草津(くさつ)とは、広島県広島市西区の地名である。町名は、草津本町・草津東・草津南・草津梅が台・草津港・草津新町・草津浜町である。西国街道が貫き、かつては宿場町であった。由緒ある寺院の存在が、1000年を超える歴史を感じさせてくれる。一方で、草津新町および草津港は商工センター周囲の埋立地であり、比較的新しい地区である。間に商工センターと扇があるため、草津港のみ飛び地となっている。当地域の人口は11,875人、世帯数は5470世帯。
草津 | |
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草津本町・草津東・草津南・ 草津梅が台・草津港・草津新町・草津浜町 | |
北緯34度22分52.93秒 東経132度24分13.31秒 / 北緯34.3813694度 東経132.4036972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 広島市 |
区 | 西区 |
人口 平成26年2月末現在 | |
• 合計 | 11,875人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 | 733-0832・733-0834・733-0861・733-0862・733-0863・733-0864・733-0865 |
市外局番 | 082 |
ナンバープレート | 広島 |
※座標は草津駅付近 |
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広島市西区の一部。広島市の西部に位置し、国道2号線宮島街道と西広島バイパスが海側と山側をほぼ平行して走り、その間をJRと広島電鉄の2鉄道が、やはり平行して走っている。地区西端の井口地区との境界にJR新井口駅と広電商工センター入口駅があり、その北東に広電の草津南駅と草津駅がある。
古来、軍港であった時期には、軍津(いくさつ)と呼ばれており、そのことから草津と呼ばれるようになった。
広島市民から見て草津は「漁師町」と考えられており、その港は古くは白村江の戦いのときに使われたといわれている(現在は港が埋め立てられた為それを見ることが出来ない)。また水運、軍事的にも活用され、毛利元就の厳島の戦いの前哨戦の舞台となった。その後、江戸時代になると軍港としての役割は終わったが、浜田藩の船屋敷が設置されるなど港町として繁栄を続け、西国街道の間宿(あいのしゅく)としても栄えた。カキの養殖も盛んで、大坂にかき船を出すなどしていた。また、三次藩が存在していた時期には、草津は三次藩領の飛び地であった
明治期以降は、新たに埋め立て造成された隣接の庚午とともに佐伯郡草津町(発足当時は草津村)の一部であったが、1929年(昭和4年)、近隣6町村とともに広島市に編入され現在に至っている。古来干潟と入江に富んでいた草津の海岸線は1971年以降の「西部開発事業」の一環としての埋め立てにより一変し、漁港はかなり沖合に移転している。
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