土井 隆雄(どい たかお、1954年(昭和29年)9月18日 - )は、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属していた元宇宙飛行士、大学教員、天文家。工学博士、博士(理学)。これまでに2回、スペースシャトル搭乗ミッションを行った。東京都南多摩郡(現・町田市)出身。
土井隆雄 | |
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宇宙飛行士 | |
国籍 | 日本 |
現況 | 退役 |
生誕 | 1954年9月18日(69歳) 東京都南多摩郡 |
現職業 | 大学教員 |
宇宙滞在期間 | 31日19時間35分 |
選抜試験 | 1985 NASDA Group |
ミッション | STS-87 STS-123 |
記章 |
東京大学大学院修了後、宇宙科学研究所(ISAS)研究生、アメリカ航空宇宙局(NASA)研究員を経て1985年(昭和60年)、毛利衛・向井千秋(選抜当時は内藤千秋)とともに、当時の宇宙開発事業団(NASDA)初の宇宙飛行士に選抜された。
しかし、ペイロードスペシャリスト(PS)としての任務はまず最年長の毛利、2回目は女性初となる向井が行うことになり、土井は彼らをサポートした。この間にミッションスペシャリスト(MS)候補に若田光一が就任したが、土井は向井のサポート任務に専念しており、結果的には後輩の若田がMSとして先に飛行することになった。土井も毛利とともに、改めてMS資格を取得し、その後の任務に備えた。
選抜以来サポート役をこなし続けてきた土井を待っていたのは、日本人初の船外活動という晴れ舞台だった。1997年(平成9年)のSTS-87でスペースシャトル・コロンビアに搭乗し、土井は船外活動用宇宙服に身を包み、国際宇宙ステーション(ISS)建設に備えた技術試験を行った。
毛利と向井が事実上引退した後も、同期の中で唯一、現役宇宙飛行士として活動を続け、2008年のSTS-123でスペースシャトル・エンデバーに搭乗した際は、日本初の有人施設「きぼう船内保管室」の設置を担当した。また同年の宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙飛行士選抜試験のNASA最終面接において面接官の一人を務めた。
2009年9月に宇宙の平和利用政策を担当する国連宇宙部・宇宙応用課長に着任。宇宙開発で得られた各種観測データや研究成果の世界各国への提供、ISSに各国研究者を受け入れる体制の構築などに取り組む意向を示した。任期は2年の予定。
山梨県甲府市立東中学校で3年間を過ごす。中学1年の秋から太陽の黒点観測を始め、山梨県立科学館の前身である山梨県立青少年科学センターに通った。土井が親しんだプラネタリウム投えい機は母校に展示されている。
1991年から超新星の観測を始め、1997年に日本人初の船外活動を行った後の2002年と2007年に超新星を発見した。2002年に天文物理学の修士号を、2004年に博士号を得ている。
2008年の宇宙飛行の際、山梨県立科学館から生まれた『星つむぎの歌』(作詞:星つむぎの詩人たち・覚和歌子、作曲:財津和夫、歌唱:平原綾香)が応援ソングとなった。土井は贈られていたCDを持参しており、そのCDをスペースシャトルの船内に浮かべ、窓越しに見える国際宇宙ステーションの太陽電池パドルと地球を背景に写真を撮った。3月19日、土井夫人のリクエストによって『星つむぎの歌』がウェイクアップコールとして地上から国際宇宙ステーションに送信された。それを聞いて目覚めた土井は、歌の制作にかかわった人々に感謝の言葉を述べた。
実家が神奈川県茅ヶ崎市にあり、学生時代の一時期を過ごしたことから、2008年に茅ヶ崎市民栄誉賞を受賞した。茅ケ崎駅北口のペデストリアンデッキに土井の手形モニュメントが設置されている。
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