熱海温泉: 日本の静岡県熱海市にある温泉

熱海温泉(あたみおんせん)は、静岡県熱海市にある温泉である。日本の三大温泉の一つとも言われる。

泉質

  • ナトリウム・カルシウム―塩化物温泉 - 80%
  • ナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉 - 19%
  • ナトリウム・カルシウム―硫酸塩温泉 - 1%
    • 毎分湧出量18,000リットル
    • 無色透明の源泉
    • 総源泉数410本(伊豆山、網代を合わせて600本以上)
    • 湧出温度98.2度の高温泉

塩化物泉源泉が過半数を占めている。山沿いは硫酸塩泉源泉が多い。古くは大半の源泉が硫酸塩泉であった。 ボーリングによる源泉開発を多数行った結果、地下の線脈に海水の混入量が増えたため、泉質が変わった。 かつては東海道本線線路付近に位置する源泉は塩化物・硫酸塩温泉であったが、昭和後期より塩化物温泉に変わった個所が多い。 しかし他県の中性の塩化物温泉と比較して、硫酸塩の成分が多く入っていることから弱アルカリ性となり、肌触りが滑らかなのが特徴。

温泉街

熱海温泉: 泉質, 温泉街, 歴史 
温泉街の土産物店
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1950年の熱海大火で焼失した熱海銀座商店街

伊豆半島北東端、熱海駅の北東から南東にかけて、相模灘に面する海沿いに旅館やホテルが立ち並ぶ。眺望を求めて山腹に立地する施設もある。昔からの温泉街は山のすそ野にある駅近辺から海岸沿いまで広がる。熱海駅併設のラスカ熱海や駅近くの商店街、起雲閣のような観光施設、海浜の海水浴場や、さらに南側にある錦ヶ浦熱海城、沖合に浮かぶ初島まで含めた観光地となっている。

熱海駅は伊東線の始発駅で、伊豆観光の東の玄関口的な立地ともなっている。

足湯・手湯

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家康の湯

日帰り入浴施設(除く共同浴場)

外来入浴が可能な日帰り入浴施設(ホテルや旅館と兼業の物を含む)が多数存在する。

  • 福島屋旅館
  • 日航亭大湯
  • 妙楽湯
  • 熱海温泉 湯宿一番地
  • 大江戸温泉物語あたみ
  • 大月ホテル和風館
  • 熱海温泉ホテル夢いろは
  • ホテルミクラス
  • 月の栖熱海聚楽ホテル
  • 秀花園湯の花膳
  • 料理旅館渚館
  • やすらぎの宿みのや
  • KKRホテル熱海
  • 新かどや
  • 旅館立花
  • 湯宿みかんの木
  • うみのホテル中田屋
  • 磯料理 海辺の湯の宿 平鶴
  • 磯舟
  • 伊豆網代温泉 大成館
  • 竹林庵みずの
  • 湯の宿おお川
  • ハートピア熱海
  • ラビスタ伊豆山
  • 味と湯の宿ニューとみよし
  • かんぽの宿熱海別館
  • 島の湯(初島)
  • オーシャン スパ Fuua (熱海後楽園ホテルの併設)
  • リブマックスリゾート熱海シーフロント
  • リブマックスリゾート熱海オーシャン

共同浴場

共同浴場は下記の3軒存在する。多くは鄙びた共同浴場であり、熱海の歓楽的雰囲気はない。

  • 営業中
    • 熱海駅前温泉浴場(田原浴場)
    • 山田湯
    • 竹の沢共同浴場(2005年から外来入浴不可の地域住民専用の会員制に)
  • 廃業
    • 上宿新宿共同浴場
    • 渚共同浴場
    • 清水町共同浴場
    • 水口共同浴場
    • 水口第2共同浴場

熱海七湯

温泉街には、熱海七湯(あたみななゆ)と呼ばれる、江戸時代までの古くからの7つの源泉が存在したが、明治以降の周辺での源泉開発の影響でかつての自然湧出の姿は失われた。そして大湯1962年(昭和37年)に、その他の6つは1997年(平成9年)に、文化財・観光資源として、市営温泉を人工的に噴出・湧出させる形で復元された。

熱海七湯は以下の7つの源泉である。

  • 大湯(おおゆ、大湯間歇泉) - かつての熱海温泉の中心的源泉。
  • 野中の湯(のなかのゆ) - 藤森稲荷神社の東方。湯気あり。
  • 小沢の湯(こさわのゆ) - 地名に由来。静岡銀行熱海支店の裏側北方。温泉通り沿い。高温蒸気でゆで卵が作れる。脇に「丹那湧水」の水飲み場も併設されている。
  • 風呂の湯(ふろのゆ) - 福島屋旅館脇。隣接した水の湯(みずのゆ)とセット。
  • 目の湯(めのゆ) - 効用に由来。銀座通り内、スルガ銀行静岡中央銀行の間。かつての所有者の名から佐治郎の湯(さじろうのゆ)とも。
  • 清左右衛門の湯(せいざえもんのゆ) - 死亡した農民に由来。古谷旅館西方。湯気あり。
  • 河原湯(かわらゆ) - かつての東浜の河原に位置した庶民のための源泉。国道135号沿いセブンイレブン熱海銀座町店南方。


大湯間歇泉

熱海温泉: 泉質, 温泉街, 歴史 
熱海の間欠泉。明治時代
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大湯間歇泉
(この現在のものは人工)

大湯(大湯間歇泉)は世界の三大間欠泉とまで謡われていたが、明治以降の周辺での乱掘削で減衰して自噴しなくなり、現在は人工の間欠泉として整備されている。かつては1日に何回も湯と蒸気を噴出し、江戸時代後期には1日8回を数えていたが、明治時代に入り減少した。これ以降、大湯の保全派と大湯以外にも温泉街を広げようとする派閥で衝突が起こる。1883年の記録では昼夜3回ずつの噴出があった。明治時代中期(1902年頃)に自噴が止まり、驚いた町民は物理学者の本多光太郎に調査を依頼し、本多は助手の寺田寅彦とともに復旧に成功した。この頃は日に平均4回8分の噴出があった。大正12年に自噴が止まり枯渇したのを機に源泉開発の制限が撤廃され、山側や海岸埋め立て地等での掘削が相次いで開始、昭和10年には220井の源泉が掘削されるようになった。一方で新しい掘削を休止するなど処置したが、1912年の神津俶祐調査時には1日平均2回3分に減少していた。その後、関東大震災の際に再び自噴が始まったが、昭和初期に再び自噴が止まった。その後、1962年(昭和37年)に市営温泉を引き湯し人工の間欠泉として整備され、現在に至っている。

大湯間欠泉の傍には、日本最初の電話ボックスが再現されている(現在の熱海ニューフジヤホテルアネックス館脇)。

また、外国人として記録に残る中で初めて富士山頂に達した幕末期の駐日イギリス公使ラザフォード・オールコックの記念碑と、彼の愛犬で同登山に同行し、帰路に寄った熱海のこの大湯間欠泉で大火傷を負い、同地で亡くなったスコティッシュ・テリアのトビーの墓所がある。大火傷を負ったトビーは地元の人々から手厚い看病を受けたが、その甲斐もなく亡くなってしまった。墓所は、これを悲しんだ地元の人々によって建立されることとなり、オールコックはこれに感謝したと伝わる。墓碑には「poor Toby(かわいそうなトビー)」と記されている。

源泉一覧

熱海温泉では410本の源泉があり、埋没、休止などを除くと250本前後が利用されている。井戸の側面が崩壊するもしくはスケールの付着等で汲み上げが出来なくなった埋没枯渇によるもので、純粋な源泉枯渇は見られず安定的に供給されている。

宿泊施設やマンションの自家源泉の他、市営温泉が59本あり、市営温泉がカバーしていない地域の地元町内組合による井戸も見られる。

既定の温泉料金を市もしくは、温泉組合に払うことで、一般家庭にも温泉を引き湯出来るのが大きな特徴。

全ての源泉に名前が付いており、100番台までは主に武家屋敷や庄屋や有力商店の名字が付けられている。その後は主に旅館設立者の名字や旅館名が付けられている。

歴史

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明治時代の熱海温泉全図
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大正時代
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昭和時代
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2011年

熱海は歴史的にも古い温泉であり、およそ1500年前の仁賢天皇の時代、海中から熱湯が噴き出し、魚が爛れ死ぬのを近郷の者が発見、以来「熱い海」であることから、熱海と名付けられたとされる。また、天平宝字の頃に箱根権現万巻上人が、この「熱い海」のために不漁に苦しむ漁民たちを救済すべく、祈願により源泉を海中から現在の山里に移したという伝説も残されている。

江戸時代初期の慶長9年(1604年)、徳川家康が7日間湯治で逗留した記録がある(『徳川実紀』)。以来、徳川将軍家御用達の名湯として名を馳せ、徳川家光以降に、熱海の湯を江戸城に献上させる「御汲湯」を行わせた。

明治以降は文人墨客が多く訪れ、また多くの作品がこの地を舞台に描かれた。最も代表的な作品は、尾崎紅葉の『金色夜叉』であり、この作品によって熱海の名は全国的に知られることとなった。国道135号沿いに登場人物である貫一・お宮の像がある。他に永井荷風の『冬の日』や林芙美子の『うず潮』などがある。1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を受けるもその後は翌年の国鉄熱海線熱海駅延伸もあって急速に復興し、1936年(昭和11年)7月1日には熱海町営温泉(後の市営温泉)が発足。

この頃の熱海は新聞に「エロの街、カフェーの街」と書かれるほど風俗産業が盛んな温泉街であったが、1934年(昭和9年)に丹那トンネルが開通して温泉目当ての観光客が増加するとカフェーが続々と食堂に転向した。 もっとも戦後の混乱期は再び風紀が乱れて占領軍兵士などを相手にしたパンパン街が形成されていた。

その後熱海大火で大きな被害を受けるが、昭和30年代は新婚旅行の代表的な行き先で、白いドレスに白のスーツケースを持った、それと分かるアベックで賑わった。東海道新幹線開業後の昭和40年代は高度経済成長期の影響で団体旅行を誘致するようになり、関東だけでなく中京関西からの客も増えて宿泊者が年間450万人を突破。バブル時代は東京都区部での土地の高騰・新幹線通勤の広がりに伴い、高額所得者が熱海に温泉付の自宅を構えて東京都内へ新幹線通勤する光景も多く見られた。

しかしバブル崩壊で企業の保養施設や団体旅行が衰退し、円高による海外旅行の一般化もあって関西をはじめとする遠方からの客も減った。それに1990年代前半に発生した伊東沖での群発地震が追い打ちをかけ、観光客が減少。2006年には熱海市が財政危機宣言を出した。

このため地元の有志が活動を開始。熱海駅と旅館・ホテル街を結ぶ位置にある熱海銀座商店街で増えた空き店舗を、東京からのUターン者や地元住民、市が青空市開催と意欲ある店主の誘致、業態転換などで再生させた。

こうして長期低落傾向が2011年を底に反転し、熱海復活として注目されている。首都圏の西隣で新幹線駅がある元々の有利さは健在で、旅館・ホテル業界も花火大会などで、個人・小グループ客にとっての魅力向上に努めたことも奏功した。

ホテルの歴史

  • 1976年(昭和51年)11月30日 : 熱海臨海ホテルで火災が発生。2人が死傷する事態となった。
  • 1990年(平成2年)頃 : バブル崩壊後に団体客が大幅減少。個人客をターゲットにしていなかった大型旅館の休館が相次ぐ。町に寂れた印象を与え、更に客離れが進むという悪循環に陥った。
  • 1999年(平成11年)8月30日 : 「熱海富士屋ホテル」「熱海ニュー富士屋ホテル」の2件を運営していたエスエフ商事が、負債99億円で会社更生法の適用を申請。
  • 1999年(平成11年)10月1日 : 「暖海荘」が負債126億円で破産申請。
  • 2000年(平成12年) : 「起雲閣」の運営元の日本観光株式会社が負債192億円で倒産。
  • 2001年(平成13年) : 当時老舗で大型旅館あった「つるやホテル」が廃業。
  • 2004年(平成16年) : 「熱海金城館」が負債31億円で破産申請。
  • 2006年(平成18年) : 老舗旅館で大型ホテルの「大月ホテル」が負債46億円で会社更生法の適用を申請。この時、大月ホテル、つるやホテル、暖海荘、熱海グランドホテル、ホテル ニュー大和、熱海臨海ホテルの順で閉館した施設、廃墟が立ち並ぶ異様な光景となっていた。
  • 2008年(平成20年)5月15日 : 「ウオミサキホテル」 が負債23億5000万円で静岡地裁沼津支部に自己破産を申請した。
  • 2010年(平成22年)5月:「岡本ホテル」を運営していた岡本倶楽部が経営破綻。後に関係者が組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(組織犯罪処罰法)違反で処罰。
  • 2010年(平成22年)11月19日 : 「大野屋」 が負債21億5000万円で静岡地裁沼津支部に会社更生法適用を申請した。
  • 2011年(平成23年)2月25日 : 「志ほみや旅館」の従業員寮が全焼。適切な避難により、負傷者は出なかった。
  • 2011年(平成23年)10月15日 : 「南明ホテル」 が負債17億円で静岡地裁沼津支部に自己破産を申請した。
  • 2018年(平成30年)7月28日 : 台風12号による高潮で、ホテルニューアカオのレストランの窓ガラス破損。
  • 2021年(令和3年)7月3日 : 「熱海ニュー富士屋ホテル」、「ホテルニューアカオ」が熱海市伊豆山土石流災害の被災者に、避難所として受け入れた。

歓楽街の代名詞

かつて熱海温泉が日本を代表する歓楽温泉として栄華を誇ったことから、他地方の同様なあるいは有名な温泉街温泉郷が「○○の熱海」と宣伝したり、そう呼ばれたりしたことがある。

これらの温泉街も熱海温泉と同様に、バブル経済の崩壊、レジャーの多様化などの事情により客離れが進み、現状の温泉街を評して「かつて『○○の熱海』と呼ばれた××温泉は……」との文脈で語られる例も見られるようになった。

その一方で、「山陰の熱海」を名乗る皆生温泉のように、否定的・消極的な意味を伴わず、普通に宣伝文句として用いている例もある。

特殊な例として、磐梯熱海温泉は、開湯時の領主が伊豆出身であることから借名されたものであり、当地とのゆかりのある名称となっている。

閉館した施設

アクセス

脚注

関連項目

外部リンク

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