二科会: 日本の美術家団体のひとつ

公益社団法人二科会(にかかい、NIKA ASSOCIATION)は、日本の美術家団体のひとつである。絵画部・彫刻部・デザイン部・写真部からなる「二科展」を毎年開催しているが、デザイン部・写真部は組織上では「公益社団法人二科会」に含まれておらず、個別に一般社団法人となっている。元文部科学省所管。

公益社団法人二科会
設立 1979年昭和54年)
種類 公益社団法人
法人番号 2011105005336 ウィキデータを編集
本部 東京都新宿区新宿4-3-15
会長 生方純一(理事長)
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沿革

  • 1914年(大正3年)文部省美術展覧会(文展、現日展)から分離して、在野の美術団体として「二科会」が結成される。10月1日から10月31日まで、上野竹の台陳列館で第1回二科美術展覧会を開催。有島生馬「鬼」、湯浅一郎「官妓」、斎藤豊作「落葉する野辺」。
  • 1915年10月13日から26日まで、三越で、第2回展。田辺至・柳敬助は退会、安井曾太郎・森田恒友・正宗得三郎が会員になる。山下「供物」「端午」、坂本「牛」。安井の滞欧作「孔雀と女」「足を洗ふ女」など50点余を特陳。
  • 1916年10月12日まで、三越で、第3回展。石井「金沢の犀川」、安井「ダリア」。正宗の滞欧作「リモージュの朝」など36点を陳列。
  • 1917年9月9日から9月中、竹の台で、第4回展。立体派ふうの万鉄五郎「もたれて立つ人」、未来派ふうの東郷青児「狂ほしき自我の跳躍」、神原泰の作品などが注目される。
  • 1918年9月9日から9月中、上野竹の台で、第5回展。劉生「川幡氏の像」、関根正二信仰の悲しみ」「姉弟」など。
  • 1919年9月1日から9月30日まで、竹之台で、第6回展。小出楢重Nの家族」、関根「慰められつつ悩む」など。藤川勇造が会員に推され彫刻部を新設する。
  • 1920年9月1日から9月中、竹之台で、第7回展。柏亭「農園の一隅」、小出楢重「少女お梅の像」など。
  • 1921年9月9日から9月29日まで、竹之台で、第8回展。安井「人物」、中川一政「静物」、中川紀元「猫と女」など。
  • 1922年9月9日から9月29日まで、竹之台で、第9回展。安井曾太郎「椅子による女」、児島善三郎「浅き春」など。
  • 第10回展は、招待日に震災のために中止、京都・大阪でひらく。山下新太郎「金閣寺林泉」、小出楢重「帽子のある静物」、黒田重太郎「一修道僧の像」、藤川勇造「マドモアゼルS」など、ピカソ・ブラック・マチスらフランス現代画家の作品40余点を特陳。
  • 1924年9月2日から9月29日まで、第11回展。小出「帽子を冠れる肖像」、横山潤之助「ギターもつ男」、藤川「ブロンド」など。
  • 1925年9月2日から9月29日まで、第12回展。安井「柿実る頃」、曾宮一念「冬日」など。特別出品、坂本繁二郎「帽子を持てる女」「老婆」など。
  • 1926年(大正15年)9月4日から10月4日まで第13回展を東京府美術館で開催。有島生馬「岬と海水場」、津田青楓「籐椅子の裸婦」、佐伯祐三「壁」など。
  • 1927年9月3日から10月4日まで、府美で、第14回展。長谷川利行「麦酒室」など。

以後、2006年まで同館で開催。

  • 1928年9月3日から10月4日まで、府美で、第15回展。安井「花と少女」、佐伯「新聞屋」など。また中山巍・東郷青児の滞欧作を特陳。
  • 1929年9月3日から10月4日まで、第16回展。古賀春江「素朴な月夜」、小山敬三「アルカンタラの橋」など。福沢一郎のシュールリアリズム的な作品を特陳。
  • 1930年9月4日から10月4日まで、第17回展。安井「婦人像」、有島「熊谷守一肖像」など。林重義・向井潤吉・伊藤廉の滞欧作を特陳。メカニズム・シュールリアリズムの作品も展示。
  • 1931年9月3日から10月4日まで、第18回展。有島「震災記念」、青楓「新議会」、安井「ポーズせるモデル」「外房風景」、山下新太郎「少女立像」、鍋井「奈良の月」、小出楢重・湯浅一郎の遺作など。
  • 1932年9月3日から10月4日まで、第19回展。坂本「放牧三馬」、安井「薔薇」、国吉康雄「サーカスの女」など。山下新太郎・木下義謙らの滞欧作を特陳。
  • 1933年9月3日から10月4日まで、第20回展。安井「奥入瀬の渓流」など。併せて創立二十年を記念して、故人や会を離れた作家による43作品の展示も行われた。
  • 1934年9月3日から10月4日まで、第21回展。安井「金蓉」「玉虫先生の像」など。藤田嗣治の滞欧作27点を特陳。
  • 1935年9月3日から10月4日まで、第22回展。藤田嗣治「Y夫人の肖像」「北平の力士」「五人女」、宮本三郎「婦女三容」など。
  • 1937年9月3日から10月4日まで、第24回展。坂本「水より上る馬」、藤田「千人針」など。
  • 1938年9月3日から10月4日まで、第25回展。坂本繁二郎「松間馬」、向井潤吉「突撃」、北川民次「戦後図(メキシコ)」など。
  • 1944年(昭和19年)11月、第30回展開催後解散。1944年10月6日解散。
  • 1946年(昭和21年)再建、第31回展開催
  • 1951年(昭和26年)「商業美術」部門(現デザイン部門)の新設。
  • 1953年(昭和28年)当時の会長、東郷青児の発案により写真部を創設。林忠彦・早田雄二・秋山庄太郎大竹省二の4名が創立会員となる。
  • 1979年(昭和54年)絵画部・彫刻部を法人化し、社団法人二科会となる
  • 2006年(平成18年)常務理事織田廣喜、理事長就任
  • 2007年(平成19年)国立新美術館で二科展開催。以後、同館で毎年開催。
  • 2012年(平成24年)公益法人制度改革により公益社団法人

結成の経緯、名前の由来、気風

文展は官展(=政府主催の展覧会)であり、大正初めには、画家の登竜門のひとつとして重要な存在になっていた。その日本画の部門は、新旧の二科に分かれており、新しい傾向の画家たちも比較的活動しやすかったのに比べて、洋画部門はそのようになっていなかった。そして、審査側が硬直的・停滞的な体質に陥っていた。

山下新太郎津田青楓有島生馬ら、新帰朝者(国費留学の経験者。当時の呼称)を中心にしたグループは、1913年の文展の審査に不満を持ち、洋画についても二科制とするよう政府側に建白書を提出したが、受け入れられそうにないため、新しい美術の発展を図るために文展を脱退し、“旧科”文展に対する“新科”の「二科会」を結成した。会員たるには文展に出展しないことが参加条件であった。創立メンバーには、山下・津田・有島の他に石井柏亭、田辺至、梅原龍三郎、柳敬助、小杉未醒、斎藤豊作、坂本繁二郎湯浅一郎らがいた。

1935年(昭和10年)、文展の後継である帝展を開催する帝国美術院の大改革が行われ、官選の形で二科会から石井柏亭、山下新太郎、有馬生馬、藤川勇造、安井曽太郎の5人が官選という形で美術院の会員に選出された。官展と二科の双方に出品できないという会則に従い5人は退会した。一方で会員に選ばれなかった創立メンバーもおり、会の内部で動揺を招いた。

その後も独立美術協会一水会行動美術協会二紀会一陽会が二科会から独立した。各団体で創立時の気風は受け継がれ、新しい傾向の作家に活躍の場を提供、多くの芸術家を輩出している。

入選者統計

第105回(2021年)二科展入選者統計
絵画部 彫刻部 デザイン部 写真部
搬入点数 1,941点 48点 483点 13,265点
入選者数 656名 41名 174名 847名
内初入選 110名 15名 65名 159名

入選・入賞した著名人

絵画部

彫刻部

デザイン部

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

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