同年8月4日の憲法制定会議によって、特権許可状の制度も廃止されていくこととなる。1791年1月13日 - 19日法、および1793年7月19日 - 24日法の2本の法律制定により、現代の著作権法の原点となる制度が開始された。当時、本格的な著作権法としてはイギリスで制定された1710年のアン法が存在したが、フランスはこれに次ぐ、世界2番目の著作権制度整備国となった。1791年法は演劇著作物に限った上演権・演奏権を、1793年法は著作物の範囲を広げた上で出版権・複製権を、それぞれ著作者に認めるものであった。しかし1777年の王令によって書籍に永久著作権が認められていたにもかかわらず、1791年法と1793年法によって、権利保護期間はそれぞれ著作者の没後5年および10年にそれぞれ短縮されている。この2本の法律は、1957年3月11日法まで160年以上もの間、抜本的改正なしで運用され続けた。
1791年法により自由が保障された劇場であるが、1800年にナポレオン・ボナパルト (ナポレオン1世) と各県知事たちは、劇場の組織見直しと取り締まり強化に転じている。その結果、県知事のもとには著作者から多くの陳情書が届き、また法務大臣が各地の訴追官、判事などに著作物の剽窃や所有権の偽造を取り締まるよう、多数の通達を出している。さらに1806年6月8日法によって、ナポレオンは再び劇場を特権許可状制度に戻し、上演の題目も制限し、検閲制度も復活させている。これによって閉鎖された劇場もあった。ただし、著作者と劇場の自由契約や金額交渉などの自由は保障されており、観客動員も満員であった。1812年10月15日には、遠征中の地から「モスクワの勅令」をナポレオンが発し、コメディ・フランセーズに対する国の管理体制が強化された。
また、ワーテルローの戦いのあった1815年6月は、経済不況のあおりを受け、劇作家の著作権徴収代行手数料も下がり、同年1月の徴収総額の1/3以下に落ち込んでいる。1829年には、劇作家の著作権管理団体である二つの事務所を再編する形で、劇作家作曲家協会 (SACD) が立ち上がっている。これにより、SACDの協会員 (劇作家・作曲家) は劇場に直接台本を送ったり、対立する劇場と直接交渉することが禁じられ、違反者には罰金が科された。
第二帝政に入ると、1852年のルイ・ナポレオン (ナポレオン3世) 勅令により、フランス国立博物館に複製2部を寄託すれば、外国著作物もフランス国内で保護を与えるとした。ここでの外国著作物であるが、たとえその国がフランス著作物を保護していないケースであっても、フランス側では保護対象とした。ルイ・ナポレオンのこの方針は、著作権が自然権であり、国籍や政治的な壁を乗り越えるとのフランス著作権法の哲学に立脚していた。
19世紀のフランスはナポレオン帝政後に王政、共和制、帝政、共和制と体制が目まぐるしく変化していたが、欧州で最も中央集権化が進んでいた国でもあった。また欧州で最も使用頻度が高い言語がフランス語であった。したがって、フランス語の著作物は欧州に広く流通し、その結果、フランス国外で海賊版が大量に複製され、それがフランスに逆輸入する事態も発生した。また、フランス国内における外国人著作物の保護もなされていなかった。
フランス国内における19世紀の著作権法は、総合的な著作権法の制定には至らず、保護期間の延長が改正議論の中心であった。1791年法により演劇著作物の上演権は没後5年、1793年法によりその他著作物の出版権は没後10年と定められていたが、判例法によって演劇著作物にも1793年法が適用され、上演権も没後10年とされた。しかし19世紀に入り、権利保護期間が問題となった。なぜならばこの当時、文盲率が大幅に改善されたことにより、書籍商は過去の名著を重版出版するようになった結果、1793年法で定めた死後10年という期間では権利保護が短すぎたからである。
1830年に7月革命が起こり、シャルル10世 (在位: 1824年 - 1830年) が言論統制のために検閲制度を復活させたものの、市民蜂起の結果、シャルル10世からルイ・フィリップ (在位: 1830年 - 1848年) に代わった。ルイ・フィリップの治世の下、著作権改正法案策定のための委員会が1832年から立ち上がっている。この委員会では原則、永久著作権を認めたかったものの、実社会での適用に難があった。出版社が恒久的に著作権料を払わざるを得なくなると、書籍の末端販売価格が上がり、これを回避しようとして国外で海賊版を誘発する副作用が懸念されたためである
こうした議論を経て1844年8月3日法が制定され、演劇著作物の複製・上演にかかる著作権の保護期間は没後20年に延伸した。さらに1854年4月8日 - 19日法により、著作権の保護期間は没後30年に延伸した。条文上の対象には著作者、作曲家、美術家と書かれていることから、演劇著作物以外にも保護期間の延伸が認められている。続いて1866年7月14日法によって、著作権の保護期間が著作者の没後50年に延長している。これら一連の延伸に関する法改正は、当時大衆から人気の高かった作家たちが、政治家として国政に進出しており、彼らの尽力が大きかったとされる。しかし、土地・建物のように著作権についても所有権を永久に認めるべきとの考え方も根強く残っていた。
フランス国外に目を向けると、本格的な多国間条約であるベルヌ条約以前、19世紀当時のフランスは二国間条約を通じて自国の著作物の保護に努めていた。しかし二国間条約の場合、保護水準の低い国、すなわち文化の輸入国に合わせて締結内容が定められるため、保護水準が高く、文化の輸出国であったフランスは、国内と比較して国外でのフランス著作物の保護が十分ではなかった。
具体的には、自国民が外国で著作物を発行した場合、内国民としての保護を排除する国や、翻訳権や小説の劇化といった翻案権を認めていない国、翻訳権の保護期間が著作物登録から3か月で失効する国もあった。このような状況下で、フランスの著作物が国外で無断翻訳され、損害を被っていたのである。そもそも、各国の権利保護期間にもバラつきがあり、国際的な統一の必要性があった。
こうした国際状況を背景に、まずは民間レベルで動きが始まる。1858年9月、著作権の国際的な保護を協議すべく「文学的美術的所有権会議」がブラッセルで非公式に開催された。さらに、1878年のパリ万国博覧会を契機に、フランス政府の呼びかけによって各国の学者・美術家・文学者・出版業界の代表者が集まり、著作権に関する会合が持たれた。この会合の結果、フランスの文豪であり政治家でもあったヴィクトル・ユーゴーを名誉会長とした国際文芸協会 (後の国際著作権法学会 (略称: ALAI)) が創設された。当会合からフランス政府に対し、多国間条約の起草・締結を要請することとなった。
これ以降は、各国政府による公式な外交協議へと移った。第1回ベルヌ公式会議 (1884年9月)、および第2回ベルヌ公式会議 (1885年9月)を経て、第3回ベルヌ公式会議 (1886年9月) でベルヌ条約の条文が固まり、10か国が調印し、翌年1887年12月7日にベルヌ条約は発効した。
20世紀初めに蓄音機とレコードが一般に商品化されているが、それ以前はオルゴールが音楽再生の唯一の手段であり、19世紀に入ってオルゴールは上流階級だけでなく、一般庶民にも広まっていた。オルゴール生産主力国であるスイスの国策圧力により、フランスでは1866年5月16日法を成立させ、音楽の著作権者に無断でオルゴールに楽曲を利用・複製することを合法化している。1886年署名のベルヌ条約でもその第3条で、オルゴールの製造・販売は音楽の偽造とみなさない旨が規定されている。しかし、レコード録音権を巡る訴訟がフランスで相次いだことから、オルゴールの楽曲無断利用合法化の対象からレコードを切り離すこととなり、レコード録音使用料の支払が義務化された。1908年のベルヌ条約ベルリン改正でも、オルゴールの免責を改定し、オルゴールを含む全ての音楽複製権が著作者にあると規定した。これを受け、世界初の録音権協会である機械的複製権協会 (SDRM)が1935年に設立され、録音使用料の徴収・分配を権利者に代わって行うようになった。
1920年5月20日法により、世界初の「追及権」が美術作品に認められた。追及権とは、絵画や彫刻などの美術品が転売されるたびに、その売買価格の一定割合を著作者が継続して得ることができる仕組みであり、著作者が作品を安値で手放しても、後に価値が高騰した時に金銭的に報いられるようになっている。この追及権は、著作物が著作者から離れても、著作者の支配権は残るという大陸法の著作者人格権思想に基づいている。
1957年3月11日法によって著作権法は大幅改正され、フランス革命期の1791年法と1793年法以降、約160年の間に蓄積されたさまざまな判例法を1957年法に取り込んでいる。また、著作財産権だけでなく、著作者人格権も成文化している。
1985年7月3日法によって、コンピュータ・プログラムが著作権保護の対象として追加されたほか、著作隣接権が新たに明文化されている。また、音楽著作物に関しては著作権の保護期間が50年から70年に延伸している。
1992年7月1日法 (法令番号No. 92-597) によって過去の法令を全面改廃し、現在の知的財産法典に著作権法が収録された。
フランスは欧州連合 (EU) 加盟国として、EUの各種著作権指令に基づき、必要に応じて国内法化を行っている。EU指令の国内法化とは、既存の国内法ではEU指令の求める結果・水準を満たせない場合、国内法を改正あるいは新たに立法する手続を指し、既に国内法で満たしている場合は、特に国内法化は発生しない。EU指令が発効してから、各国が国内法化を完了させるまでの導入期限は、指令ごとに個別設定されている。以下、代表的なEU著作権指令 (左) とフランス国内法化 (右) を対比してまとめる。
インターネットを介した著作物の流通における技術的保護 (いわゆるデジタル著作権管理、DRM) を定めた情報社会指令 (2001/29/EC指令) は、フランス国内でも著作権法の改正が複数回発生している。2006年制定のDADVSIでは、個人による違法ファイルの共有を初めて刑事罰として規定した。しかしDADVSIが成立する過程で紛糾し、法案は修正・削除が繰り返された結果、国内法化の期限である2002年12月から3年半以上も遅延した。その結果、2004年2月に欧州委員会はフランスを欧州司法裁判所に提訴し、2005年1月にフランスへ制裁金を科す判決が下っている。なお、情報社会指令の国内法化に苦戦したのはフランスだけではない。国内法化の期限に間に合ったのはギリシャとデンマークの2か国のみであり、特に遅延が著しかった国々 (ベルギー、スペイン、ルクセンブルク、オランダ、ポルトガル、フィンランド、スウェーデン) はフランス同様に提訴されている。
国内法化がフランスで大幅に遅れた要因は複合的であるが、もともとフランスは著作権に限らず、EU指令全般で国内法化の遅延比率が他国よりも高いことが欧州委員会から指摘されている。その文化・政治的背景として、自国で決めていない指令を導入することへの抵抗感、政治的圧力団体によるロビイングによって立法過程が複雑化していること、そして国会提出法案の入念なチェック手続の3点が挙げられる。
DADVSIを巡っては、フランスで紛糾の種となったのが法案の第1条に盛り込まれていた「グローバル・ライセンス」(仏: licence globale) である。これはインターネットユーザが毎月一定額を著作権者に支払うことで、音楽や映画などのデジタルファイルを合法的にPeer-to-peer (P2P) で共有できるようにする制度であった。フランス政府は反対したものの、著作権管理団体や消費者団体などからの強い支持を背景に、中道左派の社会党や、後の大統領を務めたニコラ・サルコジを擁する保守系の国民運動連合などが賛成に回り、2005年12月にフランス国民議会 (下院) はグローバル・ライセンス条項を含む法案を可決した。しかしながら政府が多数派党に法案反対を働きかけた結果、最終的にグローバル・ライセンスは廃案に追い込まれている。対案として一般ユーザではなくISPに対して賦課金を課す提案が提出されるも、こちらも廃案となった。
また、DADVSI法案の第7条は欧米メディアから「iPod法」と呼ばれて批判を受けた。この条項では、楽曲ファイルをダウンロードした一般ユーザが他社製の再生機器を使って鑑賞できるよう、アクセスコントロール技術に互換性を持たせることを義務化する内容であった。そのため、iTunesで楽曲配信し、iPodで楽曲再生するビジネスモデルを展開していたAppleなどに打撃を与えると懸念されていた。しかし、相応の金銭的補償なしに楽曲配信事業者に互換性の義務を負わせてはならないとして、フランスの司法機関である憲法評議会が当条項の違憲性を指摘して、大幅な修正に至っている。
さらにDADVSIを補完する形で、違法ダウンロードに対するインターネット・アクセス制限を目的としたHADOPI法が2009年に制定されている。しかしこれらの改正法の内容を巡って、利害関係者や世論の間で激しい論争が起こった。HADOPI 1法については、その一部が憲法評議会にて違憲と判示され、これに修正対応したHADOPI 2法が追加成立した経緯がある。
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