鎌田 實(かまた みのる、1948年6月28日 - )は、日本の医師、作家、社会運動家。地域医療従事者。
かまた みのる 鎌田 實 | |
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生誕 | 1948年6月28日(75歳) |
国籍 | 日本 |
職業 | 医師・作家 |
著名な実績 | 日本チェルノブイリ連帯基金創設者 |
諏訪中央病院名誉院長、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)理事長、日本・イラク・メディカルネット(JIM-NET)代表、東京医科歯科大学臨床教授、東海大学医学部非常勤教授、岐阜経済大学客員教授。北九州市アドバイザー。ピースボート水先案内人。
東京都杉並区出身。1歳10ヶ月で養子に出され、青森県から上京し個人タクシー業を営む養父と病弱な養母に引き取られる。ただし30歳を過ぎてパスポートを取得するまで養子であることは鎌田本人には伏せられていた。
子供の頃から読書家で『どくとるマンボウ航海記』を読んで、船医になって世界中を旅することに憧れていた。
公立小中学校から東京都立西高等学校に進学。同級生に翻訳家の池田香代子、剣道家・作家の好村兼一がいる。入学してすぐに剣道部に所属し、3年のときに初段となった。(好村とは同じ剣道部。)その一方で、ときどき学校をサボって吉祥寺や荻窪の映画館で映画を年100本ほど観たり、ジャズ喫茶通で読書を楽しんでいた。高校在学中に医師志望を固めた決めた理由に「小学生の頃、心臓病で長く入院していた母親を見舞いに大学病院に通った経験」や「西高時代に読んだA・J・クローニンの小説」もあるとしている。
東京医科歯科大学医学部では全共闘に参加、卒業後、つぶれかけていた(4億円の累積赤字を抱え、いつ倒産してもおかしくない状況)長野県茅野市の諏訪中央病院に就職。医師として、「住民とともに作る地域医療」の最前線に取り組んできた。1988年、今井澄のあとを受けて30代で同病院院長就任。今井も同じく学生運動に参加しており、東大安田講堂事件の参加を理由として収監されている。
一方チェルノブイリ原子力発電所被曝事故の患者の治療にも協力し、1991年より22年間、ベラルーシ共和国の放射能汚染地帯へ97回の医師団を派遣し、約14億円の医薬品を支援(JCF)。1994年に信濃毎日新聞賞を受賞した。2004年にはイラク支援を開始し、イラクの4つの小児病院へ毎月300万円の薬を送り、難民キャンプでの診察等を実践(JIM-NET)。現在はISやボコ・ハラム等に迫害される難民の支援も行っている。
また、「病気や障がいがあっても、旅をあきらめない」としてバリアフリーツアーを企画し、2004年以降、毎年ボランティアで旅を続けている。 3.11以降は、東日本各地の被災地支援に力を注いでいる。 2009年ベスト・ファーザー イエローリボン賞(学術・文化部門)。2011年日本放送協会放送文化賞。
テレビ・ラジオでは、日本テレビ「news every.」の毎週木曜レギュラーとして、NHKラジオ第1放送の祝日特別番組「鎌田實のいのちの対話」(2012年3月終了)、文化放送「鎌田實×村上信夫 日曜はがんばらない」(2012年4月開始)、ニッポン放送 「高嶋ひでたけのあさラジ!」(ラジオ人間ドック) にパーソナリティーとして、それぞれ出演している。2006年の第57回NHK紅白歌合戦で特別審査員10人の一人に選ばれた。
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