歴史
1952年10月、保安隊航空学校設立 保安隊航空学校の学生(1954年2月) 日本陸軍
アメリカ空軍
浜松駐屯地
保安隊
陸上自衛隊
1954年 (昭和29年) 7月1日 - 陸上自衛隊へ移管。 7月5日 - 航空自衛隊操縦学校編成。 8月1日 - 航空自衛隊幹部学校創設。 9月1日 - 航空自衛隊整備学校、航空自衛隊通信学校編成。 9月10日 - 第3管区航空隊が第3航空隊に称号変更。 9月25日 - 第116特科大隊 (M2 90mm高射砲 )が浜松駐屯地において編成。 10月1日 - 技術研究所 航空機試験場が新設。 10月20日 - 陸上自衛隊第116特科大隊が東千歳駐屯地 に移駐。 八尾空港 が米軍から返還され、浜松駐屯地から第3管区航空隊が伊丹駐屯地八尾分屯地へ移駐。 1955年 (昭和30年) 浜松基地
1955年(昭和30年) 9月20日 - 浜松基地設置。臨時教材整備隊が教材整備隊 に改編。 10月17日 - ジェット機 整備員教育開始 11月1日 - 航空自衛隊操縦学校が航空自衛隊第1操縦学校に改編。 12月1日 - 航空団及び実験航空隊編成。 1956年 (昭和31年) 1957年 (昭和32年) 1月9日 - 第2航空団 所属のF-86F 戦闘機2機が訓練中に空中衝突を起こし天竜川 河口に墜落、パイロット1名が殉職。 2月1日 - 第1航空団に第5飛行隊 新編。 3月31日 -実験航空隊が岐阜基地へ移動。 6月4日 - 第1航空団所属のT-33 練習機が離陸時の事故により搭乗員2名が殉職。 6月19日 - 第2航空団所属のF-86F戦闘機1機が夜間訓練中に天竜川 南方の海上に墜落、パイロット1名が殉職。 8月1日 - 技術研究所航空機試験場が岐阜基地 に移転。 9月2日 - 浜松管制分遣隊、浜松気象分遣隊新編。第2航空団が千歳基地 に移動。 1958年 (昭和33年) 1月16日 - F-86D 、4機を初受領。 3月18日 - 臨時救難航空隊編成。 8月1日 - 浜松基地廃止・浜松南北各基地設置。北基地に第1航空団、浜松管制分遣隊、浜松気象分遣隊が移動。 10月1日 - 南基地の臨時救難航空隊を救難航空隊に改編。救難教育隊、救難整備隊が新編。 1959年 (昭和34年)6月1日 航空自衛隊整備学校が航空自衛隊第1術科学校 に改称。 航空自衛隊通信学校が航空自衛隊第2術科学校 に改称。 浜松管制分遣隊から浜松管制隊に改称。 浜松気象分遣隊から浜松気象隊に改称。 1960年 (昭和35年) 1961年 (昭和36年)7月1日 - 保安管制気象団新編。 1962年 (昭和37年)10月1日 - 南基地に術科教育本部設立。 1964年 (昭和39年)12月28日 - 北基地に飛行教育集団司令部が宇都宮飛行場 から移動。 1965年 (昭和40年) 1月30日 - 第33教育飛行隊が築城基地 から移動。 11月20日 - 第2飛行隊廃止・特別飛行研究班を戦技研究班と改称。 1969年 (昭和44年)1月31日 - 南基地に教導高射隊設立。 1970年 (昭和45年)8月19日 - 全日空アカシア便ハイジャック事件 発生。浜松基地に緊急着陸。 1971年 (昭和46年) 3月1日 - 救難教育隊が小牧基地 に移動。南基地に小牧基地から小牧救難隊が移動し、浜松救難隊に改称。 10月22日 - 浜松救難隊にV-107 配備。 1972年 (昭和47年)2月9日 - 浜松救難隊にMU-2 配備。 1976年 (昭和51年)10月1日 - 南基地に中部航空音楽隊設立。 1981年 (昭和56年)12月27日 - 戦技研究班が解散(翌年1月12日、松島基地第4航空団第21飛行隊内に「戦技研究班(T-2 ブルーインパルス)」が新編) 1982年 (昭和57年)11月14日 - 航空祭中にブルーインパルス(T-2)が墜落事故。 1985年 (昭和60年)10月1日 - 第6移動警戒隊編成(南基地) 1988年 (昭和63年) 9月20日 - T-4 初号機受領。T-33AからT-4への機種更新開始。 10月1日 - 臨時T-4教育飛行隊新設。 1989年 (平成 元年) 南・北の基地が統合、「浜松基地」設立。 飛行教育集団及び術科教育本部が廃止、航空教育集団 司令部新編。航空気象群 新編。 1990年 (平成0 2年)3月31日 - 第32教育飛行隊編成完結。 1991年 (平成0 3年)3月26日 - T-33Aラストフライト。 1998年 (平成10年) 1999年 (平成11年) 3月25日 - 警戒航空隊司令部及び第601飛行隊司令部が三沢基地から移動。警戒航空隊隷下に第601飛行隊第2飛行班及び早期警戒管制部隊が新編。 4月4日 - 航空自衛隊 浜松広報館 開館。 2000年 (平成12年) 4月 - 警戒航空隊隷下の早期警戒管制機(E-767)の正式運用を開始。 4月13日 - 教材整備隊新庁舎落成。 2004年 (平成16年) 3月12日 - 航空教育集団司令部新庁舎落成。 3月31日 - 第6移動警戒隊が廃止。 10月3日 - 開催された航空祭に、「航空自衛隊創設50周年」を記念してアメリカ空軍曲技飛行チーム『サンダーバーズ 』が飛来。 2005年 (平成17年)3月31日 - 警戒航空隊隷下の第601飛行隊第2飛行班が飛行警戒管制隊に改編。 2008年 (平成20年)5月 - 高射教導隊にペトリオットミサイル (PAC-3)の配備を開始。 2014年 (平成26年)8月1日 - 航空戦術教導団 新編に伴い、高射教導隊が航空総隊 直轄から同団隷下に編入。 2018年 (平成30年)10月30日 - 浜松基地合同庁舎落成。 2020年 (令和0 2年)3月26日 - 航空自衛隊第2術科学校が航空自衛隊第1術科学校に吸収される形で廃止。警戒航空隊が警戒航空団 に改編。 2021年 (令和0 3年)10月29日 - 第3輸送航空隊 の第41教育飛行隊 (T-400 )が美保基地 から移動し、第1航空団隷下に編入。 配置部隊
浜松広報館
航空祭
エアフェスタ浜松2009でのサンダーバーズ エアフェスタ浜松2009で展示飛行を行うサンダーバーズ 毎年秋に航空祭を実施しており、「エア・フェスタ浜松○○○○」(○には西暦の年号が入る)と称している。ブルーインパルス の展示飛行の他に、航空自衛隊で使用している航空機や陸上自衛隊のヘリコプター、米軍から借用した機体などの展示、各種航空機の展示飛行などのイベントが催される。入場無料。
1982年 11月14日 の航空祭では「T-2ブルーインパルス」が「下向き空中開花」演技中4番機が墜落、パイロット1名が殉職、周辺住民12名の負傷者を出す事故を起こした。以後浜松基地の航空祭では「宙返り飛行系演技」と「背面飛行系演技」が全面禁止され、「浜松スペシャル」と題した「水平飛行系演技」のみとされた。「T-4ブルーインパルス」に機種改編後も「浜松スペシャル」が続けられていたが、1999年 11月14日 の航空祭より「宙返り飛行系演技」と「背面飛行系演技」が解禁され、18年ぶりに第一区分の展示飛行を実施した。
夏には「浜松基地納涼祭」(浜松基地 納涼の夕べ)を毎年実施する。当日は南基地の一部を開放し、盆踊り等により地域住民との交流を図っている。入場・参加無料。
2004年10月の航空祭に、アメリカ空軍の曲技飛行チーム「サンダーバーズ 」が飛来し展示飛行を行う予定だったが、悪天候で飛ぶ事はなかった。
2009年10月17日に開催された航空祭では、アメリカ空軍の曲技飛行チーム「サンダーバーズ」が展示飛行を行い、約12万人が来場した。
浜松基地の航空祭以外でもブルーインパルスが飛来することがある。これは、宮城県松島基地所属のブルーインパルスが他の基地等へ展開する際や、他の基地等から松島基地に帰投する際に、給油のため浜松基地に立ち寄るためである。その際はブルーインパルスのコンバットブレイクやフォーメーションテイクオフを見ることができる。ただし、浜松基地の天候が悪く、石川県の小松基地を経由して松島基地に帰投した例もある。
登場作品
ドキュメント番組 映画 『BEST GUY 』(1990年12月15日、東映) - 主演・織田裕二 ロケ地の1つとして浜松基地にて撮影が行われ、劇中に浜松基地が登場する。 『今日もわれ大空にあり 』 劇中当時浜松基地に在籍していた、ブルーインパルスが撮影協力した。 『首都消失 』 浜松救難隊のエプロンで撮影が行われた。 ドラマ その他
所属するほとんどの部隊が隊員への教育を目的とした部隊である。 航空自衛隊の滑走路をもつ基地としては珍しく、基地周辺は都市で交通の便も発達しており、いわゆる「遊ぶ場所」が非常に多地。 脚注 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、
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