沢木 耕太郎(さわき こうたろう、1947年11月29日 - )は、日本のノンフィクション作家・エッセイスト・小説家・写真家。
沢木 耕太郎 (さわき こうたろう) | |
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誕生 | 1947年11月29日(76歳) 東京都大田区 |
職業 | 作家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 横浜国立大学経済学部 |
ジャンル | ノンフィクション 小説 |
代表作 | 『深夜特急』(1986年 - 1992年) |
主な受賞歴 | 大宅壮一ノンフィクション賞(1979年) 新田次郎文学賞(1982年) 講談社エッセイ賞(1985年) 日本冒険小説協会大賞(1987年) 菊池寛賞(2003年) 講談社ノンフィクション賞(2006年) 司馬遼太郎賞(2013年) |
子供 | 田澤利依子 |
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東京都大田区生まれ。東京都立南高等学校(当時)を経て、横浜国立大学経済学部卒業。大学時代のゼミの指導教官は、後に神奈川県知事となる長洲一二だった。
大学卒業後は富士銀行(当時)に入行するも、初出社の日に退社した。出社途中に信号待ちをしているときに退社を決めたという。その後、ゼミの指導教官だった長洲から「何か書いてみないか」と誘われたのをきっかけに文筆活動を始める。
ルポライターとして1970年(昭和45年)、『防人のブルース』でデビューし、1979年(昭和54年)には演説中に刺殺された日本社会党委員長の浅沼稲次郎と、その犯人である少年の交錯を描いた『テロルの決算』で第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。以後、スポーツや旅などを題材にした多数のノンフィクション作品、小説、エッセーなどを発表している。
「沢木耕太郎」はペンネームである。雑誌の取材を受け、「あなたの本名はあらゆる文献を見てもどこにも掲載されていない。なぜなのか」と問われた沢木は、「ペンネームを使う以上、わざわざ本名を名乗るのなら使う必要がない」と答えている。実父の没後にその句集を出版した際にも、苗字をつけず「二郎」とファーストネームだけの名義を用いた。
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