デサント: 日本の大阪府大阪市にあるスポーツアパレルメーカー

株式会社デサント(英語: DESCENTE LTD.)は、大阪市浪速区に本社を置くスポーツウェアの専門メーカーである。

株式会社デサント
DESCENTE LTD.
デサント: 概要, 沿革, 展示コーナー
本社ビル
天王寺区にあった旧本社ビル
種類 株式会社
市場情報
東証プライム 8114
1980年3月3日上場
本社所在地 日本の旗 日本
543-8921
大阪府大阪市浪速区湊町1-2-3 マルイト難波ビル13階
設立 1935年 2月
業種 繊維製品
法人番号 6120001024419 ウィキデータを編集
事業内容 スポーツウェア及び関連製品の製造及び販売
代表者 代表取締役社長 小関秀一
資本金 38億4,620万円
売上高 連結:1,088億92百万円
単体:106億67百万円
(2022年3月期)
純資産 連結:866億58百万円
単体:206億01百万円
(2022年3月31日現在)
総資産 連結:1,163億75百万円
単体:249億65百万円
(2022年3月31日現在)
従業員数 連結:2,712人 単体:22人
(2022年3月31日現在)
決算期 3月末日
主要株主 伊藤忠商事 30.44%
USインベストメント 9.56%
 UBS AG HONG KONG 4.60%
日本生命保険相互会社 4.29%
帝人フロンティア 3.27%
(2019年3月31日現在)
主要子会社 デサントジャパン株式会社
デサントアパレル株式会社
関係する人物 石本雅敏(元社長)
外部リンク 公式ウェブサイト
特記事項:
(注1)2012年3月12日に大阪市中央区平野町4-2-16 日鉄御堂筋ビルから移転。
(注2)株式額面変更のため、1975年(昭和50年)8月1日に(旧)株式会社デサントを吸収合併し、旧会社は消滅した。旧会社の設立日は、1958年(昭和33年)2月26日である。
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概要

スポーツウェアの大手メーカーの1社であり、野球ゴルフウェア、陸上競技用ウェア、サッカー用ウェア、競泳用水着、アルペンスキー用ウェアなどで有力なブランドを持つ。日本国内の他、中国韓国北アメリカに進出している。スポーツウェアの他、介護医療分野の製品開発も進めている。伊藤忠商事の関連会社である。

企業スローガンは「Design for Sports」で、企業理念として「すべての人々に、スポーツを遊ぶ楽しさを」を掲げている 。

第21回オリンピック冬季競技大会(2010年バンクーバーオリンピック)の日本選手団公式スポーツウェアを手がけた。

社名の由来

社名の「デサント」は、フランス語の「descente=滑降」に由来する。スキーウェア開発のアドバイザーだった日本初のプロスキーヤー西村一良のスキースクール『デサントスキースクール』から名前をもらったことから。マークの「3本の下向きの矢」はスキーの基本滑降である「直滑降・斜滑降・横滑り」を表している。

沿革

1935年、創業者の石本他家男が石本商店を創業。

1953年には綿布に防縮加工を施した野球用ユニフォームトレーニングパンツを開発する。

1958年2月に株式会社としての石本商店を設立。

1961年ブランド名であったデサントに社名を変更した。

1964年にはワンポイントロゴを入れるきっかけ作りとなったゴルフウェア「マンシングウェア」を皮切りに「アディダス」(その後、アディダスジャパンが設立される)、全米体育協会公認ウェア「NCAA」、ドイツの「arena」、イタリアの「FILA」などのスポーツブランドの日本での総販売代理店として現地からの輸入・提携を実施。

1974年8月にデサント商事株式会社と合併。

1977年3月に大阪証券取引所第2部に株式上場。

1980年1月に大阪証券取引所第1部に指定替え。3月には東京証券取引所第1部に株式上場。

現在は自社ブランド(デサント)のほか、ルコックスポルティフアンブロランバンスポール、などのブランドの日本販売元となっている。

2012年2月、デサント大阪オフィスがオープン。デサントの歴史を展示するコーナーなど。

2015年4月、ダンロップスポーツとデサントは、「スリクソンブランドのゴルフアパレル分野の業務提携」を発表した。これによれば、企画制作などはデサントが行うこと。ウェアの販売はデサントが、アクセサリー類の販売はダンロップスポーツが行うこと、となっている。

2019年1月、筆頭株主の伊藤忠商事が、韓国に重点を置いた近時の経営体制や経営方針に問題があるとして、完全子会社のBSインベストメント株式会社を通じた、株式公開買付けを表明した。デサント経営陣の同意を得なかったことから、伊藤忠商事は敵対的TOBを実施し、2019年3月に伊藤忠保有分を含め40%の株式を取得し、デサントの拒否権を得た。同年6月の株主総会をもって、代表取締役社長などの役員交代を行う。 2019年後半に勃発した韓国に於ける反日・日本製品不買運動の結果、伊藤忠商事の懸念は的中し、韓国に於けるデサント商品の売り上げが大きく失われ、同社の利益が大きく損なわれた。

2021年12月、大阪本社を大阪市浪速区へ移転。

展示コーナー

  • デサント 歴史展示コーナー(大阪府大阪市)

主な製品

水沢ダウン

水沢ダウンは、2008年に発売された高い保温性を誇るダウンジャケットである

もともと2010年バンクーバー冬季オリンピックの日本選手団のために開発されたウェアである。生産している水沢工場が製品名の由来であり、ステッチをなくすことで水分含浸を防ぐのが特徴となっている。価格は一番安いもので8万円強であるが、売り上げは年々増え続けている。

野球ユニフォーム

1960年代から野球ユニフォーム製作において様々な技術革新と斬新なデザイン、カラーリングを実施。1980年代には阪急ブレーブスミズノ製)を除く11球団でユニフォーム製作に携わった。2017年現在は、オリックス・バファローズ(この年より)、横浜DeNAベイスターズ広島東洋カープ(ビジター用)のNPB3球団に加え、韓国LGツインズのユニフォームも手がける。

  • 1968年 - デサント初のユニフォーム制作。日本初のニット製ユニフォームが誕生。これまでの綿、ウールと違い、伸縮性、耐久性があり、また様々な色を染色が出来るのが強み。中日ドラゴンズ色を基調にしたノースリーブユニフォームを日本球界で初めて採用。
  • 1969年 - ダブルニット製ユニフォームが誕生し、従来のニット製ユニフォームより伸縮性に富む、中日が採用し、ビジターの地色に初めてスカイブルーを採用。
  • 1973年 - 日拓ホームフライヤーズにて「七色のユニフォーム」と呼ばれた7種類の色々なカラーリング、デザインを後期期間のみ採用。またロッテオリオンズにて肩、脇腹、袖、パンツにラインを縫製ではなく、生地にはめ込んだユニフォームを製作。
  • 1975年 - 読売ジャイアンツ2006年までの31年間に渡りサプライヤー契約を結ぶ。
  • 1976年 - ワインピンク地で、アメフトを意識した胸番号だけのユニフォームを太平洋クラブライオンズが採用。
  • 1977年 - 世界初のメッシュ地の上着を近鉄バファローズ大洋ホエールズが採用。湿気の多い日本では通気性の良さが適し、さらにニットに比べ格段に軽い為、現在ではメッシュ地が主流となっている。またメジャーリーグでも採用され、ピッツバーグ・パイレーツのユニフォームを製作。
  • 1978年 - メッシュ地にストライプを施したユニフォームを阪神タイガースのホーム用、ヤクルトスワローズにて採用。
  • 1979年 - 西武ライオンズ2002年までサプライヤー契約。当時としては斬新だった上下ブルーのビジター用ユニフォームを製作。
  • 1980年 - ボルチモア・オリオールズのユニフォームを製作。
  • 1982年 - レインボーカラーと呼ばれたヒューストン・アストロズのモデルに倣ったフロントパネルデザインを起用した日本ハムファイターズのユニフォームを製作。
  • 1990年 - 二種類の異なる織柄を組み合わせ、光の当り具合で縦縞に見えるシャドウ・ストライブをヤクルトスワローズのビジター用にて採用。
  • 2000年 - 従来のメッシュ地に代わり、リブメッシュと呼ばれる縞状のメッシュの上着を読売、阪神(ビジター用のみ)が他球団に先駆けて採用。
  • 2003年 - ストライプを編みこむことが困難であった為、縦縞のユニフォームではリブメッシュの上着を採用することが出来なかったが、ストライプをプリントにすることで、横浜ベイスターズ、阪神のホーム用がリブメッシュの採用実現。
  • 2005年 - 肩、脇腹のカットラインが特殊なものを東北楽天ゴールデンイーグルスのビジター用で採用。
  • 2008年 - 千葉ロッテマリーンズとサプライヤー契約。ビジター用で上から下に向けて色が薄くなっていくグラデーションデザインを採用、また阪神タイガースの交流戦モデルにて、軽量化の極限を目指し、ストライプ、胸ロゴ、背番号等全てのマーキングを従来の刺繍に代え、昇華プリントにしたものを製作。
  • 2014年アジア競技大会にて韓国代表のユニフォームを製作。このユニフォームがデサントにとって野球競技における初のナショナルチームユニフォームとなった。
  • 2017年 - 千葉ロッテとは前年で契約を終了し、新たにオリックス・バファローズとサプライヤー契約を結ぶ。

水泳用品ブランド

「アリーナ (arena)」は主に水泳用品のブランドとして知られている。元々はアディダスの傘下にあった会社だったが、アディダスが自社で(アディダスジャパン)日本国内の事業を展開するにあたり、その代償措置として、デサントが「アリーナ」のアジア・太平洋地域における事業権を獲得した。また、アテネ五輪水泳金メダリストの柴田亜衣が、デサントの社員となっており、世界のトップスイマーによって構成される「チーム・アリーナ」の一員に加わっている。2009年4月に行われた競泳日本選手権では日本新記録が20個更新され、うち13個がデサント製の水着を着用されて更新されたものである。

アルペンスキー用ウェア

アルペンスキー用ウェアに関しては1954年に進出。欧州ブランドが主流の市場であったが、1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピック猪谷千春回転銀メダルを獲得したことからスキーブームが起き、それに後押しされたことや内外の一流選手に着用してもらってアドバイスを受けたことなどから、国産ウェアの開発が進み、現在ではスイススペイン韓国のナショナルチームのウェアを供給している。 また、アルペンスキー用ウェアの技術をスピードスケート用ウェアに応用。1980年レークプラシッドオリンピックでの5冠王エリック・ハイデンの着用により、一躍注目された。1984年からカナダスピードスケートナショナルチームのウェアを供給している。

協賛イベント

スポーツ関連のイベントとして1978年には日本で初めてのアマチュアスポーツの冠トーナメント「8カ国対抗・デサント陸上大会」を開催したことでも知られる。

現在も陸上競技の「デサントトラッククラブ」、サッカーの日本フットボールリーグのメインスポンサー(アンブロブランド)を務めており、かつてはゴルフの男子ツアー「マンシングウェアオープン KSBカップ」、女子の「デサントレディース・東海クラシック」のスポンサーなどを行っていた。

主な契約選手

事業所

関係会社

  • 連結子会社
    デサントジャパン
    デサントアパレル
    ベンゼネラル
    デサントノースアメリカInc.
    韓国デサント
    北京迪桑特有限公司
    上海迪桑特商業有限公司
    香港迪桑特貿易有限公司
  • 関連会社
    寧波ルコック服飾有限公司

脚注

注釈

出典

関連項目

  • ユニチカ - 昭和終盤~平成初期に一時、同社向けにスキーウェア(スーツ)用の素材提供を受けていたことがある。
  • XaviXPORT - 専用アプリケーション「ザビックス+D3」を発売。
  • adidas - かつて日本代理店をしていた。

外部リンク

Tags:

デサント 概要デサント 沿革デサント 展示コーナーデサント 主な製品デサント 協賛イベントデサント 主な契約選手デサント 事業所デサント 関係会社デサント 脚注デサント 関連項目デサント 外部リンクデサント大阪市浪速区英語

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