中露関係(ちゅうろかんけい、中国語: 中俄关系)あるいは露中関係(ろちゅうかんけい、ロシア語: Российско-китайские отношения))は、中華人民共和国とロシア連邦の間における相互関係であり、また両国の領土において過去400年に存在していた諸国の歴史として振り返ることも可能である。
ロシア | 中華人民共和国 |
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現段階において中露間の相互関係は広汎な諸分野における協調によって特徴づけられており、その協調には首脳級の集中的な接触、貿易関係、経済関係および人的関係、国際場裡における協調などが含まれており、国連安保理における活動、国際機関あるいは地域的機関(上海協力機構、BRICs)などにおける共同参加が挙げられる。
中国とロシアの外交関係は、ソビエト連邦の崩壊と1991年のロシア連邦の設立後に改善した。アメリカの学者ジョセフ・ナイは2015年に次のように指摘した。
中華人民共和国外交部長は2005年に次のように述べた。
中国とロシアは、世界で重要な影響力を持つ2ヶ国であり、この惑星の平和を維持して共同開発を推進する特別な責務を負っている。
2012年、ロシアの対外貿易総額の10.1%が中国において占められた。中国の対外貿易におけるロシアのシェアは控えめだが、重要なものであり、2012年の中国の貿易総額の2.3%を占めている(9位。アメリカ、香港、日本、韓国、台湾、ドイツ、オーストラリア、マレーシアに次ぐ)。
ロシア(ルーシ)の諸公国と中国の初めての繋がりは、13世紀にさかのぼるものと推定できる。現在の中国領土内におけるロシア人の存在について信頼できる最初の史料は14世紀のもので、モンゴルによるルーシ諸国への侵攻に関連しており、ルーシ侵攻の結果として多くの虜囚たちがモンゴル帝国の一角を成す元朝の中国へと連行されたのである。ロシアと中国の大地は、長きにわたってモンゴル帝国の影響圏を構成する一部に過ぎなかった。16世紀のイヴァン雷帝による治世の頃には、既に二つの使節団が中央アジアとモンゴルを通過して中国へ行く経路を確保していた。シベリアにトボリスクを建設した後、トボリスクの首長が極東にコサックを派遣した。ロシア人コサックや農民は、ザバイカリエ(ザバイカル)地方と沿アムール地方に定住してアムール川沿いにオストログ(防衛機能のある植民拠点)を建設し、その数あるオストログのうち最大規模であったのが、アムール川左岸のアルバジンとシルカ川沿いのネルチンスクである。
『元史』によると、「至順」を元号に掲げた最初の年(1330年)に中国へ連行されたロシア人虜囚たちが屯田兵として国境防衛と耕作の任に充てられた。元朝政府は、大都(北京)に屯田兵を管理する特別機構を設置した。
大都(北京)で、ロシア人虜囚たちはハーンの親衛隊に入隊させられた。キプチャク人(キプチャクすなわちポロヴツィ人)、アス人(アスすなわちアラン人)、ロシア人の連隊が編成された。ハーン親衛隊のロシア人部隊は、「忠誠心に篤いロシア人連隊」を意味する「宣忠斡羅思衛親軍」と称された。結成当初の部隊の人数について現存する史料では確認できない。しかし、1331年の人数は明らかにされており、600人であったと記されている。
『元史』の1332年の条によると、ロシア人虜囚たちの到着が三度あったことが言及されており、その人数は一度目が170人、二度目が2500人、三度目が30人の青壮年と103人の未成年であった。また、モンゴル人、キプチャク人、ロシア人の混成部隊の指揮官として、モンゴル人の指揮官ボヤニ(Боянь)が任命された件についても言及されている。
留意すべきは、元朝とはモンゴル人の王朝であって中国人の国家ではなく、中国の領土内にロシア人が出現したことは元朝の時代においてであり、中露関係というよりむしろ露蒙関係の枠組みで捉えるべきであろう。
その後、モンゴルが中原から追い出されてから、中国は再び国家を形成した(明王朝)。
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満州族の侵入の結果、中国は再び独立を失って満州族の帝国清王朝の一部となった(明清交替)。
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1689年、ロシアのピョートル1世と中国の康熙帝の間でネルチンスク条約が締結され、アルグン川と外興安嶺(スタノヴォイ山脈)が国境とされた。
1727年、中国の雍正帝はロシアとキャフタ条約を締結し、モンゴル地区における国境を画定した。
しかし厳密には(中洲など)決められなかったため、冷戦期に中ソ国境紛争が発生した。
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ウクライナ侵攻によってロシア経済が孤立化すると元々友好的であった中露がさらに接近し原油を大量に中国へ輸出するなどしロシアが中国への依存を深めている。
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[いつ?]ロシア外務省はロシア国営テレビのインタビュー内で、中国との軍事同盟について「多極化の今の時代に冷戦時代のような同盟は必要ない」として結ぶことは無いと発言した[要出典]。
ウクライナ侵攻において軍民両用の製品を中国がロシアに輸出して間接的にロシアに対する軍事支援を行っている。
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近年は元は中国領であり、地理的に近い沿海州のウラジオストクなどに進出する中国の企業や資本家も増えており、移住者も出てきている。
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