パンプキン爆弾(パンプキンばくだん、かぼちゃ爆弾、Pumpkin bomb)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾。弾体が橙黄色に塗装されていたことから「パンプキン」の名がある。1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾(原爆)「ファットマン」の模擬爆弾として知られ、日本では一般に模擬原爆(もぎげんばく)と呼ばれている。
正式名称は「1万ポンド軽筒爆弾」(Light-case,10,000-pound weapons)。ファットマンとほぼ同一の形状を有し、質量もファットマンとほぼ同一になるよう調整された模擬原爆で構造分類上での通常型爆弾のコードネームである。マンハッタン計画に携わる、ロスアラモス研究所の科学者と兵士によって命名された。
この爆弾は原爆投下に備えた爆撃機乗員訓練のためと、今までに例のない特殊な形状をしたファットマンが爆撃機(原爆搭載が可能なように特別に改修したB-29)から投下され爆発するまでの弾道特性・慣性能率等の様々な事前データ採取のために、いわば「模擬原爆」として製作された。
しかし、それは同時にアメリカの原爆関係者にとって、リトルボーイ型原爆(それまでに開発されたシンマン (英語: Thin Man=やせ男)は形状こそ似ていても大きさも細部の形状も異なっていた)は、基本的な技術データに欠け、事前にその形状を予測できなかったという不可解な状態にあった事を示唆していると言える。
爆弾重量1万ポンド(4.5トン)、爆弾重量比51%、高性能接触信管 AN-MK219 instantaneous nose fuz (s) es を3個を装着している。
ファットマンとパンプキン爆弾の内容物を除く主な相違点は、爆弾前部に取り付けられた触発信管の数(ファットマンは4基、パンプキン爆弾は3基)とファットマンを起爆させるためのレーダー・無線装置の有無と爆弾外殻の組立方式(ファットマンはボルト結合、パンプキン爆弾は溶接結合)の3つである。
パンプキン爆弾は内容物によって2種類が存在し1つはTNT火薬を主成分とした高性能爆薬を充填したタイプ、もう1つはセメントや石膏を用いたコンクリート混合物が充填されたタイプであった。いずれのパンプキン内容物もファットマン原爆の内容物球体コア(プルトニウムと、それを核分裂させるシステム。爆縮レンズ)とほぼ同一の形状・比重・質量配分になるよう調整され、爆弾内部のコア配置位置も全く同じとされた。これにより、原爆投下行動に対する有効な事前データが採取できたといわれる。
なお、当時の日本の新聞では「1トン爆弾」と表現しているものが多い。
投下の目標とされたのは原爆投下候補地だった京都市、広島市、新潟市、小倉市の各都市を4つのエリアに分けた周辺都市(広島市ならば宇部市、新居浜市など、新潟市ならば富山市、長岡市など)にあった軍需・民間の大規模工場・鉄道操車場等であった。1945年7月20日、新潟エリアである富山市・長岡市・福島市・東京都(実例の一部として、現在の練馬区大泉学園地区、西東京市の西武柳沢駅近辺)へ計10発投下されたのを皮切りに、18都府県30都市に52発(うち1発は任務放棄し爆弾は海上投棄された)が投下された。第509混成部隊によって1945年7月20日、24日、26日、29日と8月8日、14日に投下され 、全体で死者400名・負傷者1300名を超す被害が記録されている。
以下は主な例(目標地点は「Supplementary Table Twentieth Air Force Special Bombing Missions 509th Composite Group「509th CG表」による)。
なお、投下は爆撃手の目視によると厳命されており、天候などの制約があるため、必ずしも目標地点に投下された訳ではない。アメリカ軍の資料によれば、指定された目標に投下できない場合には臨機目標としてどの都市でもいいので町の真ん中に落とすようにという指示があったとされる。そのため、7月26日の訓練では天候悪化により富山の軍需工場への爆撃に失敗しその帰りに島田市(島田空襲)、焼津市、静岡市、名古屋市、大阪市など軍需工場とまったく関係ないところにまで投下されたというような例もある。
搭載機は原爆投下任務時同様にパンプキンを目視にて投下後、速やかに155度の急旋回・急加速にて回避行動をとることとされた。これは原爆投下後、搭載機を含めた攻撃部隊が爆発(爆風)に巻き込まれることを避けるためである。
これに関して、工藤洋三・金子力は異なる見解を著書『原爆投下部隊』で示している。
もっとも、原爆投下任務全てにおいて爆撃機乗員の生命の安全は何ら保障されていなかったようである。
戦後、米戦略爆撃調査団はパンプキンに対して「当該爆弾が目標に直撃及び至近弾となった場合、目標に相当量の構造的被害を与える非常に合理的かつ効果的な兵器であった」との評価を下した報告書をまとめている。原爆投下より前の模擬投下は「フェーズI」として行われ、その後「フェーズII」として8月14日に春日井市に4発、挙母町(現豊田市)に3発投下され、トヨタ自動車工業の工場などが被災している。これは戦後にこの爆弾を使用して効果が得られるかどうかのテストとして行われたもので、有効な兵器とされたが生産コストに見合わないとして不採用とされた。そのため、テニアン島に残っていた66発のパンプキン爆弾はその場で海に沈められ破棄された。爆弾の破棄には機密保持の意味もあったとされる。
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