ハナヤ勘兵衛(はなや かんべい、または、はなや かんべえ、1903年1月12日 - 1991年5月15日)は、日本の写真家。本名は桑田和雄。
はなやかんべえ ハナヤ勘兵衛 | |
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生誕 | 桑田和雄 1903年1月12日 大阪市西区江戸堀 |
死没 | 1991年5月15日(88歳没) |
国籍 | 日本 |
別名 | 桑田和雄(本名) |
出身校 | 大阪府立堺中学校 |
職業 | 写真家 |
活動期間 | 1929年 – 1991年 |
著名な実績 | 「ナンデェ!!」 |
活動拠点 | 関西 |
配偶者 | 玉子 |
子供 | 桑田誠司 |
受賞 | 兵庫県文化賞受賞(1977年) 日本写真協会賞・功労賞受賞(1986年) |
1903年に大阪市西区江戸堀で生まれる。大阪府立堺中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)を卒業後、写真家になるために上海に渡り、その後香港やシンガポールにも渡る。1927年に帰国後、玉子と結婚。1929年に芦屋で写真材料店を開き、「ハナヤ勘兵衛」と名乗るようになった。
1930年に、中山岩太が中心となり結成された「芦屋カメラクラブ」に紅谷吉之助、高麗清治らとともに参加し、関西での新興写真運動の中心的存在の一人として活躍。その作品には、多重露光やフォトモンタージュを駆使したものが多く、強烈なモダニズムを感じさせ、1932年に創刊された雑誌『光画』にも、その作品が掲載された。当時の作品は、船に取材する機械美を追求したものや、フォトモンタージュによって近代都市を捉えるものがあった。また、戦後も活動を続け後進を多く育てた。
ハナヤ勘兵衛はもともと「桑田商会」という写真材料商を芦屋で営んでいたが、この会社は「株式会社ハナヤ勘兵衛」と名称を変え、現在も兵庫県芦屋市で営業を続けている。ちなみに、現在は、写真材料販売のみならず、写真撮影、プリント、暗室処理、暗室レンタルなども行っている。
上記2展覧会の展覧会カタログ(図録)のほか、以下のものがある。
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