「金鵄勲章」の検索結果 - Wiki 金鵄勲章
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金鵄勲章(きんしくんしょう、旧字体:金鵄勳章)は、かつて制定されていた日本の勲章の一つ。日本唯一の武人勲章とされ、武功のあった陸海軍(陸軍・海軍)の軍人および軍属に与えられた。金鵄章ともいう。 勲章名の「金鵄」は、日本神話において、神武東征の際に、神武天皇の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝… |
勲等 (カテゴリ 日本の勲章 (廃止)) 金鵄勲章が制定されると、勲等の他に軍人に対して授与される「功級」も創設された。 戦後、金鵄勲章が廃止され、あわせて通常の叙勲(現職官吏等への叙勲)もしばらく停止されたことから、昭和30年代まで生前叙勲は行われなかった。池田勇人内閣の時に戦後初めて勲章制度の運用が復活したうえで今日に至る。… |
旭日章 (カテゴリ 日本の勲章) 金鵄勲章の功級は同じ数字を持つ勲等より上位に位置づけられており、これに従い功一級金鵄勲章は勲一等旭日大綬章よりも上位にあったが、勲一等旭日桐花大綬章だけは例外的に功一級金鵄勲章より上位に位置づけられていた(勲一等旭日大綬章は「第1階第18」、功一級金鵄勲章… |
勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」とされた。 1967年(昭和42年)には、金鵄勲章年金令に基づく金鵄勲章年金を受けていた者に対して10万円の一時金を支給する旧勲章… |
閑院宮載仁親王 (カテゴリ 功一級金鵄勲章受章者) 院を含む全国会議員中でも尾崎行雄・中曽根康弘に次ぐ史上第3位である。 1895年(明治28年)11月20日 - 功四級金鵄勲章 1906年(明治39年)4月1日 - 功二級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章 1915年(大正4年)11月7日 - 金杯一組・大正三四年従軍記章 1919年(大正8年)12月12日… |
伊東祐亨 (カテゴリ 功一級金鵄勲章受章者) - 子爵・勲一等旭日大綬章・功二級金鵄勲章 1898年(明治31年) 3月8日 - 従三位 10月21日 - 正三位 1903年(明治36年)10月30日 - 従二位 1906年(明治39年) 1月31日 - 元帥 4月1日 - 旭日桐花大綬章・功一級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章 1907年(明治40年)9月21日… |
竹田宮恒久王 (カテゴリ 功五級金鵄勲章受章者) 1904年(明治37年)2月12日 - 陸軍騎兵少尉 1906年(明治39年)3月31日 - 竹田宮家創設 1906年(明治39年)4月1日 - 功五級金鵄勲章 1908年(明治41年)5月 - 皇典講究所総裁 1908年(明治41年)- 竹田宮邸竣工 1908年(明治41年)- 明治天皇第6皇女昌子内親王と成婚… |
寺内正毅 (カテゴリ 功一級金鵄勲章受章者) 1919年(大正8年)10月20日 - 正二位 勲章など 1894年(明治17年)10月13日 - 勲四等旭日小綬章 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章 1892年(明治25年)11月29日 - 勲三等瑞宝章 1895年(明治28年) 8月20日 - 功三級金鵄勲章・旭日中綬章 11月18日… |
伏見宮貞愛親王 (カテゴリ 功二級金鵄勲章受章者) 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章 1895年(明治28年)11月20日 - 功三級金鵄勲章 1906年(明治39年)4月1日 - 功二級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章 1915年(大正4年) 1月9日 - 元帥 11月7日 - 金杯一組・大正三四年従軍記章 1916年(大正5年)1月19日… |
土肥原賢二 (カテゴリ 功二級金鵄勲章受章者) 旭日重光章・功四級金鵄勲章 1937年(昭和12年)11月9日 - 勲一等瑞宝章 1940年(昭和15年) 4月18日 - 旭日大綬章 4月29日 - 功二級金鵄勲章 8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章 外国勲章佩用允許 1918年(大正7年)7月15日 - 支那共和国:四等文虎勲章 1934年(昭和9年)5月9日… |
勲一等旭日桐花大綬章 (カテゴリ 日本の勲章 (廃止)) 1875年(明治8年)4月10日に、日本で最初の勲章として、旭日章八等級が制定。それに遅れること約13年の1888年(明治21年)に、勲一等旭日大綬章のさらに上位として勲一等旭日桐花大綬章が追加制定された。 一説によれば、金鵄勲章の制定を画策した山縣有朋に、栄典の差をつけられることを嫌っ… |
東伏見宮依仁親王 (カテゴリ 功三級金鵄勲章受章者) 彦王の三男邦英王を養子のようにしており、東伏見宮家の祭祀を継がせた。 1895年(明治28年)11月20日 - 功五級金鵄勲章 1906年(明治39年)4月1日 - 功三級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章 1915年(大正4年)11月7日 - 金杯一組・大正三四年従軍記章 1920年(大正9年)11月1日… |
栄誉には政府として勲章の授与もあるが、感状は高級指揮官の判断で授与できる為勲章に比べ比較的多く発行された。感状は戦死者のみならず生存者・部隊に対しても積極的に授与されており、日中戦争(支那事変)当時の1940年(昭和15年)に生存者授与が停止し戦死者授与のみになった金鵄勲章… |
代名詞として使われ、特に大日本帝国時代には金鵄勲章をはじめ、意匠や名称が多方面で採用された。 また、平安時代から存続する賀茂神社においては、金鵄および八咫烏ともに、賀茂建角身命の化身とされており、この二つを合わせて「金鵄八咫烏」と呼び祀っている。 金鵄勲章の功一級副章および功二級正章 昭和六年乃至九年事変従軍記章(表面)… |
勲章については、制定の際に略綬も制定されるようになり、瑞宝章は明治21年1月26日閣令第21号「各種勲章及大勲位菊花章剄飾ノ図様」、金鵄勲章は明治23年2月11日勅令第11号「金鵄勲章ノ制式佩用式」、文化勲章については昭和12年2月11日勅令第九号「文化勲章令」によって、それぞれの勲章… |
長谷川好道 (カテゴリ 功一級金鵄勲章受章者) 勲二等瑞宝章 1895年(明治28年)8月20日 - 男爵・功三級金鵄勲章・旭日重光章 1902年(明治35年)5月31日 - 勲一等瑞宝章 1905年(明治38年)5月30日 - 旭日大綬章 1906年(明治39年)4月1日 - 功一級金鵄勲章・旭日桐花大綬章・明治三十七八年従軍記章 1907年(明治40年)9月21日… |
小磯國昭 (カテゴリ 功二級金鵄勲章受章者) - 従二位 勲章など 1906年(明治39年)4月1日 - 功四級金鵄勲章・勲五等双光旭日章・明治三十七八年従軍記章 1917年(大正6年)11月7日 - 大正三四年従軍記章 1919年(大正8年)10月25日 - 勲三等瑞宝章 1920年(大正9年)11月1日 - 功三級金鵄勲章・旭日中綬章・大正三年乃至九年戦役従軍記章… |
大迫尚敏 (カテゴリ 功二級金鵄勲章受章者) 1907年(明治40年)12月10日 - 正三位 勲章等 1885年(明治18年)11月19日 - 勲三等旭日中綬章 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章 1895年(明治28年) 5月23日 - 勲二等瑞宝章 8月20日 - 男爵、功三級金鵄勲章、旭日重光章 1903年(明治36年)5月16日… |
山階宮菊麿王 (カテゴリ 功四級金鵄勲章受章者) 1893年(明治26年)11月3日 - 勲一等旭日桐花大綬章 1895年(明治28年)11月20日 - 功五級金鵄勲章 1903年(明治36年)11月3日 - 大勲位菊花大綬章 1906年(明治39年)4月1日 - 功四級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章 ^ 上野ほか(2006):276ページ ^ 『議会制度百年史 -… |
宇都宮太郎 (カテゴリ 功三級金鵄勲章受章者) 1914年(大正3年)4月30日 - 従四位 1916年(大正5年)5月20日 - 正四位 1919年(大正8年)6月10日 - 従三位 勲章等 1906年(明治39年)4月1日 - 功三級金鵄勲章 1914年(大正3年)11月30日 - 勲二等瑞宝章 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章 1920年(大正9年)… |