来歴・人物
伝記の記載を年譜形式のみとすることは
推奨されていません 。
人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2020年6月 )
アカデミー児童劇団~劇団アカデミー時代
ロックバンド&コミックバンド時代
当時のメンバーは、日比ワレル、大阪トンダ。(後にバイオレッツに改名)
1972年 吉本興業-コミックバンド「平和勝次とダークホース」(レコード会社-日本クラウン )のメンバーとして活動。(平和勝次とダークホースとしての初舞台である梅田花月において宗右衛門町ブルースを発表) 当初はメンバー5名であったが、3枚目のシングルから平和勝次、板東春彦、中川ヒロシ(桐野)の3名になる。 1993年 「モダンチョキチョキズ 」のアルバム共演時に短期再結成する。 現在
2005年 「宗右衛門町ブルース」カラオケベスト10に再浮上、NHKの要請で「平和勝次とダークホース」再結成。 (2005年以降のTV出演記録/中川ヒロシとして出演)
人物
当初はNHKドラマ時代に共演者だった広川太一郎(主に声優として活躍)の薦めで、日大演劇部に進む気持ちでいたが、音楽を志して桃山学院(当時の軽音楽部は全国優勝などで有名)に進む。 桃山学院高校では軽音楽部(ロックバンド)に所属し、歌手の堀内孝雄 が部長をしていた時の後輩部員(2年下)であった。 日本クラウン同期には吉幾三 、キャシー中島 らがいる。 喋りも面白く、東京進出を決めた島田洋七 から相方にならないか?と誘われた事もある。 クレージー・キャッツ のファンで、音楽エンターテイメント「コミックバンド」の復活を熱望している。 「桐野VOCAL」(桐野歌唱法)でプロ志望者を指導中。 芸能経歴
1960年代 大映 映画 「続、酔いどれ博士」(主演勝新太郎 )に出演時、荒木一郎 からギターを習い音楽に目覚める。 グループ・サウンズ ・バイオレッツを結成し、大阪において「なんば一番」「富士」「オランダ」「日航」「こだま」などに出演。 テイチクレコード(現・テイチクエンタテインメント )からスカウトされるが、グループ・サウンズのブームが終わり、ソロ歌手として「夢に恋を」でデビュー。 1970年代 平和勝次から自主制作盤 「宗右衛門町ブルース」のアレンジ と演奏を頼まれる(そのまま平和勝次とダークホース へ参加) 「宗右衛門町ブルース」がクラウンレコード(現・日本クラウン)からメジャー化されヒット。 1973年 平和勝次とダークホース解散。 1976年 グループ・サウンズ時代のメンバーなどで「Shouts」を結成するも1年で解散。 1978年 ライブハウス「ケントス」(大阪アメリカ村)メインVOCALとして出演。 1979年 ディスコVO. ロックVO.として「パテオフジ」「DO プラザ」「チキンジョージ」「バーボンハウス」などに出演。 1980年代 中川の声かけにより結成された、関西実力派ミュージシャンロックンロール バンドNAMBA ROAD 「涙のロンリーナイト」が好評で、東芝 からのリリースが決定するも、レコーディング終了後に解散。 ライブハウス「バラード」(大阪キタ)において、毎週土曜オールナイト「Saturday.Rock´n´Roll party」をプロデュース。 (サザンオールスターズ メンバー、チェッカーズ メンバー、あいざき進也 などが顔を出していた) 「関西ロカビリークラブ」顧問時代にライブイベントなどを共同企画する。 Rock´n´Roll Musical 劇団「グラフィティーズ」の演出・音楽を担当。 1990年代 外国人メンバーを加えたR&B バンド「BLUES STREET Band」を結成。この頃メンバーからジョニーと呼ばれていたのが、 2000年代 2000年 恩師の作曲家、山路進一(宗右衛門町ブルース作曲者)死去。 これを機に作曲家として活動する事を決意する。 2002年 大阪ナンバ千日前「スタジオ・テイクオフ」において桐野ボーカル(桐野歌唱法)をスタート。 2003年 歌姫オーディション(オーキャット)で審査員を務めた際に歌唱賞の「チチ-chichi」をスカウト、 桐野歌唱法の初弟子として3年間トレーニング、実力派歌手に仕上げる(現メジャーデビュー) 2005年 音楽制作事務所「エンジェルサウンド」を設立。 2006年 高杉みなみ、広川あいな、門下生となる。 2007年 オールディーズバンド「ポーキーズ」に作曲プロデューサー&ボーカルとして参加する。 2008年 「リトルキューティー★J´s」を作曲プロデュース。 2009年 ライブハウス「アナザードリーム」(大阪千日前)において桐野ボーカル定期LIVEをスタート。 2010年 ラジオ関西 AM558KHz「中川ヒロシのミッドナイトトーク」のパーソナリティを務める。 2010年 萩原健一 氏の還暦パーティーにおいて招待出演でトーク&バースディソングを歌う。 2012年 Johnny-TV(インターネットUSTREAM)のプロデューサーに就任する。 2014年 関西地区バンドマン有志たちと「KANSAI BAND UNION」を結成する。 エピソード
が間違えて「バイオレッツ 」と書き込み合格してしまい「暴力的」→「すみれ色」になる。 「平和勝次とダークホース」は元々コミックバンドとして結成されたのだが、吉本興業の劇場に出演(約半年)しながらリリースした 「宗右衛門町ブルース」がヒットした為、一般的に「歌謡コーラスグループ」と思われている。 門下生リトルキューティー★J'sの名付け親であるが、高杉みなみは彼が尊敬する高杉晋作 から、 広川あいなは彼の演劇の師匠である広川太一郎 から取った。 提供曲
『五人の彼女』/宗右衛門町ブルースのカップリング。歌:平和勝次とダークホース(1972年、日本クラウン ) 『涙のロンリーナイト』歌:、N.Rode(1979年、インディーズ) 『清滝夫婦傘/大阪小唄』歌:若樹鈴(2003年、日本クラウン) 『潮風ヴァイアコンディオス』歌:、チ★チ(2004年、ニューセンチュリーレコード) 『おもかげ戎橋』歌:丘みどり (2004年、平成 歌の祭典 歌唱曲) 『男泉州だんじり浪漫』歌:六虎 『山科の雲』歌:華(2005年、六虎音楽事務所) 『潮風』『Pandora』歌:チチ-chichi(2006年、スターエンジェルレコーズ) 『男と女唄酒場』歌:Ree(リー)(2007年、インディーズ) 『純情Payapa』歌:PORKEES(2007年、スタジオ ポーキーズ) 『My Soul Sing』歌:リトルキューティー★J's-高杉みなみ、広川あいな(2010年 スタジオ ポーキーズ) 『太陽の風』歌:Ree(2013年、インディーズ) 『Moon Memories』歌:平尾タミ(2015年、インディーズ) 主な提供曲から抜粋。
外部リンク
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 桐野丈二郎 , which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0") ; additional terms may apply (view authors ). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0 のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses. ®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.