蒲田駅(かまたえき)は、東京都大田区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄の駅である。
蒲田駅 | |
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東口・駅ビル(2010年3月) | |
かまた Kamata | |
所在地 | 東京都大田区 |
所属事業者 |
以下の3路線が乗り入れている。JR東日本と東急の2社が乗り入れ、両社間の接続駅となっている。
JR東日本と東急の駅は、蒲田東急プラザ2階で連絡している。JR東日本では南口を東急との連絡口として案内しているが、中央口から出場した場合にも連絡通路を経由して乗り換えが可能である。
JR東日本の中央口と南口は、改札内ではホームを経由しなければ行き来はできない。東急の改札口は1か所のみである。
JR 蒲田駅 | |
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中央口改札(2021年8月) | |
かまた Kamata | |
◄JK 18 大森 (3.0 km) (3.8 km) 川崎 JK 16► | |
所在地 | 東京都大田区蒲田五丁目13-1 北緯35度33分44.9秒 東経139度42分57.8秒 / 北緯35.562472度 東経139.716056度 東経139度42分57.8秒 / 北緯35.562472度 東経139.716056度 |
駅番号 | JK17 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■京浜東北線 (線路名称上は東海道本線) |
キロ程 | 14.4 km(東京起点) 大宮から44.7 km |
電報略号 | カマ |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- | 113,646人/日(降車客含まず) -2021年- |
開業年月日 | 1904年(明治37年)4月11日 |
備考 | |
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島式ホーム2面3線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。みどりの窓口・自動改札機・指定席券売機を設置している。
折り返しおよび入・出庫用の2・3番線は2つのホームに挟まれた1本の線路を使用している。双方のホームともに列車入線時・発車時には注意アナウンスが流れる。
駅の南側(当駅 - 川崎駅間)に大田運輸区(旧・蒲田電車区)が所在し、大宮方面からは当駅止まりや当駅折り返しの列車が、大船方面からは終電に当駅止まりが設定されている。日中時間帯では1時間に3本の当駅始発列車が設定されている。また、初電発車時刻は23区内の駅で最も早く、終電到着も午前1時過ぎになっている。
京浜東北線・根岸線では現在[いつ?]、ATOSプログラムの更新を行なっており、当駅も2013年1月中に新しい放送(いわゆる常磐型)へ更新された。さらに2016年2月にも再度更新され、上野東京ラインや宇都宮線などで使用されている最新型の放送(いわゆる宇都宮型)となった。
下表のように、東京方面(北行)は3・4番線、横浜方面(南行)は1・2番線から発車する。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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1 | 京浜東北線 | 南行 | 川崎・横浜・桜木町・関内・大船方面 | |
2 | 線路を共用 | |||
3 | 北行 | 品川・東京・上野・赤羽・大宮方面 | ||
4 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
発車メロディとして「蒲田行進曲」(メロディはルドルフ・フリムル「放浪者の歌」)が1997年2月23日から使用されている。これはかつて蒲田に松竹蒲田撮影所があったことに由来する。
1 - 4 | 蒲田行進曲 |
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2007年(平成19年)4月17日大規模改修の施工が発表され、同年5月から2008年夏季まで工事が実施された。これとほぼ同時に、駅ビルのリニューアル工事も実施された(後述)。
この他、大田区により、新たに駅施設と一体化した東西自由通路などを建設する構想が発表された。
東急 蒲田駅 | |
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駅出入口(2010年3月) | |
かまた Kamata | |
所在地 | 東京都大田区西蒲田七丁目69-1 |
所属事業者 | 東急電鉄 |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 5面4線 |
乗降人員 -統計年度- | (池上線)63,543人/日 (東急多摩川線)73,635人/日 (合計)137,178人/日 -2022年- |
開業年月日 | 1922年(大正11年)10月6日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■池上線 |
駅番号 | IK15 |
キロ程 | 11.1 km(五反田起点) |
◄IK14 蓮沼 (0.8 km) | |
所属路線 | ■東急多摩川線 |
駅番号 | TM07 |
キロ程 | 5.6 km(多摩川起点) |
◄TM06 矢口渡 (1.3 km) |
頭端式ホーム5面4線を有する高架駅である。ホームは池上線と東急多摩川線がそれぞれ2線ずつ使用している。両端と中央のホームは降車専用ホームとなっている。中央部の降車専用ホームは池上線・東急多摩川線共用のものである。他の池上線と東急多摩川線の駅と同様に、乗車ホームにはワンマン運転に対応した監視設備や安全柵が設置されているが、降車ホームには一部を除き安全柵が設置されていない。
朝夕には池上線と東急多摩川線を直通する列車が設定されている。これは、平日のラッシュ時の運用に加え、池上線雪が谷大塚駅に併設されている雪が谷検車区から東急多摩川線への車両の送り込み(またその逆も)を兼ねている。この直通列車は構内配線の都合上、方向転換する必要があるため、通常池上線列車が発着する2番線に入線する。また、東急多摩川線で臨時列車が運行される時や運行障害などで3・4番線が使用不能な場合は2番線から東急多摩川線列車が発着することがある。
改札口の中には駅そば「しぶそば」が設置されている。駅売店toksは、多機能トイレ設置工事に伴い2012年3月16日をもって一旦営業を終了したが、多機能トイレ設置後に営業を再開した(2015年5月時点で営業中)。
池上線で1本、東急多摩川線で2本の夜間停泊が行われている。このうち各1本ずつがそれぞれ五反田行きと多摩川行きの始発列車に充当される。
駅長所在駅であり、「蒲田駅管内」として池上線の当駅 - 御嶽山駅間の各駅と東急多摩川線の当駅 - 下丸子駅間の各駅を管理している。
番線 | 路線 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|
1・2 | 池上線 | 雪が谷大塚・旗の台・五反田方面 | |
3・4 | 東急多摩川線 | 下丸子・多摩川方面 | 朝夕の一部は2番線 |
前述の「歴史」項目に記載したが、戦前だけで2度にわたり駅設備の移設が実施されている。
戦後は太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月から4月に米軍の空襲により駅を含む一帯が焼失し、復旧するところから始まる。終戦前日の8月14日、丸太とバラック造りの粗末な駅設備で応急復旧された。目蒲線の線路は大きく移設され、池上線・目蒲線ともに当駅手前で複線から単線となり、頭端式2面2線のホームに至る構造となる。1959年(昭和34年)頃には目蒲線を1線増やした4面3線に、国鉄蒲田駅改良工事に伴い1962年(昭和37年)には3面3線に改良された。ただし、本格的な改良工事が計画されていたため、ホームや駅設備は解体を前提としたバラック構造での増設や改良に過ぎなかった。1966年(昭和41年)、ようやく東京都の土地区画整理事業が完成し、同年5月に当駅の高架化工事と蒲田東急ビル(→東急プラザ蒲田)の建設工事が始まる。
高架化工事は南側に池上線・目蒲線の仮線路・仮ホームを設置し(池上線1線、目蒲線2線)、そこで営業しながら北側に高架新駅の半分を建設、両線を移転させた。この暫定高架化は1967年(昭和42年)11月29日に完成し(11月28日終電後に線路切り替え)、池上線1線と目蒲線2線が使用され、目蒲線の単線運転区間は解消した。次に仮線路・仮ホームを撤去し、南側に高架新駅の残る半分を建設したものである。1968年(昭和43年)10月29日に南側半分の高架化が完成し、頭端式5面4線のホームとなる。池上線も単線運転区間が解消された。
駅ホームは目蒲線が4両編成に対応した85 m長、池上線が3両編成に対応した65 m長である。目蒲線・池上線は当駅手前で35 ‰の急勾配で高さ5 m以上の高架線へと上がる。建設費用(高架化工事)は10億円。
2007年度から、東急の駅についてもバリアフリー対応などの改修工事を実施することが発表され、新たにエレベーターが設置された。従来より駅ビルや西口(JR側)を経由することでバリアフリーに対応していたが、これにより駅ビルの営業時間外でもエレベーターの利用が可能になっている。
2012年には多機能トイレも設置された。
2013年度に駅舎改修が行われた。また、東急では自由が丘駅、緑が丘駅に次いで全面LED照明化され、調光するLED照明が導入されている。
多摩川アートラインプロジェクトで、当駅には以下のアーティストによる芸術が施されている。
近年の1日平均乗降人員推移は下記の通り(JRを除く)。
年度 | 東京急行電鉄 / 東急電鉄 | ||||
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池上線 | 池上線 東急多摩川線 乗換人員 | 東急多摩川線 | |||
1日平均 乗降人員 | 増加率 | 1日平均 乗降人員 | 増加率 | ||
2002年(平成14年) | 64,468 | 7,233 | 79,111 | ||
2003年(平成15年) | 64,420 | −0.1% | 7,195 | 79,736 | 0.8% |
2004年(平成16年) | 64,554 | 0.2% | 6,641 | 81,936 | 2.8% |
2005年(平成17年) | 64,664 | 0.2% | 6,920 | 82,890 | 1.2% |
2006年(平成18年) | 66,299 | 2.5% | 7,168 | 83,760 | 1.0% |
2007年(平成19年) | 67,380 | 1.6% | 7,172 | 83,697 | −0.1% |
2008年(平成20年) | 68,375 | 1.5% | 7,104 | 85,155 | 1.7% |
2009年(平成21年) | 67,863 | −0.7% | 6,967 | 84,406 | −0.9% |
2010年(平成22年) | 67,873 | 0.0% | 7,073 | 84,399 | 0.0% |
2011年(平成23年) | 67,171 | −1.0% | 7,093 | 84,269 | −0.2% |
2012年(平成24年) | 68,143 | 1.4% | 7,307 | 85,300 | 1.2% |
2013年(平成25年) | 69,464 | 1.9% | 7,656 | 88,102 | 3.3% |
2014年(平成26年) | 69,631 | 0.2% | 7,654 | 87,970 | −0.1% |
2015年(平成27年) | 72,106 | 3.6% | 7,813 | 89,007 | 1.2% |
2016年(平成28年) | 73,814 | 2.4% | 7,760 | 89,716 | 0.8% |
2017年(平成29年) | 75,484 | 2.3% | 7,767 | 91,538 | 2.0% |
2018年(平成30年) | 76,764 | 1.7% | 7,947 | 92,493 | 1.0% |
2019年(令和元年) | 77,049 | 0.4% | 7,934 | 91,787 | −0.8% |
2020年(令和 | 2年)56,570 | −26.6% | 6,004 | 66,841 | −27.2% |
2021年(令和 | 3年)59,338 | 4.9% | 69,530 | 4.0% | |
2022年(令和 | 4年)63,543 | 7.1% | 73,635 | 5.9% |
各年度の1日平均乗車人員は下表の通り。
年度 | 国鉄 | 池上電気鉄道 | 目黒蒲田電鉄 | 出典 |
---|---|---|---|---|
1904年(明治37年) | 104 | 未 開 業 | 未 開 業 | |
1905年(明治38年) | 96 | |||
1907年(明治40年) | 121 | |||
1908年(明治41年) | 106 | |||
1909年(明治42年) | 106 | |||
1911年(明治44年) | 192 | |||
1912年(大正元年) | 229 | |||
1913年(大正 | 2年)229 | |||
1914年(大正 | 3年)219 | |||
1915年(大正 | 4年)318 | |||
1916年(大正 | 5年)400 | |||
1919年(大正 | 8年)1,306 | |||
1920年(大正 | 9年)1,796 | |||
1922年(大正11年) | 4,047 | |||
1923年(大正12年) | 6,084 | |||
1924年(大正13年) | 10,476 | |||
1925年(大正14年) | 12,368 | |||
1926年(昭和元年) | 14,233 | 1,552 | 1,983 | |
1927年(昭和 | 2年)16,873 | 1,733 | 2,174 | |
1928年(昭和 | 3年)20,525 | 3,052 | 2,280 | |
1929年(昭和 | 4年)22,049 | 3,543 | 2,668 | |
1930年(昭和 | 5年)22,717 | 4,112 | 2,072 | |
1931年(昭和 | 6年)23,139 | 4,148 | 3,051 | |
1932年(昭和 | 7年)23,718 | 2,436 | 3,171 | |
1933年(昭和 | 8年)19,768 | 4,824 | 3,539 | |
1934年(昭和 | 9年)21,457 | 5,312 | 4,313 | |
1935年(昭和10年) | 23,343 | 5,809 | 5,941 |
年度 | 国鉄 / JR東日本 | 東京急行電鉄 | 出典 | |
---|---|---|---|---|
池上線 | 目蒲線 | |||
1953年(昭和28年) | 33,483 | |||
1954年(昭和29年) | 45,964 | |||
1955年(昭和30年) | 41,880 | |||
1956年(昭和31年) | 61,531 | 26,905 | 31,528 | |
1957年(昭和32年) | 69,985 | 30,280 | 36,339 | |
1958年(昭和33年) | 74,693 | 31,412 | 38,633 | |
1959年(昭和34年) | 83,697 | 29,662 | 38,281 | |
1960年(昭和35年) | 92,215 | 30,710 | 41,591 | |
1961年(昭和36年) | 96,006 | 31,666 | 44,947 | |
1962年(昭和37年) | 101,340 | 36,398 | 50,977 | |
1963年(昭和38年) | 110,163 | 33,364 | 49,449 | |
1964年(昭和39年) | 113,668 | 34,174 | 53,996 | |
1965年(昭和40年) | 118,677 | 36,483 | 52,766 | |
1966年(昭和41年) | 112,471 | 33,398 | 50,500 | |
1967年(昭和42年) | 115,216 | 31,882 | 50,361 | |
1968年(昭和43年) | 113,708 | 31,755 | 49,812 | |
1969年(昭和44年) | 101,721 | 33,033 | 50,035 | |
1970年(昭和45年) | 97,951 | 33,825 | 49,995 | |
1971年(昭和46年) | 116,177 | 34,478 | 48,907 | |
1972年(昭和47年) | 112,841 | 35,203 | 49,181 | |
1973年(昭和48年) | 112,367 | 35,638 | 49,660 | |
1974年(昭和49年) | 114,532 | 47,337 | ||
1975年(昭和50年) | 111,956 | |||
1976年(昭和51年) | 115,529 | 30,304 | 44,696 | |
1977年(昭和52年) | 112,888 | 30,482 | 45,353 | |
1978年(昭和53年) | 111,282 | 30,811 | 44,589 | |
1979年(昭和54年) | 110,751 | 30,355 | 44,077 | |
1980年(昭和55年) | 108,893 | 29,816 | 44,811 | |
1981年(昭和56年) | 107,490 | 30,134 | 45,137 | |
1982年(昭和57年) | 105,099 | 30,162 | 45,370 | |
1983年(昭和58年) | 107,230 | 29,959 | 46,699 | |
1984年(昭和59年) | 110,208 | 30,479 | 46,307 | |
1985年(昭和60年) | 108,244 | 31,247 | 46,756 | |
1986年(昭和61年) | 112,745 | 31,756 | 46,934 | |
1987年(昭和62年) | 112,893 | 32,011 | 46,749 | |
1988年(昭和63年) | 118,151 | 34,359 | 49,184 | |
1989年(平成元年) | 118,384 | 31,704 | 31,285 | |
1990年(平成 | 2年)121,717 | 36,263 | 47,866 | |
1991年(平成 | 3年)125,893 | 35,735 | 50,137 | |
1992年(平成 | 4年)126,033 | 35,233 | 49,197 | |
1993年(平成 | 5年)126,592 | 35,742 | 48,408 | |
1994年(平成 | 6年)126,353 | 33,740 | 45,192 | |
1995年(平成 | 7年)126,798 | 32,872 | 45,374 | |
1996年(平成 | 8年)128,638 | 32,820 | 44,216 | |
1997年(平成 | 9年)127,937 | 32,764 | 43,915 | |
1998年(平成10年) | 127,740 | 32,707 | 43,896 | |
1999年(平成11年) | 130,351 | 34,352 | 45,413 | |
2000年(平成12年) | 129,724 | 34,236 | 45,540 |
近年の1日平均乗車人員推移は下記の通り。
年度 | JR東日本 | 東京急行電鉄 / 東急電鉄 | 出典 | |
---|---|---|---|---|
池上線 | 東急 多摩川線 | |||
2001年(平成13年) | 128,546 | 34,347 | 43,342 | |
2002年(平成14年) | 128,051 | 36,422 | 43,151 | |
2003年(平成15年) | 128,892 | 36,311 | 43,325 | |
2004年(平成16年) | 130,933 | 35,545 | 43,592 | |
2005年(平成17年) | 131,947 | 32,111 | 40,763 | |
2006年(平成18年) | 134,096 | 32,896 | 41,189 | |
2007年(平成19年) | 136,210 | 33,358 | 41,123 | |
2008年(平成20年) | 135,701 | 33,836 | 41,885 | |
2009年(平成21年) | 133,758 | 33,605 | 41,575 | |
2010年(平成22年) | 133,748 | 33,603 | 41,584 | |
2011年(平成23年) | 133,593 | 33,265 | 41,522 | |
2012年(平成24年) | 135,688 | 33,737 | 42,027 | |
2013年(平成25年) | 139,728 | 34,386 | 43,378 | |
2014年(平成26年) | 140,290 | 34,484 | 43,378 | |
2015年(平成27年) | 143,272 | 35,708 | 43,902 | |
2016年(平成28年) | 144,072 | 36,567 | 44,282 | |
2017年(平成29年) | 145,643 | 37,433 | 45,230 | |
2018年(平成30年) | 146,337 | 38,093 | 45,674 | |
2019年(令和元年) | 144,934 | 38,235 | 45,344 | |
2020年(令和 | 2年)103,465 | |||
2021年(令和 | 3年)104,338 | |||
2022年(令和 | 4年)113,646 |
官公庁が集まる大田区の行政の中心地であるとともに、区南部(旧蒲田区)を代表する繁華街である。駅の両側に大型店(駅ビル)や商店街が形成されている。羽田空港の玄関口である京急蒲田駅との間にはホテルも多い。
タクシー乗り場は東口、西口双方にある。京浜急行電鉄の京急蒲田駅は東に800メートル程度離れた場所に立地する。当駅から京急蒲田駅を経由するバスに乗車する際に、同駅で降車する旨を運転士に申告すると、現金に限り運賃が100円となる。
東口側の駅前ロータリー中央部には、新島本村(現:新島村)から寄贈されたモヤイ像が設置されている(著名な渋谷駅前のモヤイ像とは顔が異なる)。
2008年4月16日に「グランデュオ蒲田」として開業した。JR側の駅ビルは、2007年3月末まで蒲田ステーションビル株式会社(1963年2月11日会社設立、2007年4月ジェイアール東日本商業開発株式会社に合併される)が運営していた。東口側に1962年開業の「パリオ」が、西口側には1970年開業の「サンカマタ」がそれぞれ営業していた。双方とも老朽化・陳腐化が激しくなり、バリアフリーの対応についても不充分であったため、JR蒲田駅改修に併せ、2007年8月1日から全館一斉休業して、両館を統合させるとともに、大規模改修工事に着手した。
西口の東急側には東急プラザ 蒲田がある。一部フロアはグランデュオ蒲田西館と接続しており、行き来が可能である。
東口発着の路線バスは、共同運行路線(川崎・蒲田 - TDR線)を除き、すべて京浜急行バスが運行している。なお、毎年8月に開催される大連合蒲田祭では東口一帯が交通規制されるため、バス乗降場と運行経路が変更になる。かつては蒲田祭開催時のほか、毎週日曜の日中にも歩行者天国の関係で交通規制があり、バス乗降場と運行経路の変更を伴っていたが、現在は歩行者天国は実施されていない。
かつては、川崎市に所在したいすゞ自動車川崎工場への路線バスや川崎競馬場への直行便なども運行されていた。1973年(昭和48年)3月までは、同じく京急グループで川崎市内の路線を担当する川崎鶴見臨港バスも共管で乗り入れていた。
現在、東口発着の路線は「蒲35」「蒲36」「蒲67」「森50」系統が京浜急行バス大森営業所、「川崎・蒲田 - TDR線」が新子安営業所、それ以外はすべて羽田営業所が運行する。「川崎・蒲田 - TDR線」で共同運行する京成バスは新習志野高速営業所の担当となっている。
のりば | 運行事業者 | 系統・行先 |
---|---|---|
0 | 京浜急行バス |
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2 | 森50:大森駅東口 | |
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6 | 蒲67:大森東五丁目 | |
| 直行:東京ディズニーリゾート |
西口発着の路線バスはすべて東急バスが担当している。昭和40年代には川崎市内・横浜市内への、また1984年(昭和59年)2月までは目黒・世田谷両区への直通路線もあったが、いずれも廃止になっており現在は品川駅行きが港区に入る以外は原則として大田・品川区内で完結する路線しかない。
現在、蒲田駅を発着する東急バス路線の担当はすべて池上営業所である。かつては駒沢営業所や荏原営業所、川崎営業所(駒沢と川崎は廃止)、日吉営業所(現在の東山田営業所)も乗り入れていたほか、蒲15系統は一時期目黒営業所が担当していた時期がある。
のりば | 運行事業者 | 系統・行先 |
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1 | 東急バス | 蒲01:六郷土手 |
2 | 蒲12:田園調布駅 | |
3 |
当駅と京急蒲田駅を結ぶ路線として新空港線(蒲蒲線)の建設計画があり、その際に東急多摩川線が地下化され、新たな蒲田地下駅を設ける計画がある。 池上線は地上(駅ホームは2F)に残り、東急多摩川線とは分離されるが、連絡通路設置が計画されている。
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