金光 邦三(かねみつ くにぞう、1897年2月4日 - 2001年11月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。初代魚津市長(1期)。弁護士。
兵庫県出身。1918年立命館大学法律科卒。弁護士となり、神戸市議、兵庫県議を経て、1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で兵庫1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。
戦後、推薦議員のため、公職追放となる。その後は富山県下野方村(現:魚津市)で弁護士を営んでいた。1951年追放解除。
追放解除後の1952年4月1日、合併により魚津市が発足、市長選挙に立候補したが、候補者は金光一人のため、無投票で当選した。5月10日に正式に就任。就任から2ヶ月後の7月に大水害が起こり、翌年9月にも同じように大水害に見舞われた。そのため、災害に強い都市計画を迫られた。その一方、上水道の工事に着手し、市内に日本海側最大の市立水族館が開館した。合併から2年後に魚津市は「優良合併市」として表彰された。魚津市長は1期務め、1956年に勇退した。
その後は立命館大学兵庫県校友会会長を務め、2001年に104歳で死去した。
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