結城 耕造(ゆうき こうぞう、1979年1月23日 - )は、日本の元サッカー選手。J1アビスパ福岡社長。神奈川県横浜市 出身。父親は国立教育政策研究所名誉所員の結城忠。
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名前 | ||||||
愛称 | ユーキ、コーゾー | |||||
カタカナ | ユウキ コウゾウ | |||||
ラテン文字 | YUKI Kozo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1979年1月23日(45歳) | |||||
出身地 | 神奈川県横浜市 | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1985-1990 1991-1993 1994-1996 1998-2001 | FC本郷(本郷台小) 横浜市立本郷中学校 横浜フリューゲルスユース(柏陽高) 早稲田大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2002-2008 2008 2009-2010 2009-2010 | ジェフ市原/ジェフ千葉 →サンフレッチェ広島 デュッセルドルフ →デュッセルドルフⅡ | 19 (0) 2 (0) 14 (0) 47 (1) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2010年7月31日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
横浜フリューゲルスユース から、二浪しての一般入試で早稲田大学 法学部に入学し、早稲田大学ア式蹴球部で活躍した。
3年次の2002年に、大学を休学する形でジェフユナイテッド市原に入団する。
市原加入当初はなかなか出場機会に恵まれなかったが、2004年シーズンから徐々に出番を増やす。2005年シーズンは、ワールドユースに出場していた水本裕貴が抜けている間にレギュラーとして活躍。水本が戻ってきた後も信頼を勝ち取りレギュラーとして定着した。その後は再度水本にポジションを奪われ、また怪我も重なって出場機会が減少する。
2008年6月、戸田和幸とのトレードの形で、DF陣の層の薄くなっていた当時J2のサンフレッチェ広島へレンタル移籍する。移籍を決意したのは両親が広島市中区の出身ということもあった。怪我人が続出したCB陣の穴を埋め、J1昇格に貢献した。同年末、千葉から戦力外通告され、レンタル先の広島では西河翔吾の復帰に伴い完全移籍もなかった。
2009年、早稲田大学に復学、早大公認のNPO法人ワセダクラブのスクールである、ワセダクラブ田無フットサルスクールコーチに就任しつつ、移籍先を探していた。
同年7月、ドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフと契約した。ただ、厚い選手層に阻まれトップチームではほとんど出場機会に恵まれなく、2軍であるレギオナルリーガのフォルトゥナ・デュッセルドルフⅡでもプレーした。2010年01月10日、Wintercup2010(フォルトゥナ・デュッセルドルフ、バイヤー・レヴァークーゼン、VfLヴォルフスブルク、ボルシア・メンヒェングラートバッハの4チームによる大会)にて、レヴァークーゼン戦とメンヒェングラートバッハ戦にスタメンでフル出場。フォルトゥナはこの大会で唯一の2部クラブであるが、準優勝。特にレヴァークーゼン戦では手堅い守備で活躍し、1-0での勝利に貢献。地元紙から「クールで賢いプレーを披露」と評された。
同シーズン末に退団し次の移籍先を探していた が見つからず、現役引退した。引退後、早稲田大学に復学した。早稲田大学大学院経営管理研究科修了。不動産業・アパマングループのシステムソフト社傘下SS Technologies株式会社 社長。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 市原 | 31 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2003 | 4 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 9 | 0 | |||
2004 | 24 | 11 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | ||
2005 | 千葉 | 20 | 0 | 9 | 0 | 2 | 0 | 31 | 0 | ||
2006 | 9 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | |||
2007 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
2008 | 5 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
広島 | 3 | J2 | 19 | 0 | - | 0 | 0 | 19 | 0 | ||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2009-10 | デュッセルドルフ | 23 | ブンデス2部 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
通算 | 日本 | J1 | 47 | 1 | 18 | 0 | 5 | 0 | 70 | 1 | |
日本 | J2 | 19 | 0 | - | 0 | 0 | 19 | 0 | |||
ドイツ | ブンデス2部 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||||
総通算 | 68 | 1 | 18 | 0 | 5 | 0 | 91 | 1 |
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