米津 常春(よねきつ つねはる)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。徳川家康に仕え、徳川十六神将の一人に数えられる。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 1524年 |
死没 | 慶長17年(1612年)11月 |
別名 | 藤蔵 |
戒名 | 浄心 |
主君 | 松平広忠、徳川家康 |
氏族 | 米津氏 |
父母 | 父:米津勝政 |
兄弟 | 常春、政信 |
子 | 正勝、春親、春忠、女子 |
三河国の有力国人松平氏に歴仕した米津勝政の子。自身も13歳より松平氏に仕え、天文18年(1549年)安城合戦では自ら槍を取って勇戦する。その後も徳川家康の部将として、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いの前哨戦である丸根砦攻めでは家康の護衛を務めた。以後も家康の三河平定軍に従軍し、永禄6年(1563年)三河一向一揆平定、永禄7年(1564年)宝飯郡赤坂の戦いに従軍。生涯で戦功は18度、一番槍13度、手傷73か所を数え、禄高は3000石を領した。だが若くして目を病み、後年には失明して蟄居した。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは家康に供奉。慶長17年(1612年)江戸において没。
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