バヤリース (Bireley's) は、清涼飲料水のブランドである。
1923年にフランク・W・バヤリーがアメリカ合衆国・カリフォルニア州に設立しフランク・W・バヤリー・カンパニー(Frank W. Bireley Company、後のバヤリース・インク(Bireley's Inc))が製造を開始した。その後、アメリカ合衆国の市場からは姿を消したが、日本ではアサヒ飲料およびアサヒオリオン飲料が製造を続けているほか、2019年まではタイでイチタン社が製造していた。
1951年に発売し、現在はアサヒ飲料のロングセラー商品である。
当初は「バャリースオレンヂ」と表記したが、1987年から「バヤリースオレンジ」と表記している。2015年から毎年秋季に、限定復刻版「バャリースオレンヂクラシック」を発売している。
マスコットキャラクターの「バヤ坊」は、1959年から1999年まで「バヤリース坊やオレンジ」、中断後2002年からリンゴを被る「バヤリース坊やアップル」が加わるも、やがて“オレンジ”のみになり2013年3月に中断後、2014年1月に“オレンジ”が復活した。
2016年1月にカルピス株式会社を吸収合併して果汁飲料「Welch's(ウェルチ)」がアサヒ飲料のブランドとなり併売されている。
沖縄県は、アメリカ統治である1950年に「バヤリース・カリフォルニア・オレンジ(オキナワ)」が設立され製造を開始し沖縄県内の代理店を通じて販売された。その後同社は1960年に「アメリカンボトリング」に社名を変更している。沖縄ではより英語読みに近い「バーレース」とも呼ばれており、県産品のジュースが1本5セントであった時代に2倍にあたる10セントで販売される高級品であった。
アメリカンボトリングは1972年の沖縄の本土復帰に伴い廃業、その後元従業員らが沖縄バヤリースを設立し2014年まで製造販売を続けた。設備の老朽化や後継者不在を理由に同社が解散した2015年以降はアサヒオリオン飲料がレシピを引き継ぎ、県内限定商品として製造販売している。日本本土のバヤリースオレンジは「20%オレンジ果汁」だが、沖縄県地域は「10%オレンジ果汁」であり、色や風味は大きく異る。バヤリースオレンジは販売地域が厳格に区分されていて、アサヒオリオン飲料製のバヤリースオレンジが沖縄県外で販売されることはない。しかしアサヒ飲料製のバヤリースブランド商品は沖縄バヤリースの解散前後から沖縄県でもディスカウントストアなどでスポット的に流通しており、またバヤリースオレンジ以外のアサヒオリオン飲料製バヤリースブランド商品も、2010年代以降は主に沖縄フェアなどの際に本土小売店にも移出販売されている。
果汁を絞った果汁飲料は存在していたが風味が低下して保存に適さなかった。19世紀後半にフランスの科学者ルイ・パスツールが「食品の微生物の活動で変質が発生されやすい」と研究結果を発表し、微生物の殺菌方法などが考案された。
バヤリースというブランドは、フランク・W・バヤリーがスタンフォード大学在学中に、仲間に絞りたてのオレンジジュースを売っていたことが起源となっている。このビジネスが大成功したため、バヤリーは大学を中退し、1923年にフランク・W・バヤリー社を設立した。当初の製品は「バヤリース・オレンジエード」(Bireley's Orangeade)と呼ばれ、ノース・ハリウッドの本社工場で製造された。その後、1937年にオークランドにボトリング工場を開設し、全米各地のボトラーとフランチャイズ契約を結んだ。
1938年、バヤリース社は、果汁の風味・香りを損なわないで長期間保存できる殺菌法を開発し、特許を取得した。これは、本社工場で自動的に果汁の搾汁・殺菌・濃縮を行って全米のボトラーに出荷し、ボトリング工場で還元し、砂糖で甘味を加えて販売するというものだった。炭酸が入っていないことを売り物にしていた。1942年には月産約5,800万本となり、バヤリーは「オレンジジュース王」と呼ばれるようになった。
バヤリース社は1943年にゼネラル・フーズ社に買収され、同社の一部門となったが、バヤリーはゼネラル・マネージャーとして留任した。新しい味の飲料が導入され、ブランドの国外展開も進んだ。1950年には、タイをはじめとするいくつかの国で「バヤリース・カリファルニア・オレンジ」(Bireley's California Orange)という名前で展開された。日本では、1951年からアサヒビール(現 アサヒ飲料)が製造を開始した(詳細は後述)。1950年代には、フィリピンをはじめとする多くの国で人気となった。タイでは、1950年代に「ダン・バヤリー」というギャングが有名になったことで、このブランドが一般的に知られるようになった。この名前は、彼の家に近くにバヤリースのボトリング工場があったことからつけられたものである。1997年には、ダン・バヤリーをモデルとした映画『ダン・バヤリーズ・アンド・ヤング・ギャングスターズ』(Dang Bireley's and Young Gangsters)が公開された。
1959年、ゼネラル・フーズ社はバヤリースの事業をシカゴの乳製品原料供給会社クリムコー(Krim-Ko)社に売却した。その後、数十年の間にアメリカのほとんどの市場からこのブランドは姿を消した。1990年代に入ると、当時TLCビアトリス社が所有していたバヤリースの国際展開は、(1980年にアサヒビールが商標権を取得した日本のほかは)タイでのみ行われるようになった。TLCベアトリス社は、2000年にバヤリース・カリファルニア・オレンジ(シンガポール)社の株式をポッカ・シンガポールに売却したが、ポッカ社は2003年に赤字続きのこの事業をタイの投資家に売却した。2010年、タイのグループは「サニーハーブ・インターナショナル・ビバレッジ」という名称で、日本を除く20か国のバヤリースの商標権を買い取った。2014年に、タイの飲料メーカーであるイチタンに17億8,000万バーツ(5,500万米ドル)で売却したが、同社はこの権利と、タイにおけるバヤリースの全ての事業および施設を買い取った。イチタン社は、低迷していたバヤリースブランドを復活させ、海外市場に再展開することを期待していたが、マーケティングに成功したのは当初だけで、その後は期待通りの成果を上げることができなかった。イチタン社のバヤリースの製造は2019年に廃止され、バヤリースブランドは日本でのみ残ることとなった。
第二次世界大戦(太平洋戦争)終結後、進駐軍とともにバヤリース飲料が日本に登場するが、当初は清涼飲料水営業取締規則(明治33年内務省令第30号)で市販できなかった。1949年に戦前からソーダ水「ウヰルキンソン タンサン」などを手がけたクリフォード・ウヰルキンソン・タンサン鉱泉が進駐軍向けに輸入を開始し、1950年にゼネラルフーヅと提携して日本国内の製造と販売権を取得した。ウヰルキンソンは原液をアメリカから輸入して兵庫県の宝塚工場でバャリース・オレンヂを生産し、進駐軍向けに供給した。
1951年に朝日麦酒がゼネラル・フーズとバャリース・オレンヂの一手販売契約を締結した。製造は引き続き、兵庫県西宮市のウヰルキンソンの工場で行われ、同時にウヰルキンソンも自社製品の販売を朝日麦酒に委託した。1952年から日本人向けに沖縄を除く全国で発売しヒット商品となる。当時はチクロなど人工甘味料の使用が清涼飲料水に認められていたが、バヤリースはこれらを一切使用しなかった。ガラス瓶が高級な印象で、「大人の酒席で子供の飲み物になるようなハレの飲み物」として重宝された。1953年に「3色の天然果汁飲料」として、グレープ(カリフォルニア産)、パインエード(ハワイ産)、オレンヂ(カリフォルニア産)と産出地を表記して発売した。
1953年に250ミリリットル (ml) 缶を発売し、マスコット「オレンヂ坊や」が登場する。
国内他社は、果汁入り・無果汁の清涼飲料水を「○○ジュース」と称して販売したが、英語圏のブランドであるバヤリースは「果汁100%使用でないとジュースとは呼べない」として「バヤリース・ジュース」と表現しなかった。1962年に「不当景品類及び不当表示防止法」が成立し、1968年に他社の100%果汁でない「ジュース」の表示が禁止された。バヤリースブランドの果汁100%ジュースは贈答用のみ存在する。
1980年に沖縄県以外の製造・販売・商標権をアサヒビールが取得し、1982年に自社生産を開始する。
1987年に商品名を「バャリースオレンヂ」から「バヤリースオレンジ」に変更する。
1992年に、前年までの甘さが強く濃いオレンジの色合いから、柑橘性の強い黄色がかった色へと変更されたが沖縄バヤリースは変更せずに1950年代から現在まで同じ色と味の製品を提供している。
1996年にアサヒ飲料が販売元となる。マスコット「オレンヂ坊や」を「バヤリース坊や」とする。
1997年に1732万ケースを販売するが、キリンビバレッジのきりり、日本コカコーラのQooとなっちゃん、緑茶ブームに押され、2003年に710万ケースになる。1999年から2002年にパッケージを試行錯誤し、ペットボトルで青色パレット形にBireley'sと記されたロゴマークの青色を黄色にした例もみられた。
2005年に「Mama's happy choice」を掲げて安全と信頼をうたい、パレットマークを強調する方針を定めた。近年は着色料の使用や、一時期使用していた合成甘味料を再び廃止するなど順次刷新し、2007年の販売数は約1400万ケースである。
2009年1月に「バヤリースオレンジ」を改良し、オレンジ果汁・みかん果汁混合の「20%混合果汁入り飲料」からバレンシアオレンジ果汁のみ使用の「20%オレンジ果汁飲料」となった。
2011年に、オリジナルのガラス瓶をモチーフにしたペットボトルを採用しパッケージを一新した。
沖縄バヤリースは、2014年12月30日に営業権をアサヒ飲料へ譲渡して解散した。沖縄県内向けの製造販売はアサヒ飲料子会社のアサヒオリオンカルピス飲料が引き継いだ。
この節には、過剰に詳細な記述が含まれているおそれがあります。百科事典に相応しくない内容の増大は歓迎されません。 |
2020年1月現在
この節の加筆が望まれています。 |
期間限定製品も含む。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article バヤリース, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.