来歴
東京都 港区 新橋 生まれ。生家はファーストホテルヨシカワの正面にあった。3歳でぜんそく をわずらい、学校行事どころか朝礼もなかなか出席できなかった。兄弟も二人は乳児の時、一人は27歳で亡くなっている。食肉加工業 者の父と異なる仕事につきたいと考え、将来の夢が小学生の時は漫画家 だったが、16歳の時に作家を目指す。早稲田大学第一文学部 仏文科 でブレーズ・パスカル 、大学院ではアンリ・ベルクソン に傾倒する。
卒業後は就職したくなく、神奈川県 横浜 の下宿先の大家がたまたま書道塾を兼業しており、ふとしたはずみでここを利用して学習塾を営むことになった。教え子たちのリクエストがきっかけで童話を書く事になり、日本童話会で「童話」誌に1966年「くいのこしの話」を発表。次作「あなたのエラサはなんポッチ?」が小学館 から評価され、童話執筆に没頭する。当時早大童話会 を中心に、斬新な人気作家を多数輩出していた坪田譲治 門下は「子供にこびた作品のようで、好きではなかった」と語る。
マイナーな作風で揮作のため「幻の童話作家」と呼ばれ、「賞には縁がない」と語っていたが、2005年に日本児童文芸家協会 より児童文化功労賞を受賞。
東京都 府中市 是政 在住後、2008年より茨城県 鉾田市 に転居。
主な作品
作風 自分の童話の原点は芥川龍之介 と「ガリバー旅行記 」だと語る。 大半の作品は、文章のみならず挿絵も自ら手がけ、挿絵には切り絵 や版画 も使用する。絵・話とも強力な異形さを放ち、作品が評論される際「トラウマ 」の言葉が使われる事が多い。作者公式サイトでも、こうした異形の画を多数鑑賞することができる。以下挿絵について、特筆していないものは大海によるが、『ドコカ』の書体を変えた手紙や、『ベンケーさん』の点描 は、妻の代筆も入っているという。 80年代以降は作風がややソフトになっている。 商業誌掲載 こんにちは!バリカンかいじゅう(小学二年生 、1968年) トトカカ島のふしぎ(小学二年生、1968年) ウリリとフララぼうや(小学二年生、1968年) みりくんとぽぽ(1年の学習 、1969年) 大きくなったらなにになる(1年の学習・科学読み物特集号、学習研究社 1972年) ベンケーさんのおかしな発明(2年の学習 、1976年) あなたのエラサはなんポッチ?(5年の学習 、1980年) 書籍刊行(ブッキング以前) 一部の作品では、世界観の全てまたは一部が共通している。▼印はブッキングによる復刻対象作品。復刻版のデザインは初版と極力同じになっているが、初版から復刻までのいきさつを記した帯やあとがきの追加、差別用語 の書き換えなどが行われている。
クロイヌ家具店(理論社 、1973年)▼ 書籍デビュー作。大石真 が生原稿を読み、理論社を紹介したとの事で、以後大石とは一時期交友関係があった。 ビビを見た!(理論社 、1974年)▼ 生まれつき全盲の少年が、巨人に追いかけられる緑の少女ビビ(語源は美々)に出会うという衝撃的な内容で、こちらは理論社の創業者である小宮山量平 が刊行に協力した。当時の販売部数は悪かったものの、小学校の図書室に置かれた所「ボロボロになるまで繰り返し読んだ」というファンレターが多数届いた。現在は大海・読者とも最高傑作に推する声が高い。よしもとばなな は幼少時に片目がよく見えなかったため(#外部リンク 参照)、この作品を当時読んだ時も、39歳で読み直した時も衝撃を受けたと言う。年に一度、大海とファン有志で行われる交流会は「ビビを見た会」と名づけられており、大海「ビビを見たか?」ファン「ビビを見た!」の掛け合いで始まる。 ドコカの国にようこそ!(童心社 、1975年)▼ ベンケーさんのおかしな発明(小峰書店 、1976年)▼ よいさよいさ(作:山田野理夫 、太平出版社、1976年) 日本各地に伝わる妖怪伝説を収録した短編集。大海にしては珍しく、挿絵のみを担当。 メキメキえんぴつ(太平出版社、1976年)▼ 表題作は「ボスというえんぴつ」(「小学一年生」1979年7月号)の書き直し。 ベンケーさんのしゃぼんだま(小峰書店 、1978年) タイトルから判る通り「おかしな発明」の続編。「おかしな発明」の途中で登場した設定が使われている。ただし他2作は複数のエピソードが入っていたが、この本は1本のみ。 せかいのブタ、ばんざい!(太平出版社、1980年)▼ あくまびんニココーラ(太平出版社、1981年)▼ びんの中の子どもたち(偕成社 、1983年)▼挿絵はオリジナルがスズキコージ 、ブッキング復刻が大海。 びんをテーマにした話は、大海がよく使うテーマのひとつ。 ねことビンボケ大戦争(スズキコージ 、偕成社 、1983年) 主人公が「びんの中の子どもたち」と同じ。ただし名前の表記やストーリーの主眼は異なる。 あなたのエラサはなんポッチ?(教文館 、1984年) 本作はアンソロジーなどに何度も収録されており、複数の書籍で目にする機会が多い。 ランドセルは魔女(タケカワ・コウ、サンリード、1984年) パンツとんでけ!(山内ジョージ 、PHP研究所 、1984年) ベンケーさんのおかしなロボット(小峰書店 、1986年) オビビーゴザイマス!(教育画劇、1987年) のこのこ村の車たち(偕成社 、1991年) 書籍刊行(ブッキング) 大海やよしもとは、初期作品の復刻をあちこちの出版社に働きかけたが、どこでも断られ、大海も欝 状態で作品が書けなくなっていたと言う。だが復刊ドットコム において、かつての読者からリクエストが寄せられ、2004年には最多投票数を集めた事で、ブッキング から復刻や新作の刊行が実現した。ブッキングによる新作は以下の通り。
ママが六人??? 公式サイトの冒頭に掲載されている帽子をかぶった少年は、本作のゲストキャラ。 白いレクイエム(西岡千晶/西岡兄妹 ) 童話ガイコ 同じく1968年の没作品「ガイコちゃん」の新規出版。 チミモーリョーの町 プライベート
府中市在住時代、多摩センター 駅近くで古本屋 、続いて「リサイクルショップ魔女」(この表記が正式名称)を開き、この店の前を偶然通りかかった事で、子供のころ読んでいたあの作者の店だと知ったファンも多い。ただし茨城転居時後、他の人物に経営を譲渡している。 サイン会 はこれまで少なくとも6回行ったとの事。 50歳で洗礼を受けたクリスチャン で、府中市在住時代は八王子の教会に通っていた。教会で自作の紙芝居を披露した事もある。 音楽も趣味で、オカリナ や電子楽器 を使う。 文章で自己紹介をする際「さあさあ、御用とお急ぎでない方は…」と、講壇調のイントロをよく使う。 ソーシャルネットワークシステムのmixi には「骨皮筋衛門 」のハンドルネームで参加。作品愛好団体「大海 赫の本」コミュニティ(ID:23612)は大海自身が管理し、参加者は2010年現在400名弱に達している。 2006年1月に交通事故に遭遇、足を骨折のため手術した。2009年には白内障 による眼内レンズ 手術を行う。 家族は妻と犬で、妻とも長年の良好な関係にある。ただし犬は妻の希望で飼っているもので、大海自身は犬が好きでないと語る。 外部リンク
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