トーネード IDS / ECR(Panavia Tornado IDS / ECR)は、イギリス、西ドイツ(開発当時)、イタリアが国際協同開発し、英・独・伊・サウジアラビアで運用されている戦闘攻撃機。マルチロール機でもあるため、主に航空阻止を主任務とし、プロジェクトにおいて合理化のため要撃、近接航空支援、艦艇攻撃、偵察など多数の派生型が開発された。名称の「トーネード (Tornado)」は、竜巻の意。
次世代機を共同開発する計画がヨーロッパ諸国とカナダの間で挙った際に、プロジェクトが本格的に実動する前にカナダ、ベルギー、オランダが計画から脱退したことからイギリス、西ドイツ、イタリアの3か国で開発された。実際には名称の通りイギリスが開発のほとんどを実施している。
実戦でもトーネードは湾岸戦争で最も危険な任務に従事し、入念な訓練や準備を重ねた作戦によって驚異的な戦果を挙げており、イラク戦争にも参加した。
1960年代の北大西洋条約機構の西ドイツ(当時)、オランダ、ベルギー、イタリア、カナダはF-104G スターファイターの後継の攻撃機の検討を行っていた。その結果、1968年1月に多任務航空機・MRA(Multi Role Aircraft)、後に多任務戦闘航空機・MRCA(Multi Role Combat Aircraft)の名称となる攻撃機の共同開発計画のワーキンググループが設置された。
イギリスはBAC TSR-2を1965年に開発中止し、F-111Kも1968年に開発中止、別途検討していたイギリス-フランス可変翼機(Anglo French Variable Geometry)計画も中止されたことから、改めてアブロ バルカンやブラックバーン バッカニアの後継機を選定する必要に迫られていた。イギリスは、1968年7月に参加覚書を交わしている。
1969年3月26日にイギリスのBAC、西ドイツのMBB、オランダのフォッカー、イタリアのフィアットの4社は西ドイツにパナヴィア・エアクラフト(Panavia Aircraft GmbH)を設立した。7月にはMRCA計画は6つの政府によって開始したものの、財政難を理由にベルギーとカナダが計画から脱退してしまった。後にベルギー空軍はジェネラル・ダイナミクスF-16 ファイティング・ファルコンをカナダ空軍はマクドネル・ダグラスF/A-18 ホーネットをそれぞれ選定した。しかし、10月にはMRCA計画の基礎が固まり、コストを抑えるため計画の進行に合わせて決定事項に署名する協定覚書をイギリス、西ドイツ、イタリアの3か国が準備して参加国に署名させた。
1969年7月にオランダのフォッカーが脱退したため、作業はイギリスと西ドイツが分割し、残りはイタリアが担当した。1970年にはパナヴィアと同様にイギリスのロールス・ロイス、西ドイツのMTU、イタリアのフィアットによってターボ・ユニオンが西ドイツで設立され、RB199ターボファンエンジンが開発された。
イギリスは将来的にF-4 ファントム IIに代わる防空戦闘機としての能力も欲していたため、イギリスは西ドイツとイタリアと単座にするか複座にするかで対立し、軍の要望によるECMの装備で価格が予定よりも高くなり、製造されたRB199 エンジンの性能不足などのトラブルも発生した。この戦闘機型の開発は、イギリスが独自に行うこととなり、後にトーネード ADVとして実用化されている。
試作機はイギリスで6機、西ドイツで6機、イタリアで3機の15機と地上試験用の1機を含めて計16機が製造された。西ドイツの試作機(P.01)は1974年8月14日に初飛行を行い、同月にトーネードと命名された。西ドイツ空軍や西ドイツ海軍航空隊、イタリア空軍は単にトーネードと呼称したが、イギリス空軍は地上攻撃・偵察(Ground attack/Reconnaissance)の用途を想定していたことからトーネード GRの名称を使用し、IDSはパナヴィアが阻止攻撃(Interdictor-Strike)型として呼称した。イギリスの試作機(P.02)は2ヶ月後の10月30日に初飛行したが、イタリアは導入を遅らせるために試作機(P.05)が初飛行したのは1975年12月5日であった。
MRCA計画で必要となったのは、多種多様な兵装の装備を可能にすることであり、試作機はテスト飛行以外にもこれらの試験に使用された。試作機のP.06はマウザー BK-27機関砲の搭載試験を行い、他の試作機もナビゲート・システム、操縦系統などの試験が行われた。しかし、こういったテストを繰り返していたこともあって、4名の殉職者と共に2機の試作機が事故で失われた。
1976年7月にイギリス空軍、西ドイツ空軍向けのバッチ1の生産が承諾され、トーネードは本格的に配備に向けて動き出した。垂直尾翼の付け根にあるフェアリングの形状を変更した点と単純な試用改修を除けば、試作機から外見に目だった改良は行われていない。1979年にはイギリス向けの防空型(Air Defence Variant)、トーネード ADVの試作機が完成し、イギリス、西ドイツ、イタリアの三国共同訓練期間(TTTE)の覚書が署名された。1981年9月にはイタリア空軍向けのトーネードが生産された。
STOL(短距離離着陸)性、経済性、運動性だけでなく速度性能も考慮して可変翼を装備した。また、STOL性を良くするために、重量増加と機構の複雑化を忍んでまで、戦闘機タイプの現代多用途機には珍しいスラストリバーサ(逆噴射装置)を取り付けている。その他の特徴としては、世界初採用はF-16 ファイティング・ファルコンに譲ったものの、早期にフライ・バイ・ワイヤを採用したことも特筆される。
また、上記どおり可変翼を装備しているが、主翼の角度に合わせて兵装パイロンの角度を変える翼角連動式のハードポイントを持っていて、主翼の後退角が変化しても兵装パイロンは常に進行方向を向く機構となっている。
冷戦時、トーネードは30発のSG357子爆弾と時限爆弾としても使用可能な215個のHB876地雷を散布する爆弾ディスペンサーのJP233を装備し、高速で低空侵入することでレーダーの探知を逃れつつ爆撃を行い、飛行場の機能を奪うことが任務であった。
その能力を冷戦において発揮することはなかったが、湾岸戦争においてトーネード GR.1だけが滑走路破壊兵器であるJP233の搭載能力と低空侵入能力を有していた。そのため、多国籍軍の空爆の第一撃を担った。F-4G、F/A-18などと連携してイラクの飛行場を効率的に爆撃し、イラク軍の航空機を封じ込め、多国籍軍の制空権獲得に大いに貢献した。
イラク軍も飛行場の防備に対空兵器を備え、それらの対空砲火は制圧任務を過酷なものにさせた。イギリスのメディアはトーネードが緒戦における制圧の完了によって戦術を変更すると、「損失が小さいものではなかったため、中-高高度からのレーザー誘導爆弾による攻撃へと戦術を変更」と報じるほどで、こういった根拠のない報道によってイギリスのみならず日本でもトーネードの評価は低い。多国籍軍が湾岸戦争で失った航空機の公式発表は64機だが、低空攻撃任務で失われたトーネードはわずか4機(6機、8機という説もある)で、軍の予想も下回る損失率であった。ただし、湾岸戦争で失われた航空機の中では、最も数多くの損失を出した機体でもある。
飛行場制圧任務を終えたトーネードは1月21日より、中高度から無誘導爆弾を使用する爆撃任務に投入されたが、命中精度に優れた爆撃ができず、急遽、ペイブウェイ誘導爆弾を使った精密爆撃を行うためAN/ASQ-153 ペイブ・スパイクレーザー照射ポッドを装備したブラックバーン バッカニアが派遣され、バッカニアがレーザー照射任務を引き受けることにより爆撃任務を遂行した。一方、トーネードだけで爆撃が実行できるように少数のTIALD(Thermal Imaging Airborne Laser Designator)ポッドも用意された。
2015年からアメリカ主導で実施されている生来の決意作戦にドイツ空軍のトーネードが偵察機として参加しているが、2016年に実施されたソフトウェア・アップデートの後、操縦室補助照明の照度がパイロットの視力に影響を与えるほど上がり、夜間作戦を実施できない状態になっているという。
出典: Aerospaceweb.org, Federation of American Scientists
諸元
8.60m(後退角67度)(45.63ft(後退角25度) 28.21 ft (後退角67度))
性能
武装
『最終兵器彼女』
OVAにて国連軍の戦闘爆撃機として登場。低空飛行で接近してから福岡市を爆撃するが、直後にミズキにミサイルで撃墜される。
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