『血を吸う薔薇』(ちをすうばら)は、1974年(昭和49年)7月20日に公開された日本の特撮恐怖映画。製作は東宝映像、配給は東宝。監督は山本迪夫。カラー、シネマスコープ作品。
血を吸う薔薇 | |
---|---|
EVIL OF DRACULA | |
監督 | 山本迪夫 |
脚本 |
|
製作 | 田中文雄 |
出演者 | |
音楽 | 眞鍋理一郎 |
撮影 | 原一民 |
編集 | 池田美千子 |
製作会社 | 東宝映像 |
配給 | 東宝 |
公開 | 1974年7月20日 |
上映時間 | 83分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
前作 | 呪いの館 血を吸う眼 |
『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970年)、『呪いの館 血を吸う眼』(1971年)に続く「血を吸うシリーズ」の第3作目。夫婦の吸血鬼が登場し、彼らの夫婦愛が描かれているのが特徴である。
キャッチコピーは、「悪魔が呼ぶ! 霊魂が呼ぶ! 血を 肉体を求めて 今夜もまた蘇る 呪いの檻!」。同時上映は『急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS』(東宝・ジャックプロ提携作品)。
この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
教師の白木は、東京から長野県字魔ヶ里村の聖明女子短期大学に次期学長候補として赴任したが、その夜から得体の知れぬ事件が起こる。事件を追ううち、白木は200年前から伝わる吸血鬼伝説に突き当たる。白木の前の学長候補は発狂しており、日記には不死身の魔性は生身の人間に乗り移っていると記されていた。実は、現学長夫妻こそが次々に人間に憑依しては生命を長らえてきた吸血鬼であり、2人は次の標的として白木を選んだのだ。白木をめぐり、死闘が始まる。
参照
シリーズ1作目と2作目の間が約1年しか空いていないのに対し、本作品は2作目から約3年後の公開となっている。3作目の製作は『血を吸う眼』の後にオファーがあったが、監督の山本迪夫はこれを渋っていた。さらにプロデューサーの田中文雄が、東宝の映画製作部門が東宝映像として分離する際に東宝映像へは移籍せず、東宝のテレビ製作部門へ異動して映画製作から離れたため、3作目の企画は立ち消えとなった。
その後、1974年に田中が東宝映像に移籍して映画製作に復帰したうえ、前年にアメリカで公開された『エクソシスト』などの影響から日本でもオカルト映画がブームになると見込まれていたこともあり、3作目の製作が再始動することとなった。以前は参加を渋っていた山本も、『血を吸う眼』の後にはテレビドラマ『太陽にほえろ!』の監督を務めており、これにやや飽きていたこともあって再び監督を務めることを引き受けた。
主演の黒沢年雄は、『野獣の復活』や『雨は知っていた』などの山本監督作品に出演していた縁で起用された。実は怪奇映画が苦手だった黒沢は、山本の熱心な説得を受けて出演を承諾したが、その際も完成作品を観ないことを条件としていた。黒沢は、出演の際に参考試写された前作『血を吸う眼』も途中で退席したという。
吸血鬼役は前作に続き岸田森が務めた。岸田の演じる学長が死亡する場面には、彫刻家の松崎二郎が制作した石膏の頭蓋骨に蝋を盛ったダミーの頭部が用いられ、これを熱と塩酸で実際に溶かしている。
画史・時代劇研究家の春日太一は、文春オンラインでのコラムにて本作品のことを以下のように評して締めくくっている。
キワモノの作品ではある。それでも、演出も演者もいい加減な仕事はしていない。そのことが、本作品を恐ろしくも美しい佳作たらしめていた。 — 春日太一
この節の加筆が望まれています。 |
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 血を吸う薔薇, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.