佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 2002年1月19日)は、日本の俳人。岩手県釜石市出身。本名は喜太郎。
塩竈町立商業補習学校(現・塩釜市立第一小学校)卒業。10代からロシア文学を耽読する一方で俳句に目覚め、1935年より新興俳句系の「句と評論」に投句、渡辺白泉の選句を受ける。1936年より長谷川天更の「東南風」同人。1940年、徴兵により入隊、中国・南方に転戦。なお占領地の南京でそれまで面識のなかった鈴木六林男に出会っている。
戦後は西東三鬼に師事し、「青天」「雷光」「梟の会」などに参加。1953年「風」同人。1954年、第3回現代俳句協会賞受賞。1955年、「天狼」同人。のち「頂点」「海程」にも参加した。1985年、宮城県塩竈市で「小熊座」を創刊、主宰。1989年、『半跏坐』で第5回詩歌文学館賞、1993年『瀬頭』で第27回蛇笏賞受賞。
代表句に「毛皮はぐ日中桜満開に」(『名もなき日夜』)「陰(ほと)に生る麦尊けれ青山河」(『地楡』)など。新興俳句から「権威というものに対するエネルギッシュな抵抗」を感得したと語り(『俳句研究』1947年)、戦後は社会性俳句の代表的作家として活躍。陸奥に根ざした風土性・土俗性、人間性への意志的な眼差しを特徴とし、戦争の記憶や神話などもモチーフとした。門人に高野ムツオ、渡辺誠一郎など。
2002年1月19日、82歳で死去。
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