リューゲン島(リューゲンとう、ドイツ語: Rügen, ポーランド語: Rugia)は、バルト海に浮かぶドイツ最大の島。メクレンブルク=フォアポンメルン州に属する。935km2に約7万3,000人が住む(2001年)。隣接する小島ヒデンゼー島(ドイツ語版)、ウンマンツ島(ドイツ語版)などと共にフォアポンメルン=リューゲン郡に属している。
リューゲン島の南東部には氷河期以後の堆積で形成したモレーンの丘陵および砂州などの完新世の堆積物が見られ、周りの海沿いにラグーン、浅い内陸水域、半島、小島、泥炭地、塩生植物の草地、砂嘴、崖、砂浜などもある。一帯にはヨーロッパブナ、ヨーロッパナラのバルト混合林のほか、草原、汽水域と浅瀬の湾沿岸に海岸植生、塩生植物の草地とヨシ原も分布している。レッドリスト登載の200種を含む800種を超える植物が島に生え、島および付近の海域にはハイイロアザラシ、ムール貝、渉禽類、ガン・カモ類が生息している。島南東部を含む22,800 haはユネスコの生物圏保護区に指定された。また、リューゲン島西部およびバルト海の汽水域のボッデン、ヒデンゼー島、ツィングシュト島を含む25,800 haは1978年にラムサール条約登録地となった。
紀元前4000年頃から、どの民族かは不明ながら、定住者がいたと確認されている。その後、スカンディナヴィア人とゲルマン人がこの島に移住。彼らが離れた後、7世紀にスラヴ人が来島し定住した。三十年戦争中期の1632年にスウェーデンに占領され、1648年に三十年戦争の講和条約(ヴェストファーレン条約)によってスウェーデン領となった。大北方戦争において、プロイセン王国に占領されたが、1720年のストックホルム条約によってスウェーデンに返還された。その後もスウェーデンのヨーロッパ大陸における前線基地となったが、ナポレオン戦争期のキール条約によって、プロイセンに引き渡され、フォアポンメルン州(1945年まで)の一部となった。戦前日本では「龍源島」という表記も見られる。
ナチス・ドイツ時代には、海水浴場などを備えた巨大な保養施設がプローラで建設された。第二次世界大戦が始まったため使われることはなかったが、戦後は東ドイツ軍兵舎として利用され、現在は観光施設として再生が進んでいる。
戦後は東ドイツのロストック県に属した。ドイツ再統一後はメクレンブルク・フォアポンメルン州に属し、現在に至る。バルト海海底を通ってロシアからドイツに天然ガスを送るパイプライン「ノルド・ストリーム2」建設用の工場がある。
リューゲン島はドイツ本土のシュトラールズントと橋で繋がっている。また、シュトラールズントやグライフスヴァルト、ヴォルガストからフェリーや小型客船も出ている。東海岸は込み合った観光地になっており、そのうちの幾つかはドイツ鉄道の本土直通列車のほか、リューゲン海浜鉄道の狭軌線で定期運行される蒸気機関車列車でもアクセスできる。ヤスムント国立公園がある。
東経13度21分32秒 / 北緯54.413度 東経13.359度
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