フライドチキン(英: fried chicken)とは、鶏肉に、小麦粉などからつくった衣をまぶして、食用油で揚げた料理。
フライドチキン | |
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フライドチキン鶏肉の各部位、左上から時計回りに、胸、手羽、腿、足 | |
フルコース | アントレ |
発祥地 | アメリカ合衆国 |
地域 | アメリカ合衆国南部 |
主な材料 |
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Cookbook ウィキメディア・コモンズ |
4世紀の古代ローマの料理本『アピキウス』には、「Pullum Frontonianum」と呼ばれる揚げた鶏肉のレシピが載っている。
アメリカにおけるフライドチキンの起源はアメリカ合衆国南部の黒人奴隷のソウルフードにある。スコットランドでは、イギリス風の焼く、または茹でる鶏肉の食べ方とは異なり、揚げる調理法が一般的であった。アメリカ南部に移民したスコットランド移民の鶏肉料理が、黒人の使用人に伝わり、現在の調味料や香辛料を使用したアメリカ風フライドチキンの調理法が形作られたといわれている。ブロイラー法登場前は牛肉よりも高級品であった鶏肉は胸肉などが白人に供され、骨の多い部位の調理法であったフライドチキンは、黒人だけが食べるソウルフードであった。彼らが白人農園主の邸宅の台所で調理を任されていた背景から、白人の食卓にも上るようになり、フライドチキンは南部の白人食文化にとっても欠かせない料理へと変化していった。
ヨーロッパの料理では昔から一般に揚げ物は労働階級や低所得者の食事とみなされてきた。これは長時間油で揚げることで、鮮度の落ちた食材や、骨や皮の多い食べづらい安価な部位が食べられるようになるという理由からである。フライドチキンには骨付きの手羽や脚まで使用されているが、これらはナイフとフォークで食べることができないため、西欧の白人社会においては出汁を取る以外では捨てる部位であった。歴史的には20世紀中ごろまで、アメリカでフライドチキンは「南部の黒人奴隷の食べ物」として偏見の目で見られ、白人富裕層は食べることはなかった。黒人のステレオタイプで、好物がフライドチキンとされるのはそこに由来する。フライドチキンがアメリカ中に広がり、21世紀では世界的なアメリカ料理となった背景には、ファストフードチェーン(特にKFC)の影響が大きい。また、21世紀以降のアメリカでは、鶏の骨や皮が多い部分についても、かつてのごみのような扱いは無くなり一定の商品価値が認められている。
1747年に日本の文献に現れたから揚げ(鶏のから揚げ)や、発祥年が不明な竜田揚げなどが類似している。手羽先唐揚げはフライドチキンに近い料理である。
から揚げ・竜田揚げが肉に調味を施すのに対しフライドチキンは衣となる粉に調味料を混合する点が異なる。
日本のフライドチキン販売業者は、日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)がシェアを占めている。日本では鶏肉の揚げ物が食べられており、1970年の大阪万博に同店が出展し、その年の11月21日に名古屋に出店。その後は日本各地に店舗を広げていった。その後商業的にフライドチキンへ参入する会社は少なく、ロッテリア、モスバーガー、すかいらーくが参入した程度にとどまった(すかいらーくはその後撤退)。また前2者のファーストフードチェーンでもフライドチキンが主力商品になるには至っていない。そのためしばらくフライドチキン=KFCの図式は続いた。
2000年10月10日に沖縄ファミリーマートで骨付きのフライドチキンを発売。 2004年10月にファミリーマートがフライドチキンを刷新。同社社長(当時)の上田準二が、伊藤忠商事在籍時に約30年に渡り畜産事業を担当したノウハウを生かし、2005年度に6000万本を売り上げ、販売本数はKFCに続き国内2位となる。2006年にはファミチキを発売。さらにローソンもフライドチキンに参入し、半年で2000万本の売り上げを記録。2009年にはLチキを販売。こちらは社長(当時)の新浪剛史が、三菱商事在籍時にKFCを担当し社外取締役を務めた経歴がある。また、セブンイレブンも2017年からななチキを販売している。
日本ではまだ七面鳥が一般家庭で手に入りにくい時代に日本ケンタッキー・フライド・チキンによるマーケティングが行われた結果クリスマス料理として食べる風習が産まれた。
オリオンビール公式サイトによると、もともと沖縄県には鶏肉を食べる習慣があまりなかったが、フライドチキンを好むアメリカ人の影響を受けてフライドチキンを食べるようになり、遂にはケンタッキーフライドチキンの消費量が全都道府県中1位となったという。沖縄県内ではごはんのおかずとしても広まっており、祝いやパーティの食事としても馴染みが深い。ケンタッキーフライドチキンの店舗のない離島住民が沖縄本島からの帰りに土産として持って行くこともしばしばだという。
チェーン店のフライドチキン店は1975年に誕生、1980年代にヤンニョムチキンが登場するようになり1984年にはKFCが出店するなどフライドチキンが普及した。サッカー、野球などのスポーツ観戦にはビールとフライドチキンが定番となっていてこの組み合わせはチキンと韓国語でビールの「メクチュ」の頭文字を取って「チメク」と呼ばれる。
近年では『起承転鶏(チキン)』という造語が生まれるなど、フライドチキンは韓国人にとって非常に身近な食べ物である。この言葉の意味は、公務員になるか財閥系の大企業に入る以外は、たとえ大学を卒業し就職しても最終的にはリストラに遭い、フライドチキン店を開く羽目になるというもので、韓国社会の現状を皮肉った若者言葉とされている(「三放世代」「ヘル朝鮮」も参照)。
2017年にはフライドチキン店が4万店以上ありこれは世界中にあるマクドナルドの店舗数3万5,429店を上回る。そのため競争が激しく2016年の統計では新たに出店した数は3,980店、閉店した店は2,973店となっている。過剰とも言えるフライドチキン店の背景には韓国の自営業率の高さが関係している、アジア通貨危機により職を失った人達が小資本と少ない手間で出来るフライドチキン店を選んだ為である。
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