ジョン・ピール(John Peel、本名:John Robert Parker Ravenscroft『ジョン・ロバート・パーカー・レイヴンズクロフト』、1939年8月30日 - 2004年10月25日)は、イングランドのラジオ・パーソナリティー、DJである。1967年からBBCのラジオ1において『ピール・セッションズ』という番組を持ち、世界中の最先端の音楽をかけたことで知られている。『100名の最も偉大な英国人』において、第43位に選出された。
ジョン・ピール John Peel | |
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生誕 | John Robert Parker Ravenscroft 1939年8月30日 イングランド ヘスウォール |
死没 | 2004年10月25日(65歳没) ペルー クスコ |
職業 | ラジオ・パーソナリティー、DJ |
1939年8月30日、リヴァプール近郊のチェシャー州(現在はマージーサイド州)ヘスウォールに生まれる。1957年から1959年までのあいだ、イギリス陸軍の砲兵隊にてB-2のレーダー操作員を務めた。その後、ロッチデールの工場に勤務した。
1960年にアメリカ合衆国へ渡り、テキサス州ダラスのラジオ局、WRRに勤務した。1963年、『リヴァプール・エコー』紙の記者としてケネディ大統領暗殺事件を取材した。
1967年、イングランドに戻る。海賊放送局のラジオ・ロンドンにて、深夜番組『The Perfumed Garden』を担当し、イギリスの聴取者にキャプテン・ビーフハートやフランク・ザッパを紹介した。この頃から、「ジョン・ピール」を名乗り始めた。1967年、BBCに新設されたポップ・ミュージックの放送局、ラジオ1と契約を交わし、『Top Gear』を担当した。『Peel Sessions』では、スタジオにミュージシャンを招いて演奏させた。ほとんどの聴取者には知られていないバンドが頻繁に招かれており、その多くはレコード会社と契約する前に出演していた。同番組により、数千のバンドが無料での録音と放送の機会を与えられ、XTCのように、そこから才能を認められレコード契約を勝ち取るアーティストも輩出された。
同時に新人の音源の発売・流通にも乗り出し、1969年から1972年まで、自らのレコード・レーベル「ダンデライオン」を主宰した。
1998年からは、BBCのラジオ4の番組『Home Truths』も担当した。同年、大英帝国勲章を授与された。
2004年10月25日、休暇のために滞在していたペルーのクスコにて心臓発作により死去。65歳没。ラジオ1では、ピールの死去が伝えられたのち、彼が気に入っていたジ・アンダートーンズの楽曲「ティーンエイジ・キックス」が流された。彼の遺体は、サフォークの聖アンドリュー教会に埋葬された。その墓石には、同楽曲からの1節 ("Teenage dreams so hard to beat") が刻み込まれている。
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