29代 式守 伊之助(にじゅうきゅうだい しきもり いのすけ、1935年8月28日 - 2004年2月2日)は、大相撲の立行司の一人。式守伊之助としての在位期間は1995年1月~2000年7月。春日野部屋所属。
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基礎情報 | ||||
行司名 | 木村貢 → 3代木村善之輔 → 29代式守伊之助 | |||
本名 | いけだ みつぐ 池田 貢 | |||
生年月日 | 1935年8月28日 | |||
没年月日 | 2004年2月2日(68歳没) | |||
出身 | 日本・和歌山県和歌山市 | |||
所属部屋 | 春日野部屋 | |||
データ | ||||
現在の階級 | 引退 | |||
最高位 | 立行司(式守伊之助) | |||
初土俵 | 1946年11月 | |||
幕内格 | 1977年1月 | |||
三役格 | 1991年1月 | |||
立行司 | 1995年1月 | |||
引退 | 2000年8月27日 | |||
備考 | ||||
2019年4月27日現在 |
春日野部屋に入門し、1946年11月場所初土俵。師匠は13代木村庄太郎で、26代伊之助、27代伊之助は同部屋の兄弟子である。初土俵時の行司名は木村貢。1961年1月場所十両格に昇格。1963年3月場所に3代木村善之輔を襲名。以後三役格まで善之輔で通す。1977年1月場所幕内格に昇格。1991年1月場所に三役格に昇格。木村善之輔の名跡で三役格まで昇格したのは1941年1月場所に昇格した初代善之輔(師匠である13代庄太郎の前名)以来50年ぶりだった。
1993年(平成5年)11月場所限りで28代木村庄之助が停年。翌1994年1月場所は立行司が不在となり、9代式守錦太夫、8代式守勘太夫とともに同年3月場所までの2場所の間で立行司昇格を争った。このときは序列下位の錦太夫が自身を追い抜き28代伊之助を襲名、1995年1月場所、大関貴乃花の横綱昇進とともに立行司に昇格、29代伊之助を襲名した。2000年7月場所後停年。伊之助在位34場所は停年制実施後伊之助在位数第4位である。最後の一番は2000年7月場所千秋楽の大関千代大海-同雅山。
そのテンポのよいかけ声で特に寺尾や琴錦などの取り口の早い力士の土俵を盛り上げた。しかし立行司昇格後には肝臓を患い体調不良との闘いを強いられ、そのため足裁きがあまり素早く出来ず、廻し団扇や差し違えが目立ったり、力士もろとも土俵下に転落したりするなど、立行司としての評判を下げる結果となった。立行司時代に差し違えの連発による謹慎も2度受けている(1997年9月場所と1999年11月場所の2回、前者は9日目から11日目を謹慎、後者は千秋楽の差し違えによるものだったので、翌2000年1月場所初日から3日間の謹慎だったが、体調不良のためそのまま同場所は千秋楽まで休場している)。また三役格時代後期から病休することも多く、前述の骨折による長期休場もあったことから29代庄之助は欠員を埋める必要があると考え、1999年1月場所から三役格行司を一時的に定員より1名多い4名にすることを提案、これが認められ29代伊之助停年の2000年7月場所までは三役格行司が4名となっていた。
普段は温厚で控えめな性格だったという。1場所2度の差し違えを記録したこともあり、「差し違えの伊之助」との二つ名がある。
2004年(平成16年)2月2日、肺炎のため死去。68歳没。
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