保安官(ほあんかん)は、アメリカ合衆国の公安職。その所掌範囲は設置者によって異なるが、裁判所の警備、刑務所の警備、被疑者・収監者等の移送、民事執行、陪審員に対する召喚状送達ほかの行政上・司法上の事務も行う。ここでは一般的にアメリカ英語のシェリフ(sheriff)の訳語として保安官について記載するが、マーシャル(marshal)やコンスタブル(constable)も同様の役割を負うこともあり、それらについても触れる。
アメリカ合衆国の植民地時代の警察機構は、イギリスによるアメリカ大陸の植民地化に伴って本国から持ち込まれたものが基本的に踏襲されていた。その原型となったイギリスの代表的な公安職は下記のようなものであった。
イギリスでは、地域の秩序・平和を維持する責任は地域住民各々が負うべきであるという自治の意識が強く、家族や地域住民による隣保制の時代が長かった。北アメリカの植民地でもこの理念は踏襲され、またアメリカ大陸の地理的条件などもあって、まずは隣保制や、その延長として地域住民に依拠した公安職が主となった。また人が集まって町を形成した場所では法廷も開廷し、これに伴ってマーシャルも任命された。その後植民が進むと、各植民地政府は植民地内を郡(カウンティ)に分割し、それぞれに代官としてシェリフを配した。このシェリフが、後の郡保安官の原型となる役職である。
これらの制度は、アメリカ合衆国の独立後もそのまま引き継がれ、また独立後の1789年には、連邦政府も自らの法執行官として、独立十三州に1人ずつのマーシャル(連邦保安官)を配置した。しかし独立十三州を始めとする東部諸州ではこのような制度が整備されていた一方で、西部開拓時代のフロンティアでは管轄人口が少ないこともあって統治機構自体が小規模で、1人で多役を兼任することも多く、シェリフやマーシャル、コンスタブルの区別も曖昧になっていた。また特に開拓の最前線は実質的に無政府状態となっており、犯罪率も高かったのみならず、西部開拓はアメリカ先住民族の生存圏への侵略でもあったことから、彼らとの武力衝突も頻発していた。このため、開拓民は自警団を組織するとともに、銃の名手を用心棒として雇うことが多かったが、この用心棒もシェリフやマーシャルと呼ばれており、こちらも後に郡保安官の制度に組み込まれていった。
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