金 鎮鉉(キム・ジンヒョン、朝: 김진현、ラテン翻字:KIM Jin-hyeon、1987年7月6日 - )は、大韓民国・京畿道水原市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。元韓国代表。
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名前 | ||||||
愛称 | ジンヒョン、ジンさん | |||||
カタカナ | キム ジンヒョン | |||||
ラテン文字 | KIM Jin-hyeon | |||||
ハングル | 김진현 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 大韓民国 | |||||
生年月日 | 1987年7月6日(36歳) | |||||
出身地 | 京畿道水原市 | |||||
身長 | 192cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | セレッソ大阪 | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 21 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009- | セレッソ大阪 | 489 | (0) | |||
2017 | セレッソ大阪U-23 | 1 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2011-2021 | 韓国 | 16 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年4月27日現在。 2. 2018年11月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
Jリーグの外国籍選手の単一クラブ最長在籍記録、J1通算最多出場記録を更新中。アシスト最長距離記録保持者であり、2度更新している(89.69m〈2013年〉、93.08m〈2016年〉)。
幼少時よりスポーツ好きで、さまざまなスポーツを経験していたが、小学5年次に「背が高く目立っていた」という理由で指導者に誘われて本格的にサッカーを始めた。任されたポジションはGKであり、現在に至るまで一貫してこのポジションでプレーし 、ドリブルの練習やボールを蹴る練習も続け「足元の技術やフィードに優れている印象」 との評価を受けるようになった。
マンス中学校、東国大学校師大高等学校を経て2006年に東国大学校に入学してサッカー部に入部した。在学中にU-20韓国代表に選出されてAFC U-19選手権2006および2007 FIFA U-20ワールドカップに出場した他、北京オリンピックの韓国代表候補にも選出されたが、大会前に怪我をした影響もあり、五輪代表には選出されなかった。
練習生としての期間を経て、2008年12月29日、当時J2に属していたセレッソ大阪への入団が発表された。入団のきっかけは代理人の紹介によるものであった。加入初年度より正GKとして試合に出るようになり、負傷離脱 時を除き試合出場を続ける。2009年3月8日のJ2開幕戦となったサガン鳥栖戦で初出場。
2014年、セレッソのJ2降格が決まった時は「状況が悪いからといって逃げるのは男としてするべき事ではないと思った」「サッカーは私の人生で最も幸せなことだが、この程度のこと(降格)で逃げたくはなかった」と話しチームに残留。
2016年オフにも鹿島アントラーズやFCソウルからオファーが届くも残留したとメディアは報じたが、正式なオファーは無かったと本人が否定している。
2017年はルヴァンカップの優勝やJリーグ3位でACLの出場権獲得、天皇杯決勝では延長後半に横浜FMのウーゴ・ヴィエイラの決定的ヘディングシュートを防ぎ、天皇杯の43年ぶり優勝に貢献した。
2019年、序盤戦はロティーナ新監督の戦術でビルドアップに苦慮する様子をみせていたが、徐々に成長をみせてリーグ戦では全試合に出場し、セーブ率79%(枠内シュートに対してどれだけセーブして失点を防いだかの割合)、ペナルティエリア外からのセーブ率94.9%はどちらもリーグ1位で、102セービング、クリーンシート(無失点試合)15回を記録した。チーム全体の守備への貢献もあり1試合平均で0.74失点だった。セーブ率、防御率、完封数で1位になりリーグ最小失点に大きく寄与した(34試合/25失点)。また、この年でセレッソ大阪でのリーグ戦出場数をJ1、J2通算364試合とし、森島寛晃の361試合を抜いてクラブ史上最多になった。
2020年、セーブ率78%、クリーンシートはリーグ2位の12回だった。
2021年、第34節で森島寛晃の記録を抜いてクラブ史上最多のJ1通算319試合出場を達成した。取材で「“ミスターセレッソ”の称号がついてもいいのではないか」と聞かれた際には首を横に振り「それは現社長の森島寛晃さんのものです。私はレジェンドでもなければ、ただの一員。森島さんの足元にも及びません」と答えている。
2022年、5月3日第11節で外国籍選手のJ1通算最多出場記録を樹立した(334試合)。9月18日第30節、体調不良で、連続試合先発記録は歴代5位の198試合でストップしたが、これはあと1試合で歴代4位、あと2試合で歴代3位となるほどの位置であった。
2022年度以降、パスで好機を創出し、攻撃の1パターンを担う程に精度を上げている。
2024年第10節、Jリーグ通算500試合出場を記録した。
韓国代表には2011年から招集されており、AFCアジアカップ2011で出場機会がなかったものの、チームは3位に入ったため、兵役が免除されている。
2012年5月30日、スイスにて行われたスペイン代表との国際親善試合で、先発フル出場でA代表デビュー。
AFCアジアカップ2015では、韓国代表の正GKとして活躍し、韓国の準優勝に貢献、自身も大会最優秀GKにノミネートされた。
2018年、ロシアワールドカップの韓国代表のメンバーに招集された。
AFCアジアカップ2019を最後に代表を引退する事を示唆していると報道されたが、「代表を引退するとはまだ一度も話していないんです。後輩たちに譲っていきたいという気持ちがあるのは確かです。ただ、引退するまでは、代表でプレーするという気持ちは持たないといけない。代表に招集され続ける実力を持つためにベストを尽くさなければならない」などと答えている。
2021年3月、韓国代表に選出された。5月、韓国代表に選出された。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | C大阪 | 21 | J2 | 50 | 0 | - | 1 | 0 | 51 | 0 | |
2010 | J1 | 19 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 25 | 0 | ||
2011 | 34 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 38 | 0 | |||
2012 | 34 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 39 | 0 | |||
2013 | 34 | 0 | 8 | 0 | 2 | 0 | 44 | 0 | |||
2014 | 31 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 35 | 0 | |||
2015 | J2 | 24 | 0 | - | 0 | 0 | 24 | 0 | |||
2016 | 39 | 0 | - | 1 | 0 | 40 | 0 | ||||
2017 | J1 | 31 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 37 | 0 | ||
2018 | 34 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 | |||
2019 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 34 | 0 | |||
2020 | 34 | 0 | 3 | 0 | - | 37 | 0 | ||||
2021 | 38 | 0 | 5 | 0 | 4 | 0 | 47 | 0 | |||
2022 | 33 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 41 | 0 | |||
2023 | 20 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 23 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 376 | 0 | 41 | 0 | 18 | 0 | 435 | 0 | |
日本 | J2 | 113 | 0 | - | 2 | 0 | 115 | 0 | |||
総通算 | 489 | 0 | 41 | 0 | 20 | 0 | 550 | 0 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2017 | C大23 | 11 | J3 | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J3 | 1 | 0 | 1 | 0 | |||||
総通算 | 1 | 0 | 1 | 0 |
その他の公式戦
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2011 | C大阪 | 21 | 9 | 0 |
2014 | 8 | 0 | ||
2018 | 4 | 0 | ||
2021 | 5 | 0 | ||
通算 | AFC | 26 | 0 |
韓国代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2011 | 0 | 0 |
2012 | 1 | 0 |
2013 | 0 | 0 |
2014 | 3 | 0 |
2015 | 6 | 0 |
2016 | 2 | 0 |
2017 | 2 | 0 |
2018 | 2 | 0 |
通算 | 16 | 0 |
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