バルラージ・サーヘニー( パンジャーブ語: ਬਲਰਾਜ ਸਾਹਨੀ ヒンディー語: बलराज साहनी、 1913年5月1日-1973年4月13日)は、インドの俳優。映画においては社会派のヒンディー映画を代表する俳優の一人であり、演劇においてはインド人民演劇協会( IPTA、 (Indian People's Theatre Association) ) の中心で活躍した。
バルラージ・サーヘニー ਬਲਰਾਜ ਸਾਹਨੀ | |
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バルラージ・サーヘニーと妻のダムヤンティー・サーヘニー | |
生年月日 | 1913年5月1日 |
没年月日 | 1973年4月13日(59歳没) |
出生地 | イギリス領インド帝国ラーワルピンディー |
死没地 | インドムンバイ |
国籍 | インド |
職業 | 俳優、作家 |
活動期間 | 1946年-1973年 |
配偶者 | ダムヤンティー・サーヘニー |
著名な家族 | ビーシュム・サーヘニー、パリークシト・サーヘニー (Parikshit Sahni) |
主な作品 | |
『2エーカーの土地 (Do Bigha Zamin) 』 |
イギリス領インド時代のパンジャーブ地方ラーワルピンディーに生まれる。パンジャーブ語の家庭に育ち、ヒンディー語とサンスクリット語の教育を受けて育つ。1934年にラホールのガヴァメント・カレッジで英文学修士課程を修了し、父の商売を手伝ったのちに、雑誌編集者、BBCのヒンディー語アナウンサーなどの職業を経て俳優としての活動を始める。
ムンバイに移住後はインド人民演劇協会で活動し、インドやヨーロッパの戯曲に出演した。経済的に困窮する中で映画俳優の活動もはじめ、ベンガル飢饉 (Bengal famine of 1943) を扱った映画『大地の子』に出演。妻のダムヤンティー・サーヘニーも俳優だったが1947年に死去し、同年にインド・パキスタン分離独立が起き、バルラージはシュリーナガルの両親に子供を預け俳優活動を続ける。ビマル・ロイ監督の『2エーカーの土地 (Do Bigha Zamin) 』(1953年)での演技が高く評価され、同作品は1954年に第7回カンヌ国際映画祭の国際賞を受賞した。1969年にはインド政府から国家勲章であるパドマ・シュリー勲章を受賞した。
映画俳優として成功したのちは、故郷のパンジャーブを意識した活動が増える。カシミールの詩人メヘジュール (Mahjoor) を題材として、カシミール語による初の劇映画を製作し、パンジャーブ語の戯曲に参加し、パンジャーブ語でパキスタンとロシアの紀行、戯曲、エッセイ、詩などを創作した。IPTAの活動としては、戯曲『最後の燭光』でウルドゥー語の詩人ガーリブを演じた。息子のパリークシト・サーヘニー (Parikshit Sahni) も俳優であり、弟のビーシュム・サーヘニーは作家となった。
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