タイガー服部(タイガーはっとり、1945年7月20日 - )は、日本のプロレスの元レフェリー、マネージャー、元レスリング選手。本名は服部 正男(はっとり まさお)。東京都中央区出身。最終所属新日本プロレス。
タイガー服部 | |
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プロフィール | |
リングネーム | タイガー服部 |
本名 | 服部 正男 |
身長 | 165cm |
体重 | 68kg |
誕生日 | 1945年7月20日(78歳) |
出身地 | 東京都中央区 |
スポーツ歴 | レスリング |
デビュー | 1978年 |
引退 | 2020年2月19日 |
明治大学在学時にレスリングで頭角を現し、1966年全日本レスリング選手権大会男子グレコローマン・バンタム級で優勝を果たした。1967年にルーマニアで行われたレスリング世界選手権においてもバンタム級で優勝を果たした。
卒業後は松浪健四郎と渡米し、コーチ業をしながら選手活動を継続。全米選手権を制覇(詳細不明)したのをきっかけにプロレスラーにレスリングを教えるようになり、1970年代後半にフロリダにてヒロ・マツダの道場に入りハルク・ホーガンらを指導。また、同時期にフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)で活動していたマサ斎藤(明治大学の同僚)、高千穂明久、ミスター・ヒト、ミスター・サクラダ、キラー・カーンら日本人選手のマネージャーも務めた。この頃、ミッドサウス地区のプロモーターのビル・ワットにタイガー服部と命名され、以後そのリングネームを名乗る。
フロリダではレフェリーも担当し、1980年には全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦にNWAの公認レフェリーとして参加して日本プロレス界に初登場。アブドーラ・ザ・ブッチャー&キラー・トーア・カマタ対ザ・シーク&グレート・メフィスト(最終戦蔵前国技館大会のセミファイナル)などの試合を裁いている。
その後、フロリダでヒールとして活動していたザ・ファンクスのマネージャーを経て1982年に新日本プロレスに入団したが、1984年には長州力と共にジャパンプロレスの設立に参画。長州とともに歩むレフェリー人生が始まった。提携先の全日本プロレスにおいてはジョー樋口に次ぐポジションのレフェリーとなっていた。なお1985年11月14日に行われた長州力対ジャンボ鶴田戦のレフェリーも務めている。
ジャパンプロレスの崩壊に際しては長州とともに新日本に復帰。1990年代にはミスター高橋を抑えメイン級のレフェリーとなり、ほとんどの大試合を裁いた。海外経験を生かして外国人レスラーの招聘にも力を発揮した。
1999年1月4日の小川直也対橋本真也戦では、小川の異変を察し反則裁定に持ち込むことを狙った橋本から、強烈な膝蹴りを食らっている。詳しい経緯は小川の項参照。
2001年には審判部長に就任したが、2002年をもって体調不良を理由に退団。
その年の末、盟友・長州が再び新日本を離れ2002年末にWJプロレスを設立すると、同団体レフェリーとして復帰した。しかし、1年で団体は崩壊し、フリーの外国人エージェントとして活動する傍ら、2004年には再び新日本にレフェリーとして出戻る。レフェリーとしてはメイン級からはやや引いた形だがブロック・レスナーを招聘するなど、渉外として実績を残した。
2011年に持病のヘルニアが悪化して以後は、ビッグマッチを中心として出場試合数を縮小している。
2019年9月28日、ニューヨーク大会でアメリカ最後のレフェリングとなる試合を裁く。また同大会で「ファイナルカウントダウンセレモニー」が行われ、アメリカのファンに感謝を述べた。
2020年2月19日、後楽園ホール大会をもってレフェリーを引退。
2023年1月4日、東京ドームの「アントニオ猪木メモリアル6人タッグマッチ」と題したスペシャルマッチの真壁刀義&小島聡&永田裕志対藤波辰爾&鈴木みのる&タイガーマスク戦でレフェリーは引退しているが復活をしている
2023年2月21日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会で武藤敬司vs蝶野正洋のレフェリーを急遽行った。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
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