ジェフリー・エドワード・エプスタイン(Jeffrey Edward Epstein、1953年1月20日 - 2019年8月10日)は、アメリカ合衆国の実業家、投資家。
ジェフリー・エプスタイン | |
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2019年7月8日のエプスタイン | |
生誕 | Jeffrey Edward Epstein 1953年1月20日 ニューヨーク市ブルックリン区 |
死没 | 2019年8月10日(66歳没) ニューヨーク、メトロポリタン矯正センター |
死因 | 首吊りによる自殺 (異論あり) |
住居 | ニューヨーク市 フロリダ州パームビーチ ニューメキシコ州スタンリー パリ アメリカ領ヴァージン諸島 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
教育 | クーパー・ユニオン ニューヨーク大学 |
職業 | 投資家 ジェフリー・エプスタインVI財団のオーナー |
罪名 | 性犯罪、未成年の少女の性的人身売買 |
刑罰 | 仕事中は釈放される禁固13か月(2008年) |
成功した富裕な実業家だったが児童への性的暴行などの容疑で逮捕・有罪となり失脚。莫大な寄付などを通じて、欧米の政財界で有力者・王族らに極めて広い人脈を持っていたため、彼らへの売春斡旋が噂されて大きなスキャンダルに発展した。また公的機関の要職者らがエプスタインとの交友関係を咎められて、辞任するケースも相次いだ
有罪判決後、拘留されていたニューヨークの矯正施設で死亡。自殺とする当局の発表に対して一部の法医学者などから他殺を疑う声が上がるなど、死後も注目を集める事件となった。2023年に矯正施設の監視・運用ミスを示す大量の文書がリークされて以後は、死因は自殺とされ、施設の運用改革が進められている。
エプスタインは1953年にニューヨーク市ブルックリン区でポーリーン(1918年–2004年)とシーモア(1916年–1991年)のユダヤ人の両親の下に生まれた。親族の一部をホロコーストで失っている。
1969年の16歳の時に、ラファイエット高等学校を2学年飛び級して卒業した。1971年9月にニューヨーク大学のクーラント数理科学研究所に入学するが、1974年6月に中退している。
その後、富裕層の子弟を集めたニューヨークの名門校「ドルトン・スクール」で教職に採用され数学と物理学を教えた。そのときの教え子に、大手投資銀行ベアー・スターンズ会長の息子がいた。1976年、エプスタインは教職を離れてベアー・スターンズに入社。そののちわずか4年でパートナーの地位に昇進する。
1981年に退社、翌1982年に独立して資産管理会社「J・エプスタイン・アンド・カンパニー」を設立した。ベアー・スターンズを退社した理由は不明だが、富裕層を巻き込んだネズミ講に連座したことが発覚し解雇されたともささやかれる。
以後さまざまな事業を手がけ、2000年代初頭までには富豪と目されるようになった。しかしこの間、具体的にどのような手段でエプスタインが莫大な富を蓄積したかは不明な点が多い。FX関連企業をはじめエプスタインは多くの会社・団体を運営していたが、アメリカの金融界で実際にエプスタインと仕事をしたことがあるという人物もほとんど表に現れなかった。
そのため、「資産管理は表向きの事業で、実際は富裕層相手の恐喝を繰り返している」「富裕層をターゲットにした秘密のネズミ講が原資になった」「アメリカの諜報機関の手先として動いている」などといった噂が、繰り返しメディアで報じられた。また正確な資産総額も不明で、2010年には『フォーブズ』誌は、彼の資産価値は見かけよりもはるかに少ないと断じる記事を掲載している。
しかしきわめて富裕な暮らしが耳目を集めていたのは事実で、後段で触れる訴訟に関連して明らかになったエプスタインの資産には、6億ドル(約600億円)超の不動産やプライベート・ジェット機、ニューヨークの超高級邸宅、カリブ海の無人島や、7600エーカー(約3000ヘクタール超)の広さを持つニューメキシコ州の牧場などが含まれている。
フロリダ州パームビーチの邸宅で少女らに金を払い、性的な行為をしたとして2006年に起訴され、2008年に禁錮18ヵ月という判決が言い渡されている。この際の検事は、後にアメリカ合衆国労働長官となるアレクサンダー・アコスタであり、児童買春1件の罪を認めて性犯罪者として登録する見返りに減刑、連邦レベルでの起訴を免れるとする司法取引が行われていた。エプスタインは日中に刑務所から外出して普通に働き、夜に刑務所に戻ることが認められ、収監から13ヵ月で出所した。後に、アコスタが行った司法取引が非難の対象とされ、2019年7月に労働長官の職を辞している。
これらの児童買春は、エプスタインと同居していたギレーヌ・マクスウェルが仲介していたと関係者は主張している。エプスタインの誕生日には、フランスから3人の12歳の少女が彼の下に連れ込まれ、猥褻な行為をされた後、ヨーロッパに帰国した。アメリカ領ヴァージン諸島の検察によって提起された訴訟によると、エプスタインは11歳の少女を人身売買していた。
2016年4月に、エプスタインを相手取ってカリフォルニア州の女性が連邦裁判所に告訴した。内容は、1994年にマンハッタンのエプスタインの邸宅で行われたパーティーで、当時13歳だった彼女がエプスタインから性的暴行を受けたというものだった。
この訴状は、当時アメリカ大統領選挙に立候補していたドナルド・トランプとエプスタインの密接な関係に触れていたため、大きな注目を集めた。
この訴訟は手続き上の不備などがあったとして、2016年5月に連邦裁判所判事によって棄却された。
2019年7月6日、パリから自家用機で帰国した際、ニュージャージー州のテターボロ空港で逮捕。容疑は、2002年から2005年までの間、マンハッタン、ニューヨーク、パームビーチの自宅で14歳を含む未成年の少女数十人に対する性的虐待の疑いだった。
FBIと警察がエプスタインが居住するハーバート・N・ストラウス・ハウスの家宅捜索を行った。その中から、性的人身売買の証拠と、「何百、あるいは何千枚もの性的に際立った全裸と半裸の女性の写真」が見つかり、写真の一部は未成年の女性であることが確認された。施錠された金庫の中に、被害者の氏名などをラベルに記載したCDなどが大量に見つかった。また、金庫からは7万ドルの現金、48個のダイヤモンド、エプスタインの写真ではあるが違う名前が記載されている、サウジアラビアなどのパスポートも見つかったとされる。
2019年8月10日、勾留されていたニューヨーク州の矯正施設内で死亡。独居房内で首を吊って自殺したと発表された。エプスタインの遺族や弁護団はこれに異を唱え、ジェフリーの弟のマーク・エプスタインから鑑定を依頼された法医学者マイケル・バーデンは、2019年10月30日、他殺を示す証拠があると発表している。
エプスタインと同居していた恋人のギレーヌ・マクスウェルは、児童の性的暴行などに加担した疑いで逮捕状が出されていたが、エプスタイン死去のあと逃亡、翌2020年7月に潜伏先のニューハンプシャー州で逮捕された。2022年6月、ニューヨーク連邦地裁で禁固20年の刑が言い渡されている。
エプスタインの交友関係には著名人が多数含まれており、逮捕後は大きなスキャンダルとなった。
とりわけイギリス王室のアンドルー王子はエプスタインの邸宅で若い女性と撮影した写真がいくつも残されており、王子は英王室の公務から一時退くことになった。
有罪判決を受けた後もMITメディアラボに寄付を行ったことが判明、さらにMIT側がこの事実を隠蔽しようとした疑いが浮上して当時所長だった伊藤穰一が辞任した。また、この寄付はマサチューセッツ工科大学理事長のL・ラファエル・ライフも当時から把握していたことが判明した。
そのほかヴィクトリアズ・シークレットCEOのレス・ウェクスナーなど、エプスタインとのつながりが批判され辞任する著名企業の経営者も相次いだ。
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