ジェフ・ダウンズ(Geoff Downes、1952年8月25日 - )は、イングランド出身のロックミュージシャン、キーボーディスト、音楽プロデューサー。
ジェフ・ダウンズ Geoff Downes | |
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エイジア - USAノーウォーク公演 (2006年9月) | |
基本情報 | |
出生名 | Geoffrey Downes |
生誕 | 1952年8月25日(71歳) |
出身地 | イングランド チェシャー州ストックポート |
ジャンル | プログレッシブ・ロック、シンセポップ、エレクトロ・ポップ |
職業 | ミュージシャン、キーボーディスト、音楽プロデューサー |
担当楽器 | キーボード |
活動期間 | 1974年 - |
レーベル | EMIアメリカ、フロンティアーズ、ゲフィン、ユニバーサル |
共同作業者 | ニュー・ダンス・オーケストラ バグルス イエス エイジア グレン・ヒューズ ウェットン/ダウンズ (Icon) ダウンズ・ブレイド・アソシェイション |
公式サイト | www |
主にプログレッシブ・ロックの分野で活動。バグルス時代に楽曲「ラジオ・スターの悲劇」がヒット、その後結成した「エイジア」で世界的な成功を収める。2010年代から同国のトップグループ「イエス」に復帰した。
1979年、「ラジオ・スターの悲劇」がヒットしたシンセポップ・バンド「バグルス」のメンバーとして音楽シーンに登場。その翌年、バグルスのもう一人のメンバーであるトレヴァー・ホーンと共に「イエス」に加入(イエスとバグルズが同じマネージメント事務所に所属していた関係があった)。
1980年にイエスのアルバム『ドラマ』でキーボードを担当。イエスのメンバーとして欧米をツアーするものの、翌年ツアー終了時にイエスは解散。
1981年、イエスの同僚だったスティーヴ・ハウや、ジョン・ウェットン、カール・パーマーと共に「エイジア」を結成。ファースト・アルバム及びシングル「ヒート・オブ・ザ・モーメント」が大ヒットする。その後、他のオリジナル・メンバーが次々に脱退し、ダウンズはエイジアの唯一のオリジナル・メンバーとして中心人物となった。
1986年、スティーヴ・ハウが参加した「GTR」のアルバムをプロデュース。
2004年、23年ぶりに「バグルス」メンバーが集結し、チャリティー・コンサートに参加。
2005年、旧友ジョン・ウェットンとデュオ・ユニット「ウェットン/ダウンズ (Icon)」を結成し、アルバム『アイコン』を発表。
2007年、「エイジア」をオリジナル・ラインナップで再編成。
2010年、「バグルス」名義で初のフルライブを開催。
2011年、30年ぶりに「イエス」へ復帰。アルバム『フライ・フロム・ヒア』を発表し、ツアーに参加。
2012年、クリス・ブレイドとデュオ・プロジェクト「ダウンズ・ブレイド・アソシェイション」を結成し、アルバムを発表。
2017年、盟友のジョン・ウェットンが死去。これにより「エイジア」のオリジナル編成や、ユニット「Icon (ウェットン/ダウンズ)」の活動が不能となった。
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