病院船(びょういんせん、英語: hospital ship)とは、広義には戦争や飢餓、大災害の現場で、傷病者に医療ケアのプライマリ・ケアを提供したり、病院の役割を果たすために使われる船舶。狭義にはそのうちジュネーヴ条約が適用されるもので、傷病者や難船者に援助を与え、治療と輸送を唯一の目的として、国が建造又は設備した船舶をいう。
通例、病院船は戦場における傷病者に対する医療を目的としているため、各国の海軍が運用している。特異な例としては、スペインでは遠洋漁業の従事者の応急手当を目的としているため雇用・社会保険省が保有・運用している。日本では第二次世界大戦期まで運行されていたが戦後は運航されていない。
治療機能を持たず、救急車のように搬送に特化した「救急艇」も存在する。
戦場において傷病兵への医療活動を行う船は、古代ローマ時代には存在していた。
近代においては、1850年代のクリミア戦争でイギリスやフランスが病院船を運用したことが知られる。1860年代アメリカの南北戦争では、「レッドローバー」(1859年就役)が南北両軍の傷病兵を治療した。このころ、赤十字活動の勃興とともに、病院船の戦時国際法上の地位も確立されていった。
その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦などでは、いくつかの国で客船を改装した病院船が整備され、運用された。イギリスの「ブリタニック」、日本の「氷川丸」などが活躍した。しかし、両大戦では国際法を無視した攻撃が行われ、犠牲者を出す事態も発生したほか、国際法を逆手に不法に兵員や軍需物資の輸送に用いられた例もあった。
21世紀に入っても、アメリカ海軍によって病床数1,000床のマーシー級病院船2隻、すなわち「マーシー」と「コンフォート」が運用されており、これらが世界でもっとも大型の救命救急の船舶として知られる。ブラジルやペルーといった南アメリカ諸国では、河川砲艦の設計に準じた河川病院船も存在しており、有事には本来の任務に用いるが、むしろ、平時における医療機関に乏しい地域への巡回医療活動に用いられているものもある。同様の巡回医療に用いられている病院船として、インドネシア海軍の病院船「Dr. スハルソ」がある。
先述のように、狭義の病院船はジュネーヴ条約が適用される、傷病者や難船者に援助を与え、治療と輸送を唯一の目的として、国が建造又は設備した船舶をいう。条約上、病院船には軍用病院船、救済団体の病院船、中立国救済団体の病院船がある。
軍用病院船は「傷者、病者及び難船者に援助を与え、それらの者を治療し、並びにそれらの者を輸送すること」を唯一の目的としなければならない(ジュネーブ第2条約第22条)
スペインの「エスペランザ・デ・ラ・マール」(約5,000t)や「ファン・デ・ラ・コーサ」(約2,600t)は軍務に就いておらず条約の適用を受ける狭義の病院船ではない(条約の適用を受けないため船体は独自のデザインを用いている)。一方、イギリスやフランスにみられる軍艦に医療機能を付加した艦船は医療専用船でないため条約の対象外である。
近代戦時国際法のもとでは、病院船は一定の標識を行い、医療以外の軍事活動を行わないなどの要件をみたすことで、いかなる軍事的攻撃からも保護される。今日では1949年のジュネーヴ第2条約が病院船に関する明文規定を定めている。
時期によって若干の変遷はあるものの、「ジュネーブ第2条約(海上傷病者保護条約)」に基づく基本的要件は以下の通りである。
病院船がジュネーブ第2条約上の保護を受ける条件は上記の通りであるが、病院船として条約に適合するために運用の制限がかかる事を嫌い、病院船と同様の機能を持ちながら病院船としては登録していない国や、平素の運用時には上記条件を満たさず、紛争地帯への派遣の際に条約適合の船体整備を行う国も存在する。
第二次大戦期の病院船は船体に細いストライプが入るが、これは「ジュネーヴ条約の原則を海戦に応用する条約」(1899年)第5条で以下のように規定された。
帯色の規定は1949年のジュネーヴ第2条約で廃止されたが、国によっては引き続き採用した。
病院船の保護は人道的任務から逸脱して敵に有害な行為を行うために使用された場合でない限り消滅しない(保護を消滅させる場合も合理的な期限を定めた警告が発せられ、かつ、その警告が無視された後でなければならない)。
実際には保護されるべきはずの病院船が、敵艦から意図的に攻撃を受ける事件もあった(「ぶゑのすあいれす丸」撃沈事件、「オプテンノール」拿捕など)。過失による撃沈を防ぐために病院船は夜間も明かりを灯し病院船であることを主張した。純白の美しい外観、病院船という任務目的からか、付近の味方艦船乗員の心理的安堵感が増し、気が緩んだ隙に病院船周囲を周回している敵の潜水艦に撃沈されるという凄惨な例もあった。また保護を悪用して、病院船を軍需輸送に使用する例も発生した(橘丸事件など)。
国際法上の保護要件を満たすには目立つ外観となり船団航行に向かない、軍需輸送に容易には転用できないなど運用上の困難があるため、一部の病院船は白色塗装や通知などをあえて行わないことがある。太平洋戦争時の大日本帝国陸軍が保有していた病院船には、このような国内限りの病院船が多く存在した。こうした病院船については、当然、軍事的攻撃も禁止されない。
このほか、戦時に病院船と同様の保護を受ける地位(安導権)を与えられる船がある。捕虜などへの救恤物資を輸送する船と、交換船が代表例である。こうした船についても、阿波丸事件のように攻撃を受ける例があった。
海上自衛隊には病院船が在籍していない。ただし、はしだて型迎賓艇、潜水艦救難艦が有事や災害時の医療機能を考慮して設計されているほか、おおすみ型輸送艦、ひゅうが型護衛艦、いずも型護衛艦に野外手術システムを搭載することで高度な医療機能を有することが可能である。各護衛艦、補給艦には小規模な医務室と衛生員が配置されている。
また、超党派の国会議員による病院船建造推進議員連盟の働きかけで、平成23年度第3次補正予算で、病院船建造の調査費が計上された。しかしその後、新造では建造費用が350億円かかる、維持費も高価であることから専用船の新造や中古船改造は断念され、大規模自然災害や武力紛争など有事の際は、既存民間輸送船に野外手術システムを積む予定であり、今後試験運用が行われる予定。
2021年6月11日、第204回国会において、「災害時等における船舶を活用した医療提供体制の整備の推進に関する法律」(略称:病院船推進法)が成立、同6月18日に公布され、3年以内に施行される。
2021年8月4日、海洋研究開発機構が2026年度の完成に向けて建造中の北極域研究船を、緊急時の「病院船」として活用する方針を固めたと報道された。
同年8月27日、豪雨等による自然災害発生時に被災地支援対応できる「北極域研究船」(発注元:海洋研究開発機構〈JAMSTEC〉)をジャパンマリンユナイテッドが受注した。
なお、恩賜財団済生会では、1962年から瀬戸内海・豊後水道を定期巡回・診療する病院船『済生丸』を運航開始している。
ブラジル海軍は河川病院船を運用しており、アマゾン川流域及びパンタナルの沿岸地域一帯の住民に対して歯科を含む医療支援を提供している。また、フランシスコ会等が運航する非軍事の河川病院船としてPope Francis(教皇フランシスコ)号を保有している。
スペインは民政省庁の雇用・社会保険省により、遠洋漁業の従事者に対する応急医療の提供を目的として2隻の病院船が運用されている。
インドネシア インドネシア海軍は、同国の辺境離島地域における不十分な保険衛生機能を定期巡回により補うとともに、各種災害対処、国際貢献に資するための病院船3隻体制を保持している。
ベトナム ベトナム海軍は、南沙諸島一帯に駐留する兵士、現地居住民、操業する漁師に対して救急医療を提供し、海上の国家主権の保護を目的として病院船を運用している。
旅客機や輸送機の機内に治療設備を搭載した病院機(Flying Hospital)も存在する。
アメリカ軍では戦傷者を本土に治療しながら帰国させるためC-131に簡易ベッドと治療設備を搭載していた。現在ではアメリカ空軍がC-9の患者輸送型のC-9Aを配備している。日本では航空自衛隊がC-130に搭載可能なコンテナに医療設備を納めた機動衛生ユニットを配備している。
眼科医療を行う国際的NGOオービス・インターナショナルは、航空会社から寄贈された中古の旅客機を改装し眼科専門の手術室や研修室などを備えた『空飛ぶ眼科病院』を保有し、95か国以上で研修や手術、遠隔治療などにあたっている。
第二次世界大戦後、日本には病院船がなく長らく導入を巡った議論が行われてきた。
与党内で議論が活発になったのは阪神淡路大震災後、自民党の衛藤征士郎が、党内で「病院船建造の研究会」を作った。2011年に起きた東日本大震災後の4月に「病院船建造推進、超党派議員連盟」を発足。ともに議論を行ったが、実現できなかった。
令和に代わり、2020年に発生した、イギリス船籍の「ダイヤモンドプリンセス」における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の集団感染で問題となった。同船は横浜港に寄港し、検疫封鎖中に多数の感染者を出した。(「クルーズ客船における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」を参照)。同年2月27日に「災害時医療等船舶利用活用推進議員連盟」を発足。前述のとおり2021年6月11日に病院船推進法が成立し、3年以内に施行される。
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