マクシミリアン2世(ドイツ語:Maximilian II, 1527年7月31日 - 1576年10月12日)は、神聖ローマ皇帝(在位:1564年 - 1576年)・ハンガリー国王(在位:1563年 - 1572年)・ボヘミア国王(在位:1562年 - 1575年)。ハプスブルク帝国の礎を築いたフェルディナント1世と皇后アンナの息子、マクシミリアン1世とカスティーリャ女王イサベル1世の曾孫、シャルル突進公の玄孫でありカスティーリャ王フアン2世の玄孫、フィリップ善良公とカスティーリャ王エンリケ3世の来孫、ジャン無怖公とカスティーリャ王フアン1世の昆孫、フィリップ豪胆公とカスティーリャ王エンリケ2世の仍孫であり、フェリペ3世は孫、フェリペ4世は曾孫、レオポルト1世は玄孫、カルロス2世とヨーゼフ1世とカール6世は来孫、マリア・テレジアは昆孫、マリー・アントワネットは仍孫である。皇帝としてカトリック教徒に留まりながらプロテスタントにも理解があり、平和を保ち続けた。
マクシミリアン2世 Maximilian II | |
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神聖ローマ皇帝 | |
マクシミリアン2世 (ニコラ・ヌーシャテル画 ウィーン美術史美術館蔵) | |
在位 | 1564年7月25日 - 1576年10月12日 |
別号 | ハンガリー国王 ボヘミア国王 オーストリア大公 |
出生 | 1527年7月31日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国 ウィーン |
死去 | 1576年10月12日 神聖ローマ帝国 帝国自由都市レーゲンスブルク |
埋葬 | 神聖ローマ帝国 ボヘミア王国 プラハ 聖ヴィート大聖堂 |
配偶者 | マリア・デ・アブスブルゴ |
子女 | 後述 |
家名 | ハプスブルク家 |
王朝 | ハプスブルク朝 |
父親 | フェルディナント1世 |
母親 | アンナ・ヤギエロ |
サイン |
マクシミリアン2世は宗教改革における争いでルター派に共感を抱いていたが、父が廃嫡を仄めかしてそれを禁じたため、カトリックに留まり、プロテスタント派の諸侯を失望させた。
皇帝になった後、マクシミリアン2世はプロテスタント派に宗教の自由を認め、同時にカトリックを改革しようとしたが、スペインの反対により失敗した。ハンガリーにおいてはオスマン帝国の駆逐に失敗し、スルタンにキリスト教徒に対する保護金を払い続けていた。
1570年には軍の実権を握ろうとしたが、これを警戒するプロテスタント諸侯の反対で失敗した。同年、ハンガリーの対立王ヤーノシュ・ジグモンドが王位請求を放棄、マクシミリアン2世の王位を認めた。これと引き換えにヤーノシュ・ジグモンドをトランシルヴァニア公とした。
1573年に一旦ポーランド国王に選出されたが、これを実効支配することはできなかった(ポーランド王位は宿敵ヴァロワ家のフランス国王 アンリ3世に奪われる)。
1547年、ミュールベルクの戦いを契機にプロテスタントを知ったとされる。カトリックとプロテスタントの宗教和議に奔走し、現代の歴史家には「コスモポリタンで、人文主義、エラスムス主義キリスト教の代表者」と評されているが、当時の宗教対立の激化で人文主義、エラスムス主義キリスト教はニコデモ主義と批判された。 そのためカトリックを守護するはずの神聖ローマ皇帝でありながら、マクシミリアンはプロテスタント寄りの姿勢をとる。皇帝兼スペイン国王の伯父カール5世から、皇帝不在時のマドリード総督に任命され、スペインで暮らしたこともある。しかしスペインでの生活はプロテスタント的なマクシミリアンには合わなかった。語学が堪能で、自然科学にも造詣が非常に深かったとされる。
1548年に皇帝カール5世の娘で従妹に当たるマリア・フォン・シュパーニエンと結婚した。2人の間には16人の子供が生まれた。
爵位・家督 | ||
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先代 フェルディナント1世 | 神聖ローマ皇帝 1564年 - 1576年 | 次代 ルドルフ2世 |
爵位・家督 | ||
先代 フェルディナーンド1世 | ハンガリー国王 1564年 - 1576年 | 次代 ルドルフ |
爵位・家督 | ||
先代 フェルジナント1世 | ボヘミア国王 1564年 - 1576年 | 次代 ルドルフ2世 |
爵位・家督 | ||
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先代 フェルディナント1世 | オーストリア大公 1564年 - 1576年 | 次代 ルドルフ5世 |
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