ヨハン・フリードリヒ2世(Johann Friedrich II., 1529年1月8日 - 1595年5月19日)は、ザクセン公(在位:1554年 - 1566年)。ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世とジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルクの長男。
ヨハン・フリードリヒ2世 Johann Friedrich II. | |
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ザクセン公 | |
在位 | 1554年3月3日 - 1566年12月12日 |
出生 | 1529年1月8日 神聖ローマ帝国 ザクセン選帝侯領、トルガウ |
死去 | 1595年5月19日(66歳没) 神聖ローマ帝国 シュタイアーマルク公領、オーバーエスターライヒ、シュタイアー城 |
埋葬 | 神聖ローマ帝国 ザクセン公領、コーブルク、モーリッツ教会 |
配偶者 | アグネス・フォン・ヘッセン |
エリーザベト・フォン・デア・プファルツ | |
子女 | ヨハン・フリードリヒ フリードリヒ・ハインリヒ ヨハン・カジミール ヨハン・エルンスト |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世 |
母親 | ジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルク |
父ヨハン・フリードリヒ1世は1547年にザクセン選帝侯位を皇帝カール5世に剥奪されたため、ザクセン公位のみを継承した。1555年にヘッセン方伯フィリップ1世の娘でザクセン選帝侯モーリッツの未亡人アグネスと結婚したが、同年に産褥死した。
1558年にプファルツ選帝侯フリードリヒ3世(1559年に継承)の娘エリーザベトと再婚し、4男をもうけた。成人に達したのは2人である。
ヨハン・フリードリヒ2世は1566年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の捕虜となり、弟ヨハン・ヴィルヘルムがザクセン公となった。しかし1572年にマクシミリアン2世の裁定により、ヨハン・フリードリヒ2世の存命していた2人の息子とヨハン・ヴィルヘルムの間で所領の分割が行われた。
1595年、ヨハン・フリードリヒ2世は虜囚として生涯を終えた。
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