北田 正平(きただ まさひら、1881年(明治14年)5月20日 - 1939年(昭和14年)2月27日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(千葉県第三区選出、当選1回)。
東京府の弁護士北田正董の三男として生まれる。1906年(明治39年)、京都帝国大学法科大学英法科を卒業し、南満州鉄道株式会社に入社した。長春駅長などを務めた後、山東鉄道に聘せられ、運輸部長をつとめたが、1917年(大正6年)に辞した。
その後、満州で東亜貿易公司主となり、北満及び南満地方貿易業を創めた。また鉱山業に従事した。1927年(昭和2年)に弁護士登録をした。1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に千葉3区から出馬し、当選した。立憲民政党に所属。
京大在学中、旧京大寄宿舎(吉田寮の前身寄宿舎)に住んでいた。当時の旧寄宿舎には規則や役職がなく「風紀の乱れ」が著しかった。そこで北田は、舎生有志とともに規則と役職を設定、旧寄宿舎の更生に成功した。北田らの作った規則と役職は、自治寮としての旧寄宿舎及び吉田寮の基礎になった。
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