ルノホート(ロシア語: Луноход)計画はソビエト連邦が1969年から1977年にかけて計画した月へのロボット探査車の投入計画。ルノホートはロシア語で月を歩行する者という意味を持つ。1969年ルノホート1Aは打ち上げ中に破壊され、1970年のルノホート1号と1973年のルノホート2号が月に着陸した。1977年には3号機が打ち上げられる予定であったがこれは達成されなかった。
成功したミッションはゾンド計画やルナ計画の月ミッションと並行して行われた。ルノホートは最初はソビエト・ムーンショット計画のために設計され、遠隔操作式のロボットで表面を探査し、写真を送り返す計画であった。ルノホートはプロトンロケットによって打ち上げられ、ルナ探査機によって月面に到着した。ルノホートのために作られたルナ探査機の月着陸部分はサンプルリターンミッションのものと類似していた。ルノホートの設計はラボーチキンのアレクサンドル・ケムルジャンが行った。1997年のマーズ・パスファインダーまでは他天体に送られた唯一の遠隔ロボット車両であった。
2010年、NASAのルナ・リコネッサンス・オービターが信号が失われ位置の把握ができなくなっていたルノホート1号の轍と最後の位置を発見し、研究者はテレスコープ・パルスレーザー測距計によってルノホートの再反射を検出した。
ルノホートのもともとの計画は後の月面有人着陸と、月面基地のための地形探査であった。また、有人宇宙機の精密着陸のためのラジオビーコンを提供することも意図しており、さらに探査車は何らかの障害が発生した場合、バックアップ用のLK着陸船への宇宙飛行士一人の移動のために設計されていた。アポロ計画の成功後は月面の遠隔探査のために利用されることとなった。
1968年半ば、シンフェロポリ近郊ШкольноеのКИП-10とНИП-10(KIP-10、NIP-10)でルノドロームが製造された。これは月面の一部に似せた120メートル×70メートルのおよそ1ヘクタールの範囲の実験施設で、3000立方メートルの土砂を使って建設され、最大で直径16メートルの物を含む54のクレーターやさまざまな大きさの160個の岩なども設置されており、施設はレンガで囲まれ、灰色と黒色に塗られていた。この施設はルノホートのシャーシの問題を分析するために使われた。
最低でも4機の完成した探査車が製造され、201、203、204、205とナンバリングされた。
極秘の開発と運用訓練の後、最初のルノホート(vehicle 8ЕЛ№201)が1969年2月19日に打ち上げられた。しかし、数分後にロケットは分解し、これによってルノホートも失われた。ソ連の崩壊まで他国はロケットにルノホートが積まれていたことを知ることがなかった。この初号機の失敗のあとソ連の技術者はすぐに次の月面車の準備を始めた。
ルノホート1号(vehicle 8ЕЛ№203)はソ連が最初に月面に投入成功した月面車である。ルノホート1号はルナ17号に乗せられており、ルナ17号が月面にルノホート1号を輸送した。またルノホート1号は世界初の遠隔操作型のロボット月面車であった。
ルナ17号は1970年11月10日14時44分01秒(UTC)に打ち上げられ、待機軌道に乗せられた後、1970年11月10日14時45分(UTC)にルナ17号の最終段で月遷移軌道に乗せられた。11月12日と14日に2回のコース修正を行い、15日22時00分に月周回軌道に乗せられた。その後、11月17日3時47分(UTC)に雨の海に軟着陸し、ルノホート1号は2本のスロープを持つ着陸機から6時28分に月面に降りた。
真空で稼動するために、それぞれの車輪ハブに一つある機械部品と電気モーターには特殊なフッ素ベースの潤滑油が使われており、これらは加圧空間内に入れられていた。
ローバーは月での昼に稼動し、時折太陽光パネルによる電池の蓄電のために停止した。夜になると次に日が当たるまでローバーは冬眠状態となり、機械の故障を避けるため放射性同位体加熱ユニットで暖められていた。
ルノホート2号(vehicle 8ЕЛ№204)は2機目でより先進的な月面探査車。1973年1月8日に待機軌道に打ち上げられ、その後月遷移軌道に乗せられた。1973年1月12日にルナ21号は月周回軌道の90~100kmの高度まで下げられた。
ルナ21号は月に着陸し、ルノホート2号を展開した。計画の第一目標は月面画像の収集、月からの天文観測の可能性を判断するための周囲の光のレベルの調査、地球からのレーザーによる測距実験、太陽X線の観測、月の磁場の測定、月面物質の機械的特性の研究などであった。1973年1月15日23:35分に月面座標北緯25.85度、東経30.45度のル・モニエクレーターに着陸を行った。
着陸後、ルノホート2号は周囲の画像を収集し、着陸機からの傾斜路を降り、1973年1月16日1時14分に月面に到達し、ルナ21号着陸機の写真と着陸地点の画像を撮影した。
ルノホート3号 (vehicle 8ЕЛ№205)は1977年の月着陸を目指して製造された。しかしながら予算と打ち上げ機が確保できなかったために打ち上げられることはなかった。NPOラボーチキン博物館が所有している。
ルノホート1号は332日の運用で10.5kmを走行し、20,000枚の画像と206枚の高解像度パノラマ画像を地球に送信した。加えて、RIFMA蛍光X線分析装置で25回の土壌の分析を行い、透過度計は500回それぞれ違う場所で利用された。
ルノホート2号はおおよそ4ヶ月にわたり運用され、丘陵の高台や溝地を含む37kmを走行し、2013年1月の時点でも月と火星探査ローバーの移動距離で最長記録を保持している。86枚のパノラマ画像、80,000枚の画像が地球に送られたほか、月面への機械的試験、レーザー測距実験、その他の実験も完了させた。
現在の探査車と比較すれば、NASAの同規模の探査車であるマーズ・エクスプロレーション・ローバー、スピリットとオポチュニティは2009年1月に5年目を迎え、125,000枚の画像を送信しているがルノホート2号の移動距離の記録はまだ破られていない。
Jean Afanassieffによるフランスのドキュメンタリー映像"タンク・オン・ムーン"によると、1986年4月26日のチェルノブイリ事故によってルノホートの設計に再び脚光があたったとされる。東ドイツはソビエト民間防衛軍向けに遠隔操作ブルドーザーを製作したが、これは爆発で破壊され部分的に残った原子炉建屋の屋上での運用には重すぎた。強力な電磁放射線によって労働シフトが90分に制限されていたため、人間の労働者は効率的に考えて瓦礫の除去に採用することができなかった。
引退していたルノホートの設計者が呼び戻され、2週間で電子システムが放射線に対抗するために強化されて、ラック内部の温度調整のために核崩壊熱源を使った車両が作られた。これによって設計者たちが迅速に原子力災害復旧作業用の派生車両を考案することを可能となった。7月15日、STR-1と呼ばれる2台のローバーがチェルノブイリに搬入され、瓦礫の除去能力を証明し、設計者は賞を獲得した。しかし、非常に強力な放射線によって瓦礫除去車両のほとんどが失敗に終わり、結局はリクビダートルと呼ばれる人間の労働者が働くこととなった。
チェルノブイリ事故を描いた2019年のテレビドラマ『チェルノブイリ』でもこのエピソードは取り上げられ、STR-1を使って原子炉建屋屋上のうち比較的低汚染度の区画の瓦礫除去を行っている。作中では汚染度の高い区画ではSTR-1を使用できないことから、西ドイツから「ジョーカー」という遠隔操作ブルドーザーを導入してその区画の瓦礫除去を行おうとしたが、作業開始数秒後に回路が焼き切れて故障したため(ソ連政府が「地球規模の核災害は起きていない」という建前の下、西ドイツに対し実際の放射線量よりも低い数値を伝えて導入した)、リクビタートル(作中では「バイオロボット」と呼称)が投入されることとなる。
2010年まで、ルノホート1号の最終位置は数キロ単位で不確かであり、月面レーザー測距実験は1970年代以降逆反射器から戻ってくる信号の検出に失敗していた。 しかし、2010年3月17日、Albert Abdrakhimovはルナ・リコネッサンス・オービタの撮影した画像M114185541RCにランダーとローバーの両方を発見し、4月22日にはTom MurphyとRusset McMillanがアパッチポイント天文台の望遠パルスレーザー測距器によってルノホート1号の逆反射器を検出した。
ルノホート2号は月面レーザー測距実験による検出が継続しており、その位置は数十センチ単位の精度で知られている。
ルノホート2号とルナ21号の所有権とはラボーチキン社が1993年の12月にニューヨークのサザビーズで競売にかけ、68,500USドルで売却された (although the catalog incorrectly lists lot 68A as Luna 17/Lunokhod 1).。購入者はコンピュータゲーム会社の社長で、宇宙旅行の経験もあるリチャード・ギャリオットであった。彼はゲーム雑誌へのインタビューの中で「月面に唯一民間人として物を所有している」として月の所有権を主張している。2007年にはギャリオットがルノホートの保有者であると公表している。
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