春日神(かすがのかみ)は、神道の神である。春日明神または春日権現とも称される。春日大社から勧請を受けた神のことであり、神社の祭神を示すときに主祭神と並んで春日大神などと書かれる。春日神を祀る神社は春日神社などという社名になっており、日本全国に約1000社ある。
春日神とは、春日大社の祭神である以下の四柱の神の総称である。
春日大社は768年に創建された。それ以前の春日の地では本殿廻廊の西南隅にある、摂社・榎本神社(式内小社)の神が祀られていたとされる。この神は当地の地主神と考えられ、当地に基盤のあった春日氏の氏神とされる。江戸時代に祭神は猿田彦大神になったが、それ以前は巨勢姫明神あるいは巨勢祝という神が祀られていたという。
春日大社の四柱の神のうち、当初、特に存在感が高かったのは武甕槌命であるとされる。天児屋根命は藤原氏の祖神とされるが、大社の創建当時、武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)はともに武神として、中央の政府が蝦夷討伐を進め東北地方への関与を強めていく中で神威が非常に高まっていた。両神宮への封戸の寄進等が盛んとなり、こうした状況が、大社における武甕槌命と経津主命が天児屋根命よりも上座にすえられる結果をもたらしたとされる。
特に、大社の成立にあたり、鹿島神宮の封戸が最初に大社に与えられていった経緯があり、当初、大社は鹿島神宮の末社であるかのような形態が認められたとされる。その後、平安時代に入り延暦20年(西暦801年)からは香取神宮からの援助も受けることとなり、大社における鹿島神宮の圧倒的な存在感は徐々に薄れていったとされる。「春日大社」を指す際に鹿島や香取といった地名を羅列するような状況もあったが、嘉祥3年(西暦850年)には「春日大神社」という一つの存在として叙位の文書等に記載されるようになり、四柱の神を包括する大社の独自性が認められるようになっていったとされる。
それでもなお、大社を鹿島神宮の「末社」的存在とみなす風潮は長期間継続したとされ、『大鏡』においても、「春日明神(春日神)」とは鹿島の神のことである、と読み取れる記述が見受けられる。このため、少なくとも、大鏡の成立した11世紀後半までは、「春日神」を「武甕槌命(武甕槌神)」と同一とみなす考えがあったという指摘がある。鹿島神宮、武甕槌命の存在感がさらに低下し、四柱の神の総称としての「春日神」が定着したのはその後かなり経ってからであると思われる。
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