植田 まさし(うえだ まさし、本名:植松 正通〔うえまつ まさみち〕、1947年5月27日 - )は、日本の漫画家。血液型はA型。4コマ漫画で知られ、作品に『まさし君』、『フリテンくん』、『コボちゃん』、『かりあげクン』、『おとぼけ課長』などがある。既婚。
うえだ まさし 植田 まさし | |
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本名 | 植松 正通 |
生誕 | 1947年5月27日(76歳) 日本・東京都世田谷区 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1971年 - |
ジャンル | 4コマ漫画 |
受賞 | 第28回文藝春秋漫画賞 第28回日本漫画家協会賞優秀賞 第45回日本漫画家協会賞大賞(カーツーン部門) |
サラリーマンの父(1990年に77歳で死去)のもと東京都世田谷区奥沢で生まれ、幼少の一時期、父の実家がある香川県木田郡三木町で育った。三人兄弟の末っ子。絵を描くのが好きな子供だったが、漫画については「友達の家とか床屋にあればちょっと読むくらい」「新聞に載ってる4コマ漫画しか知らなかった」と、あまり関心が無かった。
世田谷区立奥沢小学校、大田区立大森第七中学校を経て、都立田園調布高校に入学。同級生に後の宗教人類学者となる植島啓司がいた。田園調布高ではラグビー部に入部するが、激しい練習で体調を崩し2か月間の入院を余儀なくされる。植田はこの時、「みんなと一緒にやる仕事なんかは無理だろうな」として、「自分一人で何かをする仕事」を志望し、手始めにカメラマンを目指し、中央大学文学部哲学科に通うかたわら、大学のそばにあった東京写真専門学院(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)の夜間部に通った。報道のカメラマン達に交じって学生運動の様子などを撮影していたが、学生たちがお祭り感覚で運動に参加している雰囲気を感じて「一気に冷め」、写真に対する情熱も失い、「志なかばで性格的に不向きだと判断した[要出典]」。
大学卒業後、兄の経営する学習塾を手伝っていたが、兄らにいたずら描きの絵を褒められたことをきっかけにギャグ漫画の持ち込み活動を始める。
芳文社に持ち込んだ『ああ!チョンボ』でデビュー(まち・あみち名義、『長編漫画傑作集』1970年9月号)。デビュー後すぐ、編集者から「さも昔から漫画家としてやっていました、っていう名前」にすることを提案され、植田まさしに改名。
1982年4月1日から『読売新聞』朝刊に『コボちゃん』を連載。同作品は長期連載され、1992年から1994年まで読売テレビ・日本テレビ系列でテレビアニメ化され放映。2004年12月1日付から、日本の全国紙の4コマ漫画で初めてカラー化(海外衛星版は除く)され、2010年6月14日付で連載1万回を達成。2017年4月1日に連載35周年を迎えた。
還暦を過ぎても月60本以上の4コマ漫画作品を描くなど、長期にわたり精力的な活動を続けていることから「4コマ漫画の巨匠」的人物として扱われている。
2022年6月頃から、体調不良により一時的に仕事を休んでいたが翌2023年2月26日に前立腺癌の治療の為であった事を公表。同年3月1日付『コボちゃん』を皮切りに再開した。
2023年4月現在、日本漫画家協会理事。
作品により出版社が異なる。『おとぼけ課長』、『のんき君』、『まさし君』、『コボちゃん』、『すっから母さん』など、植田作品を収録した廉価版が『特盛!植田まさし』のタイトルで販売されている。
DVDソフト化されたのは2017年現在、2006年12月15日発売の「フリテンくん DVD-BOX」と、2016年12月21日発売の「アニメ「かりあげクン」DVD ほんにゃらBOX」とコボちゃんのみで、その他の作品はDVDソフト化されていない。 また、「かりあげクン」は2023年12月22日BD-BOX化された。 タイトルは「アニメかりあげクンほんにゃらBD-BOX」
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