山本 麟一(やまもと りんいち、1927年1月16日 - 1980年10月16日)は、日本の俳優。愛称は山麟(ヤマリン)。北海道旭川市出身。
やまもと りんいち 山本 麟一 | |
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『ヒッチコック・マガジン』1961年5月増刊号(宝石社) | |
本名 | 山本 麟一 |
別名義 | 山本 りん一 |
生年月日 | 1927年1月16日 |
没年月日 | 1980年10月16日(53歳没) |
出生地 | 日本、北海道旭川市 |
死没地 | 日本、東京都新宿区 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ |
活動期間 | 1953年 - 1980年 |
活動内容 | 1953年:東映ニューフェイス 1954年:主演デビュー |
配偶者 | 山本為世子 |
札幌市の北海中学出身。明治大学時代はラグビー部に所属し、1946年12月8日に神宮競技場で行われた明早戦にロック(4番)のポジションで出場。
卒業後の1953年、第1期東映ニューフェイスとして東映へ入社。翌年『学生五人男』に主演デビュー。以後『警視庁物語シリーズ』(全24作)の刑事役、『網走番外地シリーズ』の囚人役・看守役など、主にアクション映画の脇役・悪役として活躍。特に1960年代後半以降のヤクザ映画では悪役として活動し、『日本侠客伝シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』における強面のヤクザ役を演じた。大学の後輩である高倉健からの信頼も厚く、共演作品は数多い。『昭和残侠伝 死んで貰います』では、運命に転がされるヤクザの観音熊を演じた。
1970年にフリーとなり、テレビドラマでも刑事ドラマや時代劇に多数出演。テレビ朝日『浮浪雲』、日本テレビ『大追跡』などでは、コミカルな演技も見せ、後期はスキンヘッド姿で出演することが多かった。晩年はバラエティ番組にも多く出演した。多くの映画・ドラマロケ地にもなった北海道にも拠点を構えていた。同地に在住した倉本聰とも交流があった。
1980年、肝腎症候群癌性悪液質のため53歳で死去した。普段からウェイト・トレーニングを欠かさないなど、人一倍体力に自信を持っていたこともあり(本人が診察を受けるのを嫌がり)、病気の発見が遅れ、入院してから急速に病状が悪化した。
八名信夫ら後輩の悪役俳優たちからも信頼されており、八名は山本の没後に、その墓前で涙ながらに悪役商会結成の報告を行ったという。
1984年に妻の山本為世子(1948年生まれで、二回り年の差があった)による回想記『愛すべきガキ大将』(弥生書房)が出版された。
一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
やまさき十三・弘兼憲史の漫画『夢工場』の第16話「ボトル一本」では、巨漢で酒豪の俳優として山本麟一が登場し、劇中では主人公の助監督・畑俊平と新宿ゴールデン街で楽しく飲み明かすも後日亡くなり、3か月後に同じ店に俊平が現れ、生前に山本が入れた「俊平ちゃん」と書かれたボトルを飲みながら偲ぶ挿話が描かれており、最後に「山本麟一、享年五十三歳 …でっかくて不器用でしかし、カツドウ屋の心をいっぱい持った俳優の名を僕は忘れない―」という言葉で締められている。
性豪。同一女性と一晩に11回セックスしたといわれる絶"麟"。
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