足立 正生(あだち まさお、1939年5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優。パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。
あだち まさお 足立 正生 | |
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『映画評論』1967年7月号より。 | |
生誕 | 1939年5月13日(84歳) 日本 福岡県八幡市 (現・北九州市八幡東区) |
職業 | 映画監督・脚本家・俳優 |
運動・動向 | 元パレスチナ解放人民戦線メンバー・元日本赤軍メンバー |
刑罰 | ルミエ刑務所で禁錮3年の実刑後、国外追放で日本に強制送還 |
福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション参加、若松孝二の盟友とされる。
1939年5月13日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれた。八幡市立中央中学校と福岡県立八幡高等学校を卒業した。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会を立ち上げた。同時期に、VAN映画科学研究所を設立した。
1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた。1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、高林陽一、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチーらと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。1966年、『堕胎』で商業映画監督デビューを果たした。
日本大学中退後には若松孝二が設立した独立プロの若松プロダクションで活動。1969年、若松プロダクション製作の『女学生ゲリラ』を監督した。また、若松プロダクションではピンク映画の脚本を数多く手がけた。
1971年のカンヌ国際映画祭からの帰国途中、若松孝二とともにパレスチナへ渡った。パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり共闘しつつ、ゲリラ隊を題材とする『赤軍ーPFLP 世界戦争宣言』を撮影・監督した。
1974年には重信房子が率いる日本赤軍に合流し、国際手配された。日本赤軍ではスポークスマンの役割を担っていたという。1997年にはレバノンで逮捕され、ルミエ刑務所で3年間の禁錮刑を受けた。2000年3月に刑期が満了し日本へ強制送還された。2007年、日本赤軍の岡本公三をモデルとする『幽閉者 テロリスト』(田口トモロヲ主演)を監督した。
2011年にはフランスのフィリップ・グランドリュー監督が『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう 足立正生』(原題 : 英語: Masao Adachi. Portrait)を製作し、日本では東京都渋谷区のアップリンクで2012年12月に公開された。この作品の公開を記念して、アップリンクでは足立の脚本・監督4作品を上映する「特集 足立正生」が開催された。
2016年には『断食芸人』を監督し、第45回ロッテルダム国際映画祭のディープフォーカス部門に正式出品されたほか、同映画祭で足立の特集上映が行われた。
2011年に設置された日本映画大学では非常勤講師を6年間務めた。
2022年9月、同年に発生した安倍晋三銃撃事件の実行犯の半生を描いた映画『REVOLUTION+1』を制作していることが報じられ、9月27日にラフミックス版を先行上映、12月24日には完成版の上映が開始された。また、安倍晋三の国葬に反対を表明しており、同作について「国葬の時にやりたいと思ってつくった国葬反対の映画」だと語った。
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