バラクーダ作戦(バラクーダさくせん、フランス語: Opération Barracuda)は、1979年に中央アフリカ帝国のボカサ1世を打倒するためフランスが行った軍事作戦。フランスのベテラン外交官であるジャック・フォカールは、この作戦を「フランス最後の植民地遠征」と呼んだ。
バラクーダ作戦 | |
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トランザール C-160輸送機。 同型の機体がバンギ上陸に使用された。 | |
戦争: | |
年月日:1979年9月20日 - 9月21日 | |
場所:中央アフリカ帝国 バンギ | |
結果:帝政の廃止 | |
交戦勢力 | |
フランス共和国 | 中央アフリカ帝国 |
指導者・指揮官 | |
ベルナール・ドジェンヌ | ボカサ1世 |
戦力 | |
300以上 | |
損害 | |
0 | 0 |
1976年のボカサによる国号改称以降、彼の独裁はさらに深刻なものとなっており、反対派への無慈悲な迫害は国際的な注目と批判を浴びていた。最も残忍な行為の一つに、1979年のデモに対しての弾圧があり、これは100名の子供を含むおよそ400名の死者を出した。これにより、フランスはボカサ政権への支援を打ち切ることとした。また、ボカサが当時リビアの指導者であったムアンマル・アル=カッザーフィーとの同盟を求めていたことも、フランスにとっては受け入れがたいことであった。
作戦は1979年9月20日の夕方に開始された。まず、あらかじめバンギ・ムポコ国際空港に潜入していたSDECE(現在のDGSE)の部隊が、C-160で着陸したブランシオン=ルージュ大佐の率いる第1海兵歩兵落下傘連隊を迎え入れた。
空港を支配下に置いたあと、さらに計300人以上の兵を乗せた2機の輸送機が着陸し、ブランシオン=ルージュ大佐から特殊部隊の隊長であるベルナール・ドジェンヌ大佐へ、チャドの首都ンジャメナにあるンジャメナ国際空港から「バラクーダ(8機のピューマヘリコプターとトランザール輸送機の暗号名)」と共に来るようメッセージが送られた。その後バンギの制圧を開始し、翌日の午前0時半ごろ、1966年にボカサによって打倒されたダヴィド・ダッコ元大統領が中央アフリカ帝国の崩壊と中央アフリカ共和国の復活を宣言した。
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