オムラム・サルマン(アラビア語: جعفر عمران سلمان、英語: Jaffar Omran Salman、1966年7月1日 - )は、イラクの元サッカー選手。ポジションはフォワード。
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名前 | ||||||
本名 | ジャアファル・オムラム・サルマーン | |||||
ラテン文字 | Jaffar Omran Salman | |||||
アラビア語 | جعفر عمران سلمان | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イラク | |||||
生年月日 | 1966年7月1日(57歳) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1985-1992 | アル・ナフトSC | |||||
1992-1998 | アル・クウワ・アル・ジャウウィーヤ | |||||
アル・ジャジーラ | ||||||
アル・ナフト | ||||||
代表歴 | ||||||
1988-1993 | イラク | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
1994 FIFAワールドカップ・アジア最終予選の最終戦(日本戦)において、後半ロスタイムに同点ゴールを決め、日本のワールドカップ初出場を阻んだ(いわゆるドーハの悲劇)選手として知られる。
1985年にアル・ナフトSCに入団し、1988年にアモ・ババが監督を務めるイラク代表に初招集され、同年6月に韓国で行われた大統領杯に出場。1989年に行われた1990 FIFAワールドカップ・アジア予選の代表メンバーに選出されたが、1次予選でカタール代表に1敗1分けと競り負けて敗退した。1990年、アンワル・ジャシムに監督が交代したが引き続き招集を受け、同年2月から3月にクウェートで行われたガルフカップの代表メンバーに選出された。
1990年、イラク・プレミアリーグのアル・ラシード戦では国際的キーパーのアフマド・ジャシムを相手に2得点を決める活躍を見せ得点王争いに絡むなど、クラブの上位進出の原動力となった。一方、同年8月に湾岸戦争が勃発するとイラクは湾岸諸国からの反発に遭い、サッカー界は様々な国際大会から締め出された。オムラム自身も国際的な活躍の場を失い、1992年にアル・クウワ・アル・ジャウウィーヤへ移籍した。
1993年に行われた1994 FIFAワールドカップ・アジア最終予選では大会途中に監督のアドナン・ディルジャルが解任されアモ・ババに交代するアクシデントが発生したものの、代表チームのスーパーサブを務めると初戦の北朝鮮代表戦、第2戦の韓国代表戦、最終戦の日本代表戦の3試合に出場。日本戦でイラクは本大会出場が絶望的な状況になっていたが、オムラムは46分にモハメド・ジャベールとの交代で途中出場すると、1-2で迎えた後半ロスタイムにフセイン・カディムのセンタリングからヘディングシュートを決め2-2の同点とし引き分けた。この結果、日本はワールドカップ初出場を逃したが、一部の人々にとってはトラウマとはならなかったのか、彼やイブラヒム・サリム・サードを日本へ招待した。
クラブレベルではアユーブ・オディショ監督の下で1996-97シーズンにはイラク・プレミアリーグ、イラクFAカップ、イラクエリートカップ、イラクスーパーカップの四冠獲得に貢献するなど好調なプレーを維持したが、1993年のワールドカップ最終予選以降、イラク代表に招集されることはなかった。1998年にヨルダンのアル・ジャジーラに移籍した後、古巣のアル・ナフトに移籍し現役を引退、その後はアル・クウワ・アル・ジャウウィーヤの下部組織の指導者を務めた。
本人は記憶に残る得点と試合として、国内トーナメントのアル・ナフトSC対アル・ショルタ戦での2得点(試合はアル・ナフトSCが6-0で勝利)、1990年のアル・ナフトSC対アル・ラシード戦での2得点、1993年のイラク代表対日本代表戦での得点の3つを挙げている。
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