川西町(かわにしまち)は、山形県の南部にある人口約1万3千人ほどの町で、東置賜郡に属する。置賜盆地のほぼ中央に位置し、長方形のようないびつな矩形である。
かわにしまち 川西町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 山形県 | ||||
郡 | 東置賜郡 | ||||
市町村コード | 06382-7 | ||||
法人番号 | 1000020063827 | ||||
面積 | 166.60km2 | ||||
総人口 | 13,373人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
人口密度 | 80.3人/km2 | ||||
隣接自治体 | 米沢市、長井市、南陽市、東置賜郡高畠町、西置賜郡飯豊町 | ||||
町の木 | 松 | ||||
町の花 | ダリヤ | ||||
川西町役場 | |||||
町長 | 茂木晶 | ||||
所在地 | 〒999-0193 山形県東置賜郡川西町大字上小松977番1号 北緯38度00分16秒 東経140度02分45秒 / 北緯38.0045度 東経140.04581度 東経140度02分45秒 / 北緯38.0045度 東経140.04581度 | ||||
外部リンク | 川西町公式サイト | ||||
ウィキプロジェクト |
米沢盆地の南西部にあり、平野部は海抜210メートル前後である。西部には標高400メートルほどの丘陵が発達する山林地帯を有している。この玉庭丘陵はクサレ礫を伴う赤色土を特徴とする土壌で、第四紀更新世に形成されたものである。
町内には犬川、黒川、元宿川、誕生川が流れ、いずれも蛇行の著しい松川と合流する。川西町はこの松川の西岸を占めており、また高畠町の東側を流れる最上川の支流 鬼面川の西側を「川西」と呼んでいたことが、町名の由来となった。
この節では、現在の川西町に相当する地域における歴史を町史として包括的に記述する。
下奥田の八幡原から紀元前3500年ごろの石斧や石鏃、石匙(ナイフ)、縄文土器の破片などが出土している。竪穴建物跡らしき窪みも3つ見つかっていたのだが、詳しい調査も受けぬまま周辺の開墾が進み跡形もなくなってしまった(八幡原遺跡)。
時田の虚空蔵山の山麓から打製の石斧や石匙、土器破片、鏃や剣などが出土しており、これらは紀元前2000年代ごろ(縄文時代)の集落跡と考えられている(虚空蔵山遺跡)。同じく時田の相馬山からは縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡が発見されている(相馬山遺跡)。
弥生時代の遺跡は置賜地方どころか山形県ですら極めて少なく、川西町では見ることができない。
古墳時代、200基の古墳から成る下小松古墳群や長さ75.5メートルの天神森古墳が築かれる。
犬川駅に程近い道伝遺跡の奈良時代末の遺構からは木簡や東日本最古と言われる墨書きの絵馬が出土した。これらは諸願成就を願って奉納されたものと考えられている。
平安時代初め、礎板建物と布堀筏地業建物の計7棟から成る建物群が黒川と誕生川の氾濫原の上に築かれる。現在、太夫小屋(たゆうごや)遺跡群と呼ばれるその遺跡からは、柱穴に礎板を入れるなど沈下防止の工夫や、東北地方でも珍しい布堀筏地業という建築技法がみられる。
8世紀末から10世紀初頭まで、時田の壇山古窯群で須恵器が生産され、食器や貯蔵甕に使われた。
9世紀後半、米沢市大浦に置かれていた郡家が下小松に移された。郡家とは、律令制によって7世紀後半から整備された国家(朝廷)による地方行政の末端機構のことで、下小松の郡家は置賜郡最後のものと考えられている。
1570年、小松城の戦いが起こる。かねてから仮病で城への出勤を怠るなど伊達輝宗と対立していた奉行・中野宗時の謀反が露顕すると、宗時は開き直って伊達氏の乗っ取りを公言し共謀者であった小松城主・牧野久仲のもとへ駆け込んだ。小松城は輝宗の討伐軍に包囲させ1日で鎮圧された。
米沢藩は地域開発を自らの管理下で展開させるため「他屋」と呼ばれる屋敷に有力家臣を配して経営させた。かつては川西町にも7か所あり、道伝遺跡のすぐ近くに平家の屋敷が残っている。
1521年、米沢から下越地方まで延びる古い越後街道より道のりは険しいものの距離的に短い新しい山道(俗称:十三峠)が伊達稙宗によって開かれ、1598年、上杉氏が置賜を領有してから宿駅制が本格化し、この十三峠が整備された。街道には小松をはじめ「西通り八か宿」と呼ばれる宿駅が8つ置かれた。
1878年、旅行家のイザベラ・バードが旅の途中、小松の肝煎りであった金子十三衛門家の邸宅に宿泊した。その際、町の住民の半数が外国人の見物に集まったという。
1967年、集中豪雨により最上川上流が氾濫し羽越水害が発災する。飯豊山系の流域で発生したものとしては史上空前の水害となった。川西町でも犬川が氾濫して200人が救助されるなどの被害が発生し、災害救助法が発動された。
1994年、町立図書館や遅筆堂文庫・劇場を併設する川西町フレンドリープラザが開館する。野外劇場を挟んで天神森古墳と近接している。
2021年4月30日、62年間利用されてきた庁舎(写真右)の閉庁式が行われる。5月6日、新庁舎が開庁。
置賜広域病院は2市2町(長井市、南陽市、川西町、飯豊町)にとって大きな財政問題である。
水田単作地帯であり、肉牛の飼育や果樹生産も盛んである。第二次産業としては、三菱鉛筆の山形工場が羽前小松駅近辺にある。
川西町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 川西町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 川西町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
川西町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
町内には東日本旅客鉄道(JR東日本)米坂線が南北に走っている。このうち町の中心部に最も近いのが羽前小松駅で、役場へも徒歩圏内である。また、町の北端附近を山形鉄道フラワー長井線が掠めており、その部分に西大塚駅がある。
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