586,852人(2021年12月31日現在)
紋章 | 地図 | ||||||
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基本情報 | |||||||
連邦州: | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | ||||||
行政管区: | アルンスベルク行政管区 | ||||||
地域連合: | ヴェストファーレン=リッペ地域連合 | ||||||
ルール地域連合 | |||||||
郡: | 郡独立市 | ||||||
面積: | 280.71 km2 | ||||||
人口: | |||||||
人口密度: | 2,091 人/km² | ||||||
標高: | 海抜 50-254 m | ||||||
郵便番号: | 44001 から 44388 | ||||||
市外局番: | 0231、02304 | ||||||
緯度経度: | 北緯 51度 30分 58秒 東経 07度 28分 06秒 | ||||||
ナンバープレート: | DO | ||||||
自治体コード: | 05 9 13 000 | ||||||
UN/LOコード: | DE DTM | ||||||
市の構成: | 12 市区 | ||||||
市庁舎の住所: | Friedensplatz 1 44122 Dortmund | ||||||
ウェブサイト: | www.dortmund.de | ||||||
E-Mail: | [email protected] | ||||||
行政 | |||||||
上級市長: | トーマス・ウェストパル (Thomas Westphal) (SPD) | ||||||
住民 | |||||||
失業率 | 10.1 % (2018年12月31日現在) | ||||||
外国人 | 18.2 % (2018年12月31日現在) | ||||||
大学等の学生数 | 約 52.750人 (2019年夏期) | ||||||
年齢構成: (2018年12月31日現在) |
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地図 | |||||||
ドルトムント(標準ドイツ語: Dortmund, ヴェストファーレン方言: Düörpm)は、ドイツ連邦共和国の都市。ノルトライン=ヴェストファーレン州に属する。人口はおよそ58万人。
かつての工業地帯として知られるルール地方の代表的な都市。交通の要衝で、鉄道の結節点であり、ドルトムント・エムス運河を通じて北海と航路がつながっている。近隣の都市としては、西にボーフムが隣接し、約50キロ北にミュンスター、95キロ東北にビーレフェルト、55キロ南西にデュッセルドルフが位置する。デュッセルドルフから特急ICEで40分程度。石炭と鉄鉱石を産出し、鉄鋼工業が栄えると共に、ミュンヘンと並ぶ世界有数のビール生産地であったが、産業の構造変化によって衰退し、現在はハイテク産業や第三次産業に力を入れている。
小惑星(5199) Dortmundはドルトムントに因んで命名された。
ドルトムントは880年の公文書 にThrotmanniとして最初に言及された。1152年に、バルバロッサ(フリードリヒ1世)がこの地域を訪れ、火災にあった街を再建した。バルバロッサが2年間ドルトムントに住んだ後、帝国でも有数の街に成長する。13世紀にハンザ同盟に参加し、1220年、皇帝と直接の従属関係になる帝国自由都市の地位を獲得する。1320年以降、"Dorpmunde" の名で裕福な貿易都市として文書に書かれている。
ナポレオン戦争後、1803年に帝国自由都市の地位を失い、プロイセン王国に組み込まれる。 19世紀より産業革命が進展すると、工業都市の一つとして繁栄し、石炭、鉄、ビールの中心地となる。
ルール地方東部の中心都市であるため、近隣都市とともに連合国軍爆撃の標的となった。第二次世界大戦時は2/3の家が破壊された。
戦後、ドルトムントは「鉄と石炭の町」として、ドイツの復興に貢献した。市内の各地には炭坑があり、市北部にはヴェストファーレン製鉄所、南部にはフェニックス製鉄所と、大規模な製鉄所が大量の鉄を生産した。また、都心の近くのウニオン、ティア、アクティーンなど、多数のビール工場があり、ミュンヘンと肩を並べるビール都市であった。しかし、石炭から石油へのエネルギー革命や、新興国の発展等により、市を支える産業は大きく変化した。炭坑はすべて廃止され、2つの大製鉄所も生産を停止し、ビール工場は統合されて1社が残るのみである。
今日、ドルトムントはハイテク産業の街として再建しようとしており、1984年にドルトムント大学の近くにドイツ初のテクノパークが建設されている。さらに、市南部のフェニックス製鉄所跡地では、第2のテクノパークの建設が進められている。そのそばにあるヴェストファーレン公園のテレビ塔に昇り、展望台から市内と見回すと、市内各地に緑があふれている様子がわかる。2010年には、工場跡地を利用した広さ24haのフェニックス湖も完成した。この人造湖は、エムシャー川再生の一環として、遊水池機能も有している。
また、1973年からは、毎年夏にドルトムント・チェス・トーナメントが行われており、国際的にも注目されている。
帝国自由都市としてドルトムントは自ら宗教的諸問題を解決し、1570年に独自の教会統治権を手にした 。ドルトムントではルター派教会が支配的であり、1786年まで改革派の教会設立は全く許されなかった。1625年にドルトムント市参事会は市独自の教会監督を選出した。都市として自立した教会管理をおこなっていたため、プロイセン福音主義教会に併合後も、ドルトムントは1つの教会地区として教会管理することが認められた。後年、ドルトムント教会地区は4つに分けられた。
20世紀に入って、ルター派の間で教会間の連携が弱くなっていることが意識されるようになった。第1次世界大戦後、教会からの離脱者が増加し続けた。1960年にドルトムント教会地区は4つに分割された。ドルトムント中央、北東、南、西の教会地区に分かられたが、2002年に中央と北東は統合された。2014年1月1日に、ドルトムントにある24の教会共同体と隣接するリューネン地区の4つの教会共同体が集まり、ヴェストファーレン福音主義教会ドルトムント教会地区として再編された。 ドルトムントの福音主義教会は1980年までは市民の多数を信徒としていた。しかし、その段階で市内のケンミングハウゼン地区、ブレヘテン地区、リンデンホルスト地区では少数派に転落していた。ドルトムントにおいて、最近、ヴェリングホーフェン改革派教会共同体が他の教会共同体に統合されたため、市内から改革派教会共同体が姿を消してしまった。
鉄道と空港が整備されているドルトムントは、広域交通の拠点である。とくに、ドルトムント中央駅はドイツ鉄道にとって重要な駅で、多数のICE(ドイツ新幹線)が発着している。ドルトムント空港は、市の東部にある。滑走路が2,000mで、夜間発着制限もあるので、滑走路の延長や運用時間拡大が検討されているが、騒音を問題とする市民が反対している。
市内の交通は、市の子会社であるDSW21が経営する電車とバスの公共交通ネットワークが各地を結んでいる。その中心となっているのがLRT(ライトレール)で、1881年に馬が曳く形で登場した。その後蒸気機関に転換され、1894年からは電気で走る路面電車も導入された。路面電車からLRTへの転換は1960年代末に決定され、1980年代に入ると、都心でも路線を地下に移す工事が始まった。都心で最後まで残り、まだ路面電車が走っていた東西方向の路線も、2008年4月に地下に移され、都心から地上路線が消えた。この間に車両の改善も進められ、現在、DSW21は年間に延べ1億人を超える人員を輸送し、文字どおりドルトムント市民の足となっている。
ドルトムントを本拠地とするサッカーチームの「ボルシア・ドルトムント」は、創立110年以上の歴史をもつヨーロッパを代表するビッグクラブである。1990年代から2010年代にかけてブンデスリーガの優勝を争い、1996-97シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグを制覇し、ブンデスリーガのクラブで初めてインターコンチネンタルカップ制覇も成し遂げた。
2010-11シーズンから2011-12シーズンにかけて、ブンデスリーガとDFBポカールの2冠を2連覇し、2012-13シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで準優勝の成績を収めている。地元では根強い人気があり、毎試合およそ8万人の観衆がホームスタジアムのジグナル・イドゥナ・パルクに詰め掛ける。観客動員数はバイエルン・ミュンヘンなどを抑え、毎年ドイツ国内ではランキング1位となっている。
ドルトムント最大のライバルは同じルール地方のゲルゼンキルヒェンを本拠地とする「シャルケ04」であり、この試合はルールダービーと呼ばれる。また、ドルトムントは2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会の開催都市の一つであり、ジグナル・イドゥナ・パルクでも試合が行われており、グループリーグの日本vsブラジルや準決勝のドイツvsイタリアなど、計6試合がこのスタジアムにて開催された。
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