吉本 昌弘(よしもと まさひろ、1957年〈昭和32年〉12月19日 - )は、日本の脚本家。日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟会員。東北学院大学経済学部中退。
吉本 昌弘 (よしもと まさひろ) | |
---|---|
プロフィール | |
誕生日 | 1957年12月19日(66歳) |
出身地 | 日本・福岡県福岡市博多区出身 宮城県仙台市育ち(6歳から) |
主な作品 | |
テレビドラマ | 『ママはアイドル!』 『若奥さまは腕まくり!』 『毎度ゴメンなさぁい』 『毎度おジャマしまぁす』 『もう誰も愛さない』 『あなただけ見えない』 『菊次郎とさき』 『相棒』 『臨場 (テレビドラマ)』 『水戸黄門』 『刑事7人』 『警視庁ゼロ係〜生活安全課なんでも相談室〜』 |
映画 | 『山田ババアに花束を』 『電影少女』 『パ★テ★オ PATIO』 『A・LI・CE』 『女帝 SUPER QUEEN』 『人生の約束』 |
受賞 | |
東京ドラマアウォード2009作品賞グランプリ受賞「アイシテル〜海容〜」 文化庁メデァ芸術祭大賞受賞「なぜ君は絶望と闘えたのか」 |
福岡県福岡市博多区出身、6歳から宮城県仙台市育ち。演出家を志して19歳で上京。ピンク映画専門の映画館・新宿名画座でもぎりのアルバイトをしていたある日、当時助監督だった岡孝通を通して中村幻児監督へ自作のシナリオを見て貰い、それが1980年(昭和55年)の脚本家デビューへと繋がる。1980年代は、にっかつ、ミリオンフィルム(後のジョイパックフィルム、現在のヒューマックスシネマ)、東映セントラルフィルム、新東宝映画などの作品で日活ロマンポルノ・ピンク映画の脚本を多数担当。ピンク映画時代は中村幻児、廣木隆一、石川均、高原秀和、山本晋也、野上正義、などの監督作を担当した。また、俳優の大杉漣は吉本脚本のピンク映画に多数出演している。
1980年代中頃からTBS系のテレビドラマを手がけ始め、1987年の『ママはアイドル!』がヒットし、後にスペシャルドラマも放送された。1991年(平成3年)にフジテレビ系で放送された『もう誰も愛さない』は、劇的なストーリー展開の速さから「ジェットコースタードラマ」とも評されて話題を呼び、続いて『あなただけ見えない』や『もう涙は見せない』といった同様の作品を担当した。その後は、時代劇や人情もの、サスペンスなど幅広いジャンルの作品を手がけている。
2009年に「アイシテル〜海容〜」(日本テレビ)が国際ドラマフェスティバル in TOKYOの東京ドラマアウォード2009作品賞グランプリ。2010年に「なぜ君は絶望と闘えたのか」(WOWOW)が文化庁メデァ芸術祭大賞。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 吉本昌弘, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.