永倉 万治(ながくら まんじ、1948年1月27日 - 2000年10月5日)は、日本の作家である。本名、長倉 恭一(ながくら きょういち)。晩年にはペンネームの表記を、「永倉 萬治(読み同じ)」と改めていた。
ながくら まんじ 永倉 万治 | |
---|---|
生誕 | 1948年(昭和23年)1月27日 日本 埼玉県志木市 |
死没 | 2000年10月5日(52歳没) 埼玉県和光市 |
出身校 | 立教大学経済学部中退 |
職業 | 作家 |
配偶者 | 永倉有子(妻) |
親戚 | 釉木淑乃(妹) |
埼玉県志木市生まれ。立教高等学校(現在の立教新座高等学校)を経て、立教大学経済学部を中退。
劇団 「東京キッドブラザース」の公演に参加したが、ヨーロッパ公演の際に同劇団から退団した。その後は放送作家、雑誌編集者、広告プランナー等を務める傍ら、各種雑誌等にエッセーや小説を発表するようになり、1984年(昭和59年)からは執筆活動に専念した。
1981年(昭和56年)8月に、親交のあった向田邦子や志和池昭一郎とともに台湾へ取材旅行に行く予定であったが、入江泰吉のポスター展「大和路」の仕事が入ってしまい同行しなかった。その結果、向田と志和池が台湾で遠東航空103便墜落事故に遭遇して他界、永倉は難を逃れている。
1989年(平成元年)、番組出演のためにラジオ局に向かう途中の四ツ谷駅(東京都新宿区)で倒れ、脳出血の診断を受けた。右半身麻痺と失語症を生じたもの、リハビリテーションを経て執筆の再開を果たす。しかしながら2000年(平成12年)に脳出血を再発し(脳幹出血)、入院先の国立埼玉病院(埼玉県和光市)で死去した。
永倉の作品には、男女の「大人の恋」を描いたもの、サラリーマンの心境を描いたもの、リストラ後も楽しく生きる男の姿を描いたものなどがある。また、自叙伝的なものとして、「東京キッドブラザーズ」在籍時の体験をもとにした『黄金バット』や、1989年(平成元年)に脳出血に倒れた際の入退院の経緯を描いた 『大熱血闘病記』(『父帰る 平成元年 大熱血闘病記』に改題)等がある。後者はNHKにて『父帰る』と題してテレビドラマ化され、俳優のうじきつよしが永倉役を演じた。
妻である有子は永倉の執筆を助けたことで知られ、遺作となった小説 『ぼろぼろ三銃士』の後半は有子の手によって完成された。また有子は、永倉との生活を描いた作品 『万治クン』を発表している。
永倉には雑誌編集者であった頃に本名や無記名、イニシャルにて執筆された作品も多数存在していた。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 永倉万治, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.