建部大社(たけべたいしゃ)は、滋賀県大津市神領にある神社。式内社(名神大社)、近江国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は「建部神社」。
建部大社 | |
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拝殿と三本杉 | |
所在地 | 滋賀県大津市神領1丁目16-1 |
位置 | 北緯34度58分24.60秒 東経135度54分48.62秒 / 北緯34.9735000度 東経135.9135056度 東経135度54分48.62秒 / 北緯34.9735000度 東経135.9135056度 |
主祭神 | 日本武尊 大己貴命 |
社格等 | 式内社(名神大) 近江国一宮 旧官幣大社 別表神社 |
創建 | 伝・第12代景行天皇46年 |
本殿の様式 | 一間社流造 |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道第145番(滋賀第13番) |
例祭 | 4月15日 |
主な神事 | 船幸祭(8月17日) |
地図 |
2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される。
主祭神は次の通り。
社伝では、日本武尊の死後の景行天皇46年、日本武尊の妃・布多遅比売命が神勅によって、御子・建部稲依別命とともに住んでいた神崎郡建部郷千草嶽(現・東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)の地に日本武尊を「建部大神」として祀ったのが創建とされる。建部郷の「建部」の名は日本武尊をしのんで名代として名付けられたことに因むといい、他にも各地に設けられている。のち、天武天皇4年(675年)に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多へ遷座したという。遷座後、元の千草嶽の麓には神護景雲2年(768年)に聖真大明神と建部大明神が設けられたとされ、現在は建部神社が建てられている。
天平勝宝7歳(755年)には、大己貴命が大神神社から勧請され、権殿に祀られたという。
平安時代中期の『延喜式』神名帳には近江国栗太郡に「建部神社 名神大」と記載されて名神大社に列している。その後、近江国の一宮として崇敬された。
源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となった。
1871年(明治4年)近代社格制度において「建部神社」として県社に列格され、1885年(明治18年)に官幣中社、1900年(明治33年)に官幣大社となった。戦後の1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列され、社名を「建部大社」と改めた。
なお、1945年(昭和20年)8月17日、日本で初めて作られた千円紙幣(甲号券)の図柄に日本武尊と当社本殿が使用された。
(12)景行天皇 (聖宮神社) | |||||||||||||||||||||||
日本武尊 | |||||||||||||||||||||||
播磨稲日大郎姫 (大政所神社) | 建部稲依別命 (若宮神社) | ||||||||||||||||||||||
布多遅比売命 (藤宮神社) | (14)仲哀天皇 | ||||||||||||||||||||||
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重さ1.5tの大神輿を御座船に乗せ瀬田川を下る「船幸祭」が、毎年8月17日に行われる。これは日本武尊の東征故事に拠るもので、日吉大社の「山王祭」(春)、天孫神社の「大津祭」(秋)と共に、「大津三大祭」の1つともされている。
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