蒲田駅: 東京都大田区にある東日本旅客鉄道・東急電鉄の駅

蒲田駅(かまたえき)は、東京都大田区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄の駅である。

蒲田駅
蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造
東口・駅ビル(2010年3月)
かまた
Kamata
所在地 東京都大田区
所属事業者
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蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造
西口(2021年8月)

JR東日本の駅は蒲田五丁目、東急電鉄の駅は西蒲田七丁目に位置する。

乗り入れ路線

以下の3路線が乗り入れている。JR東日本と東急の2社が乗り入れ、両社間の接続駅となっている。

歴史

蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造 
蒲田駅周辺の白黒空中写真(1963年6月23日撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  • 1904年明治37年)4月11日国有鉄道東海道本線の駅が開業。
  • 1914年大正3年)
    • 12月20日:京浜線(京浜東北線の前身)運行開始。
    • 12月26日:京浜線電車の故障頻発により運転中止。
  • 1915年(大正4年)
    • 5月10日:京浜線電車運転再開。
    • 12月30日:蒸気機関車列車の停車廃止。
  • 1922年(大正11年)10月6日池上電気鉄道線(現在の東急池上線)が池上駅まで開通。乗降分離形の相対式2面2線で国鉄蒲田駅に対して直角方向に設置される。
  • 1923年(大正12年)11月1日目黒蒲田電鉄目蒲線(現在の東急多摩川線)が沼部駅まで開通。国鉄蒲田駅に南から沿う形で池上線との間に片面ホームを切欠きにした1面2線で駅が設置される。
  • 1927年昭和2年):池上線蒲田駅が移転し、1面1線で目蒲線蒲田駅と向かい合わせに並行する形となる。
  • 1934年(昭和10年)10月ごろ:目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道を吸収合併したことに伴い、池上線から目蒲線への連絡線(簡易渡り線)が設置される。ただし、簡易式の渡り線で、車両の移動時のみ設置した。
  • 1940年(昭和15年)5月:利用者増加に伴い、池上線が頭端式2面2線で国鉄蒲田駅と直角方向となる位置に移転する(目蒲線とは分離)。目蒲線蒲田駅はホーム幅員が3倍に拡幅され、島式1面2線となる。池上線と目蒲線を結ぶ簡易渡り線は廃止され、車両の移動は不可能となった。
  • 1945年(昭和20年)
    • 6月1日:戦災のため、目蒲線矢口渡駅 - 蒲田駅間休止。
    • 8月14日:目蒲線矢口渡駅 - 蒲田駅間が仮復旧。道塚駅を休止して、その付近から池上線上り線を転用して池上線蒲田駅まで単線並列化し仮復旧(以後の東急蒲田駅は駅構造の項目を参照)。
  • 1962年(昭和37年)12月:東口駅ビル「パリオ」が開業。
  • 1966年(昭和41年)5月:東急蒲田駅の高架化工事と蒲田東急ビル(→東急プラザ蒲田)の建設工事に着手。
  • 1967年(昭和42年)10月29日:東急蒲田駅の北側半分が高架化される。目蒲線は単線運転区間が解消され、全線が複線となる。
  • 1968年(昭和43年)
    • 10月29日:東急蒲田駅の南側半分が高架化され、頭端式5面4線の高架化が完成。池上線も単線運転区間が解消され、全線が複線となる。
    • 11月1日:蒲田東急ビル(→東急プラザ蒲田)が開業する。
  • 1969年(昭和44年)11月16日:角材や鉄パイプを持った学生が駅ホームで佐藤栄作首相の訪米阻止を訴えるデモを行った後、東口広場で機動隊火炎瓶を投擲する騒ぎを起こした。
  • 1970年(昭和45年)4月26日:西口駅ビル「サンカマタ」が開業。
  • 1971年(昭和46年)5月23日:旅行センター開設。
  • 1976年(昭和51年)2月14日:国鉄駅での貨物取り扱いを廃止。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:国鉄駅での荷物取り扱いを廃止。
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
  • 1991年平成3年)10月29日:JR東日本の駅に自動改札機を設置し、使用開始。
  • 2000年(平成12年)8月6日目蒲線が東急多摩川線と目黒線に分割され、当駅は池上線と東急多摩川線の駅となる。
  • 2001年(平成13年)11月18日:JR東日本でICカードSuica」の利用が可能となる。
  • 2007年(平成19年)3月18日:東急電鉄でICカード「PASMO」の利用が可能となる。
  • 2008年(平成20年)4月16日:パリオとサンカマタが統合し、駅ビル「グランデュオ蒲田」が開業。
  • 2012年(平成24年)3月17日:池上線、東急多摩川線のホームにあった駅売店toksが閉店。
  • 2019年令和元年)
  • 2021年(令和3年)4月30日:東急電鉄の定期券売り場の営業を終了。

駅名の由来

駅構造

JR東日本と東急の駅は、蒲田東急プラザ2階で連絡している。JR東日本では南口を東急との連絡口として案内しているが、中央口から出場した場合にも連絡通路を経由して乗り換えが可能である。

JR東日本の中央口と南口は、改札内ではホームを経由しなければ行き来はできない。東急の改札口は1か所のみである。

JR東日本

JR 蒲田駅
蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造 
中央口改札(2021年8月)
かまた
Kamata
JK 18 大森 (3.0 km)
(3.8 km) 川崎 JK 16
所在地 東京都大田区蒲田五丁目13-1
北緯35度33分44.9秒 東経139度42分57.8秒 / 北緯35.562472度 東経139.716056度 / 35.562472; 139.716056 (JR 蒲田駅) 東経139度42分57.8秒 / 北緯35.562472度 東経139.716056度 / 35.562472; 139.716056 (JR 蒲田駅)
駅番号 JK17
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 京浜東北線
(線路名称上は東海道本線
キロ程 14.4 km(東京起点)
大宮から44.7 km
電報略号 カマ
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度-
113,646人/日(降車客含まず)
-2021年-
開業年月日 1904年明治37年)4月11日
備考
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島式ホーム2面3線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。みどりの窓口自動改札機指定席券売機を設置している。

折り返しおよび入・出庫用の2・3番線は2つのホームに挟まれた1本の線路を使用している。双方のホームともに列車入線時・発車時には注意アナウンスが流れる。

駅の南側(当駅 - 川崎駅間)に大田運輸区(旧・蒲田電車区)が所在し、大宮方面からは当駅止まりや当駅折り返しの列車が、大船方面からは終電に当駅止まりが設定されている。日中時間帯では1時間に3本の当駅始発列車が設定されている。また、初電発車時刻は23区内の駅で最も早く、終電到着も午前1時過ぎになっている。

京浜東北線・根岸線では現在[いつ?]、ATOSプログラムの更新を行なっており、当駅も2013年1月中に新しい放送(いわゆる常磐型)へ更新された。さらに2016年2月にも再度更新され、上野東京ライン宇都宮線などで使用されている最新型の放送(いわゆる宇都宮型)となった。

のりば

下表のように、東京方面(北行)は3・4番線、横浜方面(南行)は1・2番線から発車する。

番線 路線 方向 行先 備考
1 蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造  京浜東北線 南行 川崎横浜桜木町関内大船方面
2 線路を共用
3 北行 品川東京上野赤羽大宮方面
4

(出典:JR東日本:駅構内図

  • 4番線ホームからは午前4時20分過ぎに当駅始発大宮行が設定されており、これは現時点で国内の頻回運行路線としては、桜木町発4時15分過ぎの大宮行きに次いで2番目に営業開始時刻の早い定期列車となっている(2020年4月現在)。
  • 2番線は早朝の始発と南行の当駅止まり到着時降車専用ホームとして使用。
  • 3番線は原則当駅折り返し始発のみが使用し、大田運輸区出庫の営業列車は4番線から発車するが、ダイヤ乱れなどにより大田運輸区出庫の営業列車が3番線から発車することがある。
  • 2018年10月にホームの発車案内表示器が、従来のものから東北新幹線の主要駅コンコース付近などにみられる液晶型の新タイプに更新された。ナンバリングにも対応している。

発車メロディ

発車メロディとして「蒲田行進曲」(メロディはルドルフ・フリムル「放浪者の歌」)が1997年2月23日から使用されている。これはかつて蒲田に松竹蒲田撮影所があったことに由来する。

1 - 4 蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造  蒲田行進曲

東西自由通路

  • 駅舎コンコース(2階レベル)
  • 駅北の地下通路
  • 駅南の自由通路(2階レベル、建設構想)

駅改修工事

2007年平成19年)4月17日大規模改修の施工が発表され、同年5月から2008年夏季まで工事が実施された。これとほぼ同時に、駅ビルのリニューアル工事も実施された(後述)。

  • 老朽化したコンコース天井の一部を吹き抜け空間とし、清潔感・開放感ある明るい駅空間とする。
  • 駅構内に分散している施設店舗を集約し、みどりの窓口・旅行カウンター・指定席券売機を1店舗内に配置した新しいびゅうプラザを開設する。
  • 自動改札機の配置を見直して改札口の混雑緩和を図る。
  • 旅客トイレを増設し多機能トイレも設置する。女性用にはパウダーコーナーを設ける。
  • 大田区と協力し、東口と西口に改札階(2階)と連絡するエレベーターを各1基設置(2007年7月供用開始)。
駅改修構想

この他、大田区により、新たに駅施設と一体化した東西自由通路などを建設する構想が発表された。

  • 地下に蒲蒲線新駅、2階レベルで新東西自由通路(駅南側で線路を跨ぐ)、駅前広場地下に駐輪場など。(10年後以降の建て替え構想)
  • なお蒲蒲線新駅(地下)からは東急池上線駅(2階レベル)(およびJR駅西口)への連絡路が計画されている。

東急電鉄

東急 蒲田駅
蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造 
駅出入口(2010年3月)
かまた
Kamata
所在地 東京都大田区西蒲田七丁目69-1
所属事業者 東急電鉄
駅構造 高架駅
ホーム 5面4線
乗降人員
-統計年度-
(池上線)63,543人/日
(東急多摩川線)73,635人/日
(合計)137,178人/日
-2022年-
開業年月日 1922年大正11年)10月6日
乗入路線 2 路線
所属路線 池上線
駅番号 IK15
キロ程 11.1 km(五反田起点)
IK14 蓮沼 (0.8 km)
所属路線 東急多摩川線
駅番号 TM07
キロ程 5.6 km(多摩川起点)
TM06 矢口渡 (1.3 km)
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頭端式ホーム5面4線を有する高架駅である。ホームは池上線と東急多摩川線がそれぞれ2線ずつ使用している。両端と中央のホームは降車専用ホームとなっている。中央部の降車専用ホームは池上線・東急多摩川線共用のものである。他の池上線と東急多摩川線の駅と同様に、乗車ホームにはワンマン運転に対応した監視設備や安全柵が設置されているが、降車ホームには一部を除き安全柵が設置されていない。

朝夕には池上線と東急多摩川線を直通する列車が設定されている。これは、平日のラッシュ時の運用に加え、池上線雪が谷大塚駅に併設されている雪が谷検車区から東急多摩川線への車両の送り込み(またその逆も)を兼ねている。この直通列車は構内配線の都合上、方向転換する必要があるため、通常池上線列車が発着する2番線に入線する。また、東急多摩川線で臨時列車が運行される時や運行障害などで3・4番線が使用不能な場合は2番線から東急多摩川線列車が発着することがある。

改札口の中には駅そばしぶそば」が設置されている。駅売店toksは、多機能トイレ設置工事に伴い2012年3月16日をもって一旦営業を終了したが、多機能トイレ設置後に営業を再開した(2015年5月時点で営業中)。

池上線で1本、東急多摩川線で2本の夜間停泊が行われている。このうち各1本ずつがそれぞれ五反田行きと多摩川行きの始発列車に充当される。

駅長所在駅であり、「蒲田駅管内」として池上線の当駅 - 御嶽山駅間の各駅と東急多摩川線の当駅 - 下丸子駅間の各駅を管理している。

のりば

番線 路線 行先 備考
1・2 蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造  池上線 雪が谷大塚旗の台五反田方面
3・4 蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造  東急多摩川線 下丸子多摩川方面 朝夕の一部は2番線

駅改良工事

前述の「歴史」項目に記載したが、戦前だけで2度にわたり駅設備の移設が実施されている。

戦後は太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月から4月に米軍の空襲により駅を含む一帯が焼失し、復旧するところから始まる。終戦前日の8月14日、丸太とバラック造りの粗末な駅設備で応急復旧された。目蒲線の線路は大きく移設され、池上線・目蒲線ともに当駅手前で複線から単線となり、頭端式2面2線のホームに至る構造となる。1959年(昭和34年)頃には目蒲線を1線増やした4面3線に、国鉄蒲田駅改良工事に伴い1962年(昭和37年)には3面3線に改良された。ただし、本格的な改良工事が計画されていたため、ホームや駅設備は解体を前提としたバラック構造での増設や改良に過ぎなかった。1966年(昭和41年)、ようやく東京都の土地区画整理事業が完成し、同年5月に当駅の高架化工事と蒲田東急ビル(→東急プラザ蒲田)の建設工事が始まる。

高架化工事は南側に池上線・目蒲線の仮線路・仮ホームを設置し(池上線1線、目蒲線2線)、そこで営業しながら北側に高架新駅の半分を建設、両線を移転させた。この暫定高架化は1967年(昭和42年)11月29日に完成し(11月28日終電後に線路切り替え)、池上線1線と目蒲線2線が使用され、目蒲線の単線運転区間は解消した。次に仮線路・仮ホームを撤去し、南側に高架新駅の残る半分を建設したものである。1968年(昭和43年)10月29日に南側半分の高架化が完成し、頭端式5面4線のホームとなる。池上線も単線運転区間が解消された。

駅ホームは目蒲線が4両編成に対応した85 m長、池上線が3両編成に対応した65 m長である。目蒲線・池上線は当駅手前で35 ‰の急勾配で高さ5 m以上の高架線へと上がる。建設費用(高架化工事)は10億円。

駅改修工事

2007年度から、東急の駅についてもバリアフリー対応などの改修工事を実施することが発表され、新たにエレベーターが設置された。従来より駅ビルや西口(JR側)を経由することでバリアフリーに対応していたが、これにより駅ビルの営業時間外でもエレベーターの利用が可能になっている。

2012年には多機能トイレも設置された。

2013年度に駅舎改修が行われた。また、東急では自由が丘駅緑が丘駅に次いで全面LED照明化され、調光するLED照明が導入されている。

多摩川アートラインプロジェクト

多摩川アートラインプロジェクトで、当駅には以下のアーティストによる芸術が施されている。

  • フロリアン・クラール「Thing 1 + Thing 2」 - 未来の蒲田駅をテーマにしたCG作品
  • 本橋良介「Ibk2007」
  • 吉田重信「INFINITY LIGHT」

利用状況

  • JR東日本 - 2022年度の1日平均乗車人員113,646人である。
  • 東急電鉄 - (池上線・多摩川線内相互乗換人員は除く)。
    • 池上線 - 2022年度の1日平均乗降人員63,543人である。
    • 東急多摩川線 - 2022年度の1日平均乗降人員は73,635人である。
        多摩川線内では第1位。

年度別1日平均乗降人員

近年の1日平均乗降人員推移は下記の通り(JRを除く)。

年度別1日平均乗降人員
年度 東京急行電鉄 / 東急電鉄
池上線 池上線
東急多摩川線
乗換人員
東急多摩川線
1日平均
乗降人員
増加率 1日平均
乗降人員
増加率
2002年(平成14年) 64,468 7,233 79,111
2003年(平成15年) 64,420 −0.1% 7,195 79,736 0.8%
2004年(平成16年) 64,554 0.2% 6,641 81,936 2.8%
2005年(平成17年) 64,664 0.2% 6,920 82,890 1.2%
2006年(平成18年) 66,299 2.5% 7,168 83,760 1.0%
2007年(平成19年) 67,380 1.6% 7,172 83,697 −0.1%
2008年(平成20年) 68,375 1.5% 7,104 85,155 1.7%
2009年(平成21年) 67,863 −0.7% 6,967 84,406 −0.9%
2010年(平成22年) 67,873 0.0% 7,073 84,399 0.0%
2011年(平成23年) 67,171 −1.0% 7,093 84,269 −0.2%
2012年(平成24年) 68,143 1.4% 7,307 85,300 1.2%
2013年(平成25年) 69,464 1.9% 7,656 88,102 3.3%
2014年(平成26年) 69,631 0.2% 7,654 87,970 −0.1%
2015年(平成27年) 72,106 3.6% 7,813 89,007 1.2%
2016年(平成28年) 73,814 2.4% 7,760 89,716 0.8%
2017年(平成29年) 75,484 2.3% 7,767 91,538 2.0%
2018年(平成30年) 76,764 1.7% 7,947 92,493 1.0%
2019年(令和元年) 77,049 0.4% 7,934 91,787 −0.8%
2020年(令和02年) 56,570 −26.6% 6,004 66,841 −27.2%
2021年(令和03年) 59,338 4.9% 69,530 4.0%
2022年(令和04年) 63,543 7.1% 73,635 5.9%

年度別1日平均乗車人員(1900年代 - 1930年代)

各年度の1日平均乗車人員は下表の通り。

年度別1日平均乗車人員
年度 国鉄 池上電気鉄道 目黒蒲田電鉄 出典
1904年(明治37年) 104



1905年(明治38年) 96
1907年(明治40年) 121
1908年(明治41年) 106
1909年(明治42年) 106
1911年(明治44年) 192
1912年(大正元年) 229
1913年(大正02年) 229
1914年(大正03年) 219
1915年(大正04年) 318
1916年(大正05年) 400
1919年(大正08年) 1,306
1920年(大正09年) 1,796
1922年(大正11年) 4,047
1923年(大正12年) 6,084
1924年(大正13年) 10,476
1925年(大正14年) 12,368
1926年(昭和元年) 14,233 1,552 1,983
1927年(昭和02年) 16,873 1,733 2,174
1928年(昭和03年) 20,525 3,052 2,280
1929年(昭和04年) 22,049 3,543 2,668
1930年(昭和05年) 22,717 4,112 2,072
1931年(昭和06年) 23,139 4,148 3,051
1932年(昭和07年) 23,718 2,436 3,171
1933年(昭和08年) 19,768 4,824 3,539
1934年(昭和09年) 21,457 5,312 4,313
1935年(昭和10年) 23,343 5,809 5,941

年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年)

年度別1日平均乗車人員
年度 国鉄 /
JR東日本
東京急行電鉄 出典
池上線 目蒲線
1953年(昭和28年) 33,483
1954年(昭和29年) 45,964
1955年(昭和30年) 41,880
1956年(昭和31年) 61,531 26,905 31,528
1957年(昭和32年) 69,985 30,280 36,339
1958年(昭和33年) 74,693 31,412 38,633
1959年(昭和34年) 83,697 29,662 38,281
1960年(昭和35年) 92,215 30,710 41,591
1961年(昭和36年) 96,006 31,666 44,947
1962年(昭和37年) 101,340 36,398 50,977
1963年(昭和38年) 110,163 33,364 49,449
1964年(昭和39年) 113,668 34,174 53,996
1965年(昭和40年) 118,677 36,483 52,766
1966年(昭和41年) 112,471 33,398 50,500
1967年(昭和42年) 115,216 31,882 50,361
1968年(昭和43年) 113,708 31,755 49,812
1969年(昭和44年) 101,721 33,033 50,035
1970年(昭和45年) 97,951 33,825 49,995
1971年(昭和46年) 116,177 34,478 48,907
1972年(昭和47年) 112,841 35,203 49,181
1973年(昭和48年) 112,367 35,638 49,660
1974年(昭和49年) 114,532 47,337
1975年(昭和50年) 111,956
1976年(昭和51年) 115,529 30,304 44,696
1977年(昭和52年) 112,888 30,482 45,353
1978年(昭和53年) 111,282 30,811 44,589
1979年(昭和54年) 110,751 30,355 44,077
1980年(昭和55年) 108,893 29,816 44,811
1981年(昭和56年) 107,490 30,134 45,137
1982年(昭和57年) 105,099 30,162 45,370
1983年(昭和58年) 107,230 29,959 46,699
1984年(昭和59年) 110,208 30,479 46,307
1985年(昭和60年) 108,244 31,247 46,756
1986年(昭和61年) 112,745 31,756 46,934
1987年(昭和62年) 112,893 32,011 46,749
1988年(昭和63年) 118,151 34,359 49,184
1989年(平成元年) 118,384 31,704 31,285
1990年(平成02年) 121,717 36,263 47,866
1991年(平成03年) 125,893 35,735 50,137
1992年(平成04年) 126,033 35,233 49,197
1993年(平成05年) 126,592 35,742 48,408
1994年(平成06年) 126,353 33,740 45,192
1995年(平成07年) 126,798 32,872 45,374
1996年(平成08年) 128,638 32,820 44,216
1997年(平成09年) 127,937 32,764 43,915
1998年(平成10年) 127,740 32,707 43,896
1999年(平成11年) 130,351 34,352 45,413
2000年(平成12年) 129,724 34,236 45,540

年度別1日平均乗車人員(2001年以降)

近年の1日平均乗車人員推移は下記の通り。

年度別1日平均乗車人員
年度 JR東日本 東京急行電鉄 / 東急電鉄 出典
池上線 東急
多摩川線
2001年(平成13年) 128,546 34,347 43,342
2002年(平成14年) 128,051 36,422 43,151
2003年(平成15年) 128,892 36,311 43,325
2004年(平成16年) 130,933 35,545 43,592
2005年(平成17年) 131,947 32,111 40,763
2006年(平成18年) 134,096 32,896 41,189
2007年(平成19年) 136,210 33,358 41,123
2008年(平成20年) 135,701 33,836 41,885
2009年(平成21年) 133,758 33,605 41,575
2010年(平成22年) 133,748 33,603 41,584
2011年(平成23年) 133,593 33,265 41,522
2012年(平成24年) 135,688 33,737 42,027
2013年(平成25年) 139,728 34,386 43,378
2014年(平成26年) 140,290 34,484 43,378
2015年(平成27年) 143,272 35,708 43,902
2016年(平成28年) 144,072 36,567 44,282
2017年(平成29年) 145,643 37,433 45,230
2018年(平成30年) 146,337 38,093 45,674
2019年(令和元年) 144,934 38,235 45,344
2020年(令和02年) 103,465
2021年(令和03年) 104,338
2022年(令和04年) 113,646
    備考

駅周辺

蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造 
東口ロータリー
蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造 
蒲田西口商店街
当駅(左)と京急蒲田駅(右)との位置関係

官公庁が集まる大田区の行政の中心地であるとともに、区南部(旧蒲田区)を代表する繁華街である。駅の両側に大型店(駅ビル)や商店街が形成されている。羽田空港の玄関口である京急蒲田駅との間にはホテルも多い。

タクシー乗り場は東口、西口双方にある。京浜急行電鉄京急蒲田駅は東に800メートル程度離れた場所に立地する。当駅から京急蒲田駅を経由するバスに乗車する際に、同駅で降車する旨を運転士に申告すると、現金に限り運賃が100円となる。

東口側の駅前ロータリー中央部には、新島本村(現:新島村)から寄贈されたモヤイ像が設置されている(著名な渋谷駅前のモヤイ像とは顔が異なる)。

駅東口側

駅西口側

駅南口側

駅ビル

2008年4月16日に「グランデュオ蒲田」として開業した。JR側の駅ビルは、2007年3月末まで蒲田ステーションビル株式会社(1963年2月11日会社設立、2007年4月ジェイアール東日本商業開発株式会社に合併される)が運営していた。東口側に1962年開業の「パリオ」が、西口側には1970年開業の「サンカマタ」がそれぞれ営業していた。双方とも老朽化・陳腐化が激しくなり、バリアフリーの対応についても不充分であったため、JR蒲田駅改修に併せ、2007年8月1日から全館一斉休業して、両館を統合させるとともに、大規模改修工事に着手した。

西口の東急側には東急プラザ 蒲田がある。一部フロアはグランデュオ蒲田西館と接続しており、行き来が可能である。

バス路線

東口

東口発着の路線バスは、共同運行路線(川崎・蒲田 - TDR線)を除き、すべて京浜急行バスが運行している。なお、毎年8月に開催される大連合蒲田祭では東口一帯が交通規制されるため、バス乗降場と運行経路が変更になる。かつては蒲田祭開催時のほか、毎週日曜の日中にも歩行者天国の関係で交通規制があり、バス乗降場と運行経路の変更を伴っていたが、現在は歩行者天国は実施されていない。

かつては、川崎市に所在したいすゞ自動車川崎工場への路線バスや川崎競馬場への直行便なども運行されていた。1973年(昭和48年)3月までは、同じく京急グループで川崎市内の路線を担当する川崎鶴見臨港バスも共管で乗り入れていた。

現在、東口発着の路線は「蒲35」「蒲36」「蒲67」「森50」系統が京浜急行バス大森営業所、「川崎・蒲田 - TDR線」が新子安営業所、それ以外はすべて羽田営業所が運行する。「川崎・蒲田 - TDR線」で共同運行する京成バス新習志野高速営業所の担当となっている。

のりば 運行事業者 系統・行先
0 京浜急行バス
1
  • 蒲73:羽田車庫
  • 蒲74:六郷神社 / 六郷橋
  • 蒲75:大師橋下
2 森50大森駅東口
3
4
  • 蒲30:羽田空港第2ターミナル
  • 蒲31:羽田空港
  • 蒲32・蒲33:羽田車庫
5
6 蒲67大森東五丁目
直行東京ディズニーリゾート

西口

西口発着の路線バスはすべて東急バスが担当している。昭和40年代には川崎市内・横浜市内への、また1984年(昭和59年)2月までは目黒世田谷両区への直通路線もあったが、いずれも廃止になっており現在は品川駅行きが港区に入る以外は原則として大田・品川区内で完結する路線しかない。

現在、蒲田駅を発着する東急バス路線の担当はすべて池上営業所である。かつては駒沢営業所荏原営業所川崎営業所(駒沢と川崎は廃止)、日吉営業所(現在の東山田営業所)も乗り入れていたほか、蒲15系統は一時期目黒営業所が担当していた時期がある。

のりば 運行事業者 系統・行先
1 東急バス 蒲01六郷土手
2 蒲12田園調布駅
3
  • 品94品川駅
  • 井03:大井町駅
  • 井03(入庫):池上営業所

将来計画

当駅と京急蒲田駅を結ぶ路線として新空港線(蒲蒲線)の建設計画があり、その際に東急多摩川線が地下化され、新たな蒲田地下駅を設ける計画がある。 池上線は地上(駅ホームは2F)に残り、東急多摩川線とは分離されるが、連絡通路設置が計画されている。

隣の駅

    東日本旅客鉄道(JR東日本)
    蒲田駅: 乗り入れ路線, 歴史, 駅構造  京浜東北線
  • 1946年(昭和21年)まで矢口渡駅 - 当駅間に道塚駅が存在した。

脚注

記事本文

注釈

出典

広報資料・プレスリリースなど一次資料

利用状況

    JR・私鉄の1日平均利用客数
    JR東日本の1999年度以降の乗車人員
    東急電鉄の1日平均利用客数
    JR・私鉄の統計データ
    東京府統計書
    東京都統計年鑑

参考文献

関連項目

外部リンク

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